志村けん追悼掌編 白面の殿VS変な叔父さん

マスク・ド・ゆーゆー

第1話

無限に続く荒野に、二人の男が対峙している。


一人は橙色の着物に金袴の、派手な出で立ちの男。

腰には大小の刀を差している。

異国の者であれば、彼をサムライと呼ぶであろう。

だが我々はそうは呼ばない。

気品あふれる風格。雅なたたずまい。

殿である。

一国一城の主である殿が、従者も無くただ1人で立っている。

異様である。

だがその光景の異様さを示すのは、それだけでは無い。

その顔は真っ白であった。

例えるなら、蒼月に照らされた深山の白雪である。

その面にはいかなる意味があるのか。

戻れぬ旅への死に化粧というのなら、相対する男もまた相当の使い手といえよう。


殿の前には、薄汚れた背広を着る男が立っている。

だが何かおかしい。

この男、真剣な目をしているのか思えば、口元は笑っている。

いや、弛緩しているといっても良い。

赤ら顔に無精ひげ。そして薄い頭頂部。

あきらかに不審者である。

「名を名乗れ」

殿の静かな詰問に不審者は答える。

「叔父さんだよ」

「貴様のような叔父など知らぬわ」

殿は腰から愛刀をすらりと抜いた。

刀身は夜露に濡れたかのように、妖しく艶めいている。

業物である。

刀を抜かれてなお、奇妙な叔父さんはヘラヘラと笑っていた。

どこからとなく尺八の音が鳴り、殿の口がいびつに歪んだ。

無礼討ちは、やむ無しといえよう。

刀が空を裂き、奇妙な叔父さんの胴に吸い込まれる。

だが……一刀両断の手応えは無い。

殿の白面に、疑念のしわが刻まれた。

両断された茶色の背広が、舞い散る花のように、はらりと落ちる。

目線を上げると、奇妙な不審者は形容しがたい装束に身を包んでいた。

身体をぴたりと包む桃色の上下に腹巻ひとつ。

その装束に、無数の己の顔が刻印されている。

腹巻にも中央に大きくひとつ、叔父さんの顔がある。


殿は白面の下で激昂していた。

斬れなかった事にではない。

自らの目線が下に向き、そして面を上げた事にである。

殿は一呼吸おくと、刀を正眼に構え直した。

もうそこには油断も奢りも無い。


それを見る奇妙な叔父さんは両手を握り、その拳を腹の辺りでくるくると廻し出した。

殿はたまらず言葉を吐いた。

「なんなのだ、お前は?」

「なんだお前はだと?ククク……そうだよ、私が変な叔父さんだよ」

変な叔父さんは奇妙な呪詛を吐きながら、なおも拳を廻し体を回転させた。

沙汰の外である。

もはや言葉は無用とばかりに、殿が斬りかかろうとしたその時!


「……『ダッフン』だ」


奇妙な叔父さんの目が中央に寄り、ホクロの毛が揺れた。

いや揺れたのはホクロの毛だけではない。

大地全体が揺れているのだ。

殿はたまらず転倒した。

ダッフンとは異国の呪いの類いであろうか。

その言葉が発せられた瞬間、大地は揺れ、立つこともままならなくなった。

転倒して刀を手放し、体勢もままならぬ殿を変な叔父さんの拳が襲う。

拳が、ごうと音を立てながら殿の首に打ち込まれた。

骨が砕ける音が鈍く響く。

だが苦痛に顔を歪めたのは意外にも、変な叔父さんの方であった。

殿は右腕を肘から曲げ、手刀を作った状態で喉元を防御していた。

戦場で使用される徒手空拳の防衛術である。

だが防御した殿の腕も、相応の損傷を与えられていた。

指先の感覚が乏しい。

これで刀を持ち、この化物と渡り合えるのか。

殿の頬を、白い汗が一筋流れ落ちた。


「もうやめて下さいまし!」

無人であったはずの荒野から駆け寄る女が一人。

隣国の姫である。

さしたる用事も無いのに登城するその姿から、姫は殿の情婦であると噂するものもいた。

だがそんな事実は無い。

姫は姫。殿は殿だ。

その姫が殿の上半身を抱え、悲嘆の涙を流している。

「どうか、どうかこんな無茶はやめて下さいまし……」

「泣くでない。国一番の可憐な花が台無しぞ。」

殿は軽く笑みを作った。

姫は唇を、そっと殿に重ねた。

紅と紅が交わり、薄桃色の姫の頬に、殿の白粉が移った。

「ほう。雪景色の桜とは、これは風流。」

刀を手にし、ゆっくりと殿が立ち上がる。

「……殿」

「案ずるな、姫。だいじょうぶだ。」


気が付くと、殿の周りを従者達が囲んでいた。

三位一体の重臣、恰幅の良い髭の家老、幾人もの若き腰元。

皆が殿の名を口々に呼び、すうっと姿を消した。

振り返れば、姫の姿も消えている。

拳で打たれた衝撃で夢でも見たのかと殿は思案したが、そもそも今の状況自体が悪い夢であろう。

雑念を捨て、眼前の敵を斬らねばと思ったとき、老人の声が殿の名を呼んだ。

殿の傍らに、薄茶色の羽織袴を着た老人が立っている。

「……八郎か?」

「お久しぶりです……殿。」

八郎と呼ばれた老人の目に涙がうかんだ。

「まだ来てはならぬところですぞ……殿、あなたというお人は!」

ここが何処なのかは、殿にもうっすらと察しはついていた。

「殿、お世継ぎは作られたのでございますか?」

殿の眉尻がピクリと動いた。

何度も何度も聞かされた言葉だ。

「世継ぎは……いるよ。たくさんな。」

「本当でございますか!!」

「ああ、こんな俺を笑ってくれた日の本の国の民、全てが――」


 ――俺の世継ぎよ。


どこからともなく桜が舞い散り、殿の顔を見えなくした。

その時、天から聞き覚えのある声が響いた。


「シムラよ。無数に別れた己を倒せ。最後に立っていた者のみが真のシムラである。」


眼前に立っているのは、変な叔父さんだけでは無い。

その後ろにはいつの間にか、数え切れぬほどの男がいた。

白鳥の首を股間に着けた者、黒服のヒゲ男。いいよなぁとしきりに呟く男。

いや、その中には老婆さえもいるではないか。

「全員集合、というわけか。」

これらを全て倒さねばならぬのかと、殿は身震いをした。

そして天を見上げ、

「ひとつ訊きたい。お前は神か?」

と問うた。

「とんでもねえ、あたしゃ神様だよ!」

返ってくる天の言葉と共に大地が揺れた。

「……神さえも斬らねばならぬか。」

殿は刀を大上段に構えると、大きく笑った。


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