エピソード65 老街散策

 曹瑛と伊織はホテルの前でタクシーを拾った。ものの15分ほどで目的地「老道外」に到着した。タクシーの料金は曹瑛がスマホを使ってさっさと払ってしまった。料金は12元。日本円で500円もしない。中国のタクシーは安いので人民の足になっているようだ。すぐに次の客をつかまえて走り去っていった。


 烏鵲堂で買ったハルビンのガイド本にはこの観光地は掲載されていなかった。地元ならではの場所なのだろうか。

「古い建物が並ぶ通りだ」

 曹瑛は黒のハーフコートに白いカットソー、黒のスキニーパンツ、ショートブーツ、丸いレンズのサングラスをかけている。伊織はグレーの薄手のジャケットに柄物のTシャツにジーンズ、履き慣れたスニーカーだった。

 

 煤けたバロック建築の建物が並ぶ通りを歩く。観光客は地元の人間ばかりなのか、気楽な服装な若者が多い。洋風の建物にでかでかと漢字で店の名前がディスプレイしてある。伊織はヨーロッパには行ったことがないが、街並みの写真や映像を見るのが好きだった。まさにそんな雰囲気の建物に中国風の電光掲示や看板がついている風景はユニークだ。


「面白い景観だね」

 伊織は興味深そうに建物を見上げながら歩いている。

「街のあちこちで見られるが、この辺が観光地として整備されているエリアだ」

 狭い路地に入れば、屋台が軒を連ねている。食欲をそそる匂いに混じって鼻が歪みそうな匂いが漂ってきた。

「うわ・・・臭ッ、これ何の匂い?」

「臭豆腐だ。観光地にはよく売っている定番の食べ物だ」

「腐った豆腐・・・納豆みたいなものか、でも強烈」

「食べてみれば美味いと聞くがな」

「瑛さんは食べたことがある?」

 曹瑛はサングラスをくいとあげて無言だった。納豆もダメなので発酵食品は苦手なのかもしれない。見れば、臭豆腐と読める漢字の看板が出ていた。黒っいぽいタレがついた豆腐を売っている。海外で腹を壊しても面白くないのでこれは遠慮しておくことにした。


 屋台にはせいろから湯気の立ち上る肉まんや水餃子、串などの美味しそうな食べ物が並ぶ。若い子たちはそれを買って食べ歩きしているようだ。観光地らしくハルビンの絵はがきやマグネットなど雑貨を売っている店もある。

「ちょっと見てもいい?」

 伊織は絵はがきを物色する。冬の老街や大聖堂、中央大街の水彩画絵はがきのセットを手に取った。イラストもいろんなテイストがあり、迷う。店のおばちゃんが話かけて来た。

「えーと、你好」

 咄嗟に出てきたのは挨拶だけ、伊織は愛想笑いをしている。おばちゃんは絵はがきを一枚一枚見せてくれながらおそらく観光地の名前を教えてくれている。1セット10元だという言葉がかろうじて聞き取れた。

「3つ買えば25元に負けてくれると言っている」

 背後で黙って聞いていた曹瑛が通訳してくれた。大聖堂のマグネットとそれぞれ異なるテイストの絵はがきを3セット買うことにした。

「謝謝~」

 中国語でありがとうと言ってみた。一応伝わったのか、おばちゃんもニコニコと手を振っている。


「このあたりで昼飯にするか」

 曹瑛が大通りから逸れて細い通りに入っていく。店の見当はついているようだ。伊織は曹瑛の背を追う。異国の地で案内役がいてくれるのは心強く、目に入るものが何もかも新鮮で面白い。曹瑛は東京にやってきたとき、日本語で難なく話もできるし、文字も読める。いつか自分も中国語で曹瑛と会話ができるようになろう、と伊織は思った。


 建物の中を通り抜け、広場に出た。いろんな飲食店が並び、ちょうど昼時なので賑わいを見せている。木のテーブルが外に出してるオープンカフェ風な店もある。曹瑛は店を見回して、煉瓦造りの建物に入っていく。

「食堂だからいろいろ選べる、好きなものを食べるといい」

 店内は大声で盛り上がる人々の喧噪が凄まじい。伊織は圧倒され、思わず肩をすくめた。近くのテーブルを見ればたくさんの料理が並んでおり、どれも美味しそうだ。メニューを見れば、写真と漢字、簡体字ではあるが何となく想像がつく。


「本場の水餃子食べたい。瑛さんの餃子美味しかったから」

「この店はどうかな」

 暗に自分の餃子の方が美味しいと言っているのか、伊織はちょっとおかしくなった。曹瑛はメインの肉料理でハルビン風ソーセージ、哈尔滨红肠に羊肉を炒めた孜然羊肉、野菜に菜っ葉やもやしなどいろんな種類の野菜が盛られた农家小拌菜、老虎菜を注文した。美味しいものを知っているので任せておくのが良いだろう。飲み物は炭酸にしておく。曹瑛がペラペラと中国語でメニューを読み上げた。太った店のおっさんがメモに注文を書き取り、去って行った。


 テーブルに飲み物が置かれた。中国版スプライトのアルミ缶にストローがさしてある。

「へええ、こうやって出てくるんだ」

「日本ならコップだろうな」

 曹瑛は王老吉を飲んでいる。味見をさせてもらうと不思議な甘みがある。漢方茶だと教えてくれた。

 テーブルに料理が運ばれてきた。湯気が立つ色とりどりの料理に伊織は思わず身震いする。いただきますと手を合わせ、野菜から箸をつける。农家小拌菜は茹でて細切りにしたじゃがいも、菜っ葉、豆もやしにキクラゲ、干し豆腐を山盛りに持り、酸味のある醤油をかけたシンプルな料理だ。


「この野菜盛り、シャキシャキで酸味があって美味しい」

 食欲を刺激される。曹瑛が老虎菜に手をつけていたので伊織もつまもうとした。

「青唐辛子に気をつけろよ」

 キュウリと長ネギにパクチーがかかったサラダだった。細切りの唐辛子も入っていた。唐辛子は赤よりも青の方が辛い。適当につまんで口に入れると当たりだった。

「ぎゃっ、辛い~」

 伊織の顔がみるみる赤くなり、涙目になった。曹瑛はだから言ったのに、と笑っている。席を立って店のおっさんと話をして冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して持ってきてくれた。

「ありがと・・・ひええ、唇が腫れそう」

「餃子でも食べろ、少しはマシになる」

 

 水餃子は皿に20個ほど盛られていた。もちもちした手作りの皮にあんは豚肉と芹のあっさりしたもので、黒酢が効いたタレにつけて食べるといくらでも食べられそうだった。

「もちもちの餃子、美味しい」

 口の中が落ち着いてきた。曹瑛は青唐辛子のサラダを無反応で食べていた。味覚がバカにならないものか不思議だ。哈尔滨红肠はここに来るまでに屋台でも何度も見かけた料理だ。しっかりと味のついたシンプルなソーセージだ。ビールが好きなら最高だろう。孜然羊肉は全く臭みがない。羊の独特の香りに辛味の効いたスパイスがアクセントだ。羊肉をすっかり気に入ってしまった。


「中国は美味しい食べ物がたくさんあるね。日本の中華料理店では食べたことがないものばかり」

「日本では四川料理がメジャーだろうな」

 店を出て古い街並みを歩く。古びた街並みは覆いがかけられており、廃墟の様相を呈しているものも多い。エリアの外れまでやってくるとすっかり人通りが途絶えてしまった。薄曇りの空に廃墟が立ち並ぶ様子は少しホラーでもある。不意に背後から声がした。振り返れば、いかつい男が3人道を塞いでいる。中国語でしゃべっているがどう見ても友好的な雰囲気ではない。曹瑛は伊織を後ろに下がらせた。


「瑛さん、この人たちは・・・」

「八虎連のチンピラだ、下がっていろ」

 曹瑛の裏切りを聞きつけた八虎連が刺客を放ったのだろうか。伊織は不安げな表情で後ずさる。何か武器になるようなものは無いか目線を動かした隙に曹瑛は動いていた。

 ツーブロックの大柄な男が曹瑛にナイフを向けている。もう一人はスキンヘッドにカーゴパンツ、残る一人は肩までの長髪に革ジャケット。3人とも長身で、ガタイがでかい。曹瑛も背が高いが並ぶと普通に見えた。曹瑛は3人を前に立ち止まる。


 ツーブロックがナイフを突き出した。曹瑛はそれを最小限の動きでかわす。間髪入れずに長髪が顔をめがけて殴りかかった。曹瑛はその足をすくって長髪がアスファルトに転がった。その腹に蹴りを入れる。曹瑛のブーツのつま先が鳩尾に刺さり、ぐえっとくぐもった悲鳴を上げて長髪は地面をのたうち回る。

 一番大柄なスキンヘッドが曹瑛につかみかかろうと突進してきた。曹瑛はそれを引きつけてひらりと身をかわし、肘で男の背に強烈な一撃を加えた。男はそのまま真下に落ち、這いつくばっている。

 ツーブロックがうろたえながらもまたナイフで曹瑛に突きかかった。曹瑛は伸ばしたその腕をつかみ、関節を極めた。男が情けない声を上げながら絶えきれずナイフを地面に落とす。それをスキンヘッドが拾い上げようと伸ばした手を曹瑛の足が踏み抜いた。ツーブロックを自由にしたかと思いきや、鋭い右ストレートを顔面に食らわせた。男が地面に倒れたあと、曹瑛は拳を解き、中に握っていた小石を投げ捨てた。


 あっという間の出来事だった。曹瑛はチンピラどもとは格が違った。曹瑛が振り返れば、伊織が木材を握りしめて構えたまま止っていた。

「何をやっている、行くぞ」

「助けようと思って」

「お前はそういうことに向いてないんだから・・・いやそうでもないか」

 曹瑛はフライパンで戦う伊織の姿を思い出して小さく笑った。男達は地面に転がってうめき声を上げている。伊織は木材を放り出し、大回りして男達を避けて曹瑛の後を追った。

「俺がこの街に帰ってきたことはバレているようだな。これからもっとヤバい奴が差し向けられるかもしれない。俺と行動していたらまた怖い目に遭う」

「・・・そうだね・・・でも瑛さんが危ないのに一人きりにできない」

「お前が守ってくれるような口ぶりだな」

「え、それは無理だけど・・・助けを呼ぶとかそれくらいなら」

 曹瑛は笑って頼りにしている、と言った。本心のはずはない。それは分かっていたが伊織は嬉しかった。

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