エピソード77 プラント潜入作戦

 約束の午後4時までまだ少し時間があるが、伊織は曹瑛とホテルのロビーにあるソファに並んで座っていた。黒いコートに黒スーツでモノトーンにまとめた曹瑛、隣にはブルーと白のストライプのシャツにジーンズの伊織。伊織は格好をつけたい訳では無かった、しかしこれから真面目に決戦に行くのにあまりにも空気が読めていない気がして落ち込んでいた。伊織はシャツを引っ張って胸元に走るストライプを眺める。ああ、そういえば河口湖での戦いもストライプだったな。そんなに好きでもないのに、なぜ選んでしまうのだろう。

「そんなにひっぱると伸びるぞ」

 曹瑛の真っ当なツッコミに伊織は唇を尖らせる。

「何を気にしている?」

「もうちょっと、ビジネスぽい格好が良かったのかなって」

 営業で着ていたスーツの一つでも持ってくれば良かった。曹瑛のようにオーダーメイドではないにしてもジーンズよりは格好がつく。


「動き易い格好が一番だ。それにそのシャツ、よく似合っている」

 スーツのどこが動き易いのか伊織には理解できないが、オーダーメイドと吊るしの2着目半額のスーツとは質が違うのだろう。エレベーターの扉が開き、榊が降りてきた。ピンストライプの黒スーツ、紺色のシャツにやや光沢のあるグレーのネクタイでどう見てもカタギには見えない。1人がけのソファにどかっと腰を下ろし、タバコに火を点ける。その堂々たる姿、榊は伊織と同い年のはずだが時空が歪んでいるような錯覚に見舞われた。


「お前とタイがかぶらなくて良かった」

 榊の言葉に曹瑛が胸元を見てフンと笑う。遅れて高谷がやってきた。薄いグレーのロングカーディガンに白のカットソー、黒のスキニーにスニーカーを合わせている。カジュアル組がいて伊織は内心ほっとした。小脇には彼の武器、タブレット端末を抱えている。

 孫景がやってきた。ミリタリー系のシンプルなモスグリーンのジャケットにグレーのVネックのサマーセーター、黒のジーンズにブーツを履いている。その後ろから手を振る劉玲は黒の縦ストライプのチェスターコートに紺色のカットソー、下地に白のロングシャツの重ね着をして白いパンツ、靴はカジュアルブーツだが、つま先に何か仕込んであるに違いない。

「曹瑛と榊はんはスーツやと思たわ、かぶらんようにしてきて良かった」


全員が揃ったところで地下駐車場へ向かう。劉玲が上海九龍会のつてで車を手配してくれているらしい。車は黒塗りフルスモークのバンだった。さすがマフィアの用意した車、と伊織は感心した。どう見ても悪い人達が乗っているようにしか見えない。

「運転は俺に任しとき」

 劉玲なら道も分かっている。皆次々にバンに乗り込んだ。広いと思っていた車内は大柄でいかつい男達によって一気に密度が上がった。車は松花江を越えてさらに北へ向けて走る。ついさっき、曹瑛とのんびり散策していた太陽島公園を通り過ぎていく。今横にいる曹瑛は黒い装束に身を包んで影のように息を潜めている。サングラスに隠れた目は何を見ているのか分からない。


 田舎道に入り、麦畑の中を走る。太陽は西へ傾き、雲を橙色に照らしている。目的地に到着し、車から降りると空は不吉な赤色に染まっていた。

「もう日が沈むな」

 曹瑛が空を見上げる。雲はゆっくりと流れていき、風が麦の穂を揺らした。伊織は寒気を感じて両肩を抱いた。

「寒くなると言っただろう」

「うん、少し寒いかも」

 曹瑛の言葉に、そう答えたものの伊織は本当にただ寒いだけなのか分からなかった。身体が震えて鳥肌が立っている。これは恐怖なのかもしれない。これからマフィアの管理する龍神のプラントに乗り込むのだ、怖くないわけはない。口を真一文字に引き結んで麦畑の彼方を見つめる伊織に曹瑛が声をかけた。

「車で留守番していてもいいんだぞ」

 伊織は曹瑛の顔を見上げた。

「ううん、行くよ。俺は瑛さんを助けるって決めたんだ」

 頼りにしている、と言いながら曹瑛は伊織の頭をくしゃっと撫でた。子供扱いされた気分だったが、不思議と心が落ち着いた。


 長いあぜ道をプラントに向かって歩く。6人の影が長く伸び、折り重なっている。

「伊織はなかなか根性があるな」

 横に並ぶ榊に言われて、伊織はきょとんとする。

「普通なら、こんなところまでついてこない」

「うん、俺が自分でも一番びっくりしてる。最初は日本の観光案内のバイトだったんだよ。それなのにいつの間にか中国までやってきてマフィアの麻薬工場に殴り込みをかけるなんて信じられない」

「曹瑛は強いが、危なっかしいからな。お前が面倒を見てやらないとな」

 伊織は自分の方が曹瑛に助けられている、と言ったが榊はどうかな、と笑っていた。

「榊さんだって、何でここまで来たんですか」

「結紀だよ。龍神のせいで恋人を失った。だから、龍神を滅ぼす手伝いをしたいという。俺は日本への流入を阻止できて一度はそれでいいと思っていた。だが、結紀の気持ちを知って最後まで付き合ってみようと思ってな」

「高谷くんが・・・そうだったんですね・・・」

 あの高谷がそこまで考えていたなんて。伊織には若い高谷が自分よりもずっと大人に見えた。

「それにな、お前たちといたら飽きない」

「楽しいってこと?」

「・・・そうだな、そういうことなんだろうな」


 孫景と劉玲が先導して、畑の端にある屋根のある建物の前にやってきた。コンクリートの土台に四角い柵に囲まれているそれは大きなファンだった。ゴオオと重低音を響かせてゆっくりと回り続けている。

「これは何?」

 伊織が劉玲に訊ねる。

「これはな、地下プラントの通気口や。地下からの空気を排出しとる」

「もしかして、ここから入るの?」

 伊織は驚いて目を丸くした。

「せや、ここから侵入するんや」

 劉玲は得意げに腰に手を当てている。孫景はバッグからロープを準備し始めた。

「ミッションインポッシブルだ・・・」

 伊織は呆然としながらファンが回転する穴を覗き込むと、暗い闇が広がっていた。本当にこんなところから入れるのだろうか。ダクトの中を動き回るならジャージとか、汚れても良い格好で来れば良かった。それならスーツでキメている曹瑛や榊はどうするのだろう。悶々と考えているところに、高谷がおずおずと手を上げた。


「あのう、プログラミングしたカードキーを作りました。プラントの通用口から入れると思います」

「それでいこう」

 曹瑛と榊が同時に叫んだ。

「なんや、こういうところから潜入した方が雰囲気出るやん」

「行くならお前たちだけで行け」

 曹瑛が劉玲と孫景を背に高谷に行くぞ、と促す。

「俺も通用口にします」

 伊織は申し訳なさそうに曹瑛について行く。

「ほな仕方ないな。孫景はん、俺ら二人で行くか?」

「すまん、俺はこのジャケットをこの日のために買ったんだ」

「あんたもそれ勝負服かいな」

 劉玲はがっくりと肩を落とし、残念そうにして高谷の後を追った。


 畑の中にある廃工場にやってきた。正面には地下プラントへの通用口が見える。高谷がパソコンを開き、防犯カメラをジャックし、録画映像を流し始めた。

「さすがにここの警備は厳重でしょうから、この間の水滸館のように監視を騙し続けるのは難しいと思います」

「侵入するところまで誤魔化せたら御の字だ」

 高谷の言葉に曹瑛が答える。

「プラント内の管理システムに侵入すれば、機密エリアのロックも解除できるはずです」

 高谷の言葉に男達が腕組みをしながらほほうと唸る。出たとこ勝負のノープランだったことが明らかになり、伊織はそこはかとなく不安を覚えた。高谷が小型マイクとコードレスイヤホンを用意していた。これで離れた場所でも連携ができる。辺りに人がいないことを見計らって通用口へ近づく。高谷がPCと配線の繋がったカードキーをカードリーダーに通した。配電盤の赤いランプが緑に変わった。


 曹瑛が静かにドアノブを回す。中を覗き込むと、警備員が机に脚を載せ、雑誌を読んでいる。音も無く身体を室内に滑り込ませ、指に挟んだ小ぶりのスローイングナイフを放った。刃先には麻酔薬が仕込んであった。警備員は曹瑛の姿に気付く前に白目を剥いて意識を失った。力を失った手からは読みかけの雑誌が滑り落ちた。曹瑛の合図で全員が部屋の中に入る。ガラクタの並ぶ棚、警備員のいた机、その奥には黒い大きな鉄の2枚扉があった。


「これが地下へ降りるエレベーターだな、どうやって動かす?」

 孫景が扉の周囲を探るが何もない。手で扉をこじ開けようとするがびくともしない。曹瑛が警備員の机の下を覗き込み、ボタンを見つけた。押せばエレベーターの重い扉がゆっくりと開いた。

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