第10話 イリスの罠

 シャルナーク王国、王都へルブラント城。

 このへルブラントの守備を任されたデルフィエは頭を抱えていた。短期間に凶報がどっと押し寄せたからだ。守備軍総大将のジークとの予想では、アンドラス城、クヌーデル城、シアーズ城のいずれかが攻められると見ていた。しかし、その予想は裏切られ、全ての城にサミュエル軍が押し寄せていた。


「まさかこれほどまでに大掛かりとは・・・」


 この国の長老ともいえるデルフィエが苦悩していた。ジークから兵站の確保を始めとした支援を命じられているムネノリはその様子に困惑していた。現代でいえば中学生の年齢であるムネノリが戸惑うのは無理もない話だ。戦場よりも内政職に向いていると判断したジークは、ムネノリをデルフィエの傍に置くことにした。その方が本人にとっても学びが多いだろうと考えていることに他ならない。


「デルフィエ様・・・ここは先生に連絡してみては」


 デルフィエから見ればムネノリは孫のような年齢だ。その孫ともいえる世代に諭される。


――ここで年寄りが頑張らんでどうする。


 そう想い奮起するのであった。


「ムネノリ殿の言う通りじゃ。 さっそく早馬でジーク様と国王陛下にお伝えすることにしよう」


ーーーーー


 所変わってここはアインタール城。

 あっさりと敵城を手に入れたナルディアは、遥か遠くを見ていた。そう、敵と思われる一団が迫っているのである。


「師匠、どうする?」


 キキョウもその様子を見ながら質問する。


「まあ待つがよい。急ぐでないわ」


 二人の美少女は髪をたなびかせ、遠方を凝視している


「のうキキョウよ、あれはどこから軍じゃろうな」


 ぬぬぬと唸りながら腕を組んで考え始めるキキョウ。


「あーもうっ!ぜんっぜんわからない」


 その様子を見てくふふと笑うナルディア。


「よいか。まずは方角を見るのじゃ。今迫っている一軍はクヌーデルのある方角で違いない」


 キキョウがコクコクと首を上下に動かす。


「次に考えるのは敵か味方かということじゃ。あの数は1万程度じゃろう。敵かも知れぬし、ジークかもしれぬ。さて、どっちが正解かのぅ?」


「うーん、ジーク様じゃない気がする・・・」


「その理由はなんじゃ?」


「だってさ、うちの軍って2万しかないんでしょ?迫ってる軍が1万ってことは、ジーク様のほぼ全部ってことだよね。ジーク様がそんなことするとは思えない」


 キキョウの答えが合格点であったからかナルディアは満足そうに頷く。


「うむっ。まずまずじゃな。あれは敵と見て間違いなかろう。おそらく・・・ジークに痛めつけられた残党じゃろう。どれ、盛大に歓迎してやろうではないか」


 ナルディアは城に掲げていたシャルナークの軍旗を全て隠す。そして、城門の中にキキョウ率いる5千の兵を待機させることにした。


ーーーーー


 ジークによって手痛い敗北を喫したガルヴィンは、命からがら逃げることができた。しかし、多くの兵を失い、5万の威容を誇った軍はわずか1万となってしまった。


 失意と迫りくる火の恐怖、ジークへの怒りと様々な感情に満ちていたガルヴィンだったが、自らの居城であるアインタールが間近となり、徐々に安心する気持ちが勝っていた。だが・・・近づけば近づくほど、いつもと少し違う様子に違和感を覚えた。サミュエル連邦の軍旗が掲揚されていないのである。いつもなら自分の姿を見て、勝手に開く城門も開かない。守備責任者の怠慢にしても酷い有様である。城門の目の前に来てもまだ開かない。業を煮やしたガルヴィンは怒りに任せ叫ぶのであった。


「おい!早く開門しろ!!貴様らこのガルヴィンの顔を見忘れたか!!!」


 城内からは聞きなれない声が帰ってきた。


「残念だったな。ガルヴィンよ。おぬしの城は我らがいただいた」


 その瞬間、城内にはシャルナーク王国の軍旗が掲げられた。どうやら敵に奪われたらしい。あまりにも屈辱的な出来事にガルヴィンはわなわなと身体を小刻みに震わせていた。


「余はティアネス・シャルナークの娘、ナルディアである。精一杯のおもてなしを受け取るがよいっ!」


 高らかにそう宣言する城からは、矢と魔法の雨が自軍に降り注いだ。もはやこれまでである。


「退けっ!急ぎ離脱するぞ!」


 ガルヴィンは別の城を目指して退却することにした。その瞬間、アインタール城の城門が開く。なんとそこからは敵兵が出てきたのであった。用意周到な出来事に、ガルヴィンは急ぎ馬を駆け出す。


「待てっ敵将!このキキョウとたたかえーー!」


 敵が何やら叫んでいるがお構いなしである。無事に敵の手を逃れたときには、わずか50騎しか残っていなかった。ガルヴィンは髪を振り乱し、兜もない。人馬ともに疲労は極限状態と目も当てられない状況であった。歩兵の多くはキキョウ率いるシャルナーク軍の追撃に遭い、命を落とす者もいれば逃亡する者もいた。後続の兵を待つために待機していたが、集まったのはわずか千にも満たなかった。


 敵に背中を見せる退却戦と撤退戦は、どんな名将でも容易ではない。背後から敵が迫り、いつ殺されるかわからない。その恐怖をいかにコントロールするかの戦いなのである。武田信玄と徳川家康がぶつかった三方ヶ原の戦いにおいて、徳川家康が脱糞したというのはあまりにも有名だ。迫りくる武田軍の恐怖は想像を絶するものだったのかもしれない・・・。


ーーーーー


 ナシュレイは3千の兵を率いてアインタール城へ向かっていた。城に近づくにつれ、屍が増えていく様子は、激戦であったことを物語っていた。


 アインタール城に着くと、ナルディアが出迎えてくれた。


「ナシュレイよ、ご苦労であった」


「姫様もご無事でなによりです」


 ナシュレイは挨拶もそこそこに、ここで何が起こったのかを聞いた。無血で手に入れたこと、逃げてきたガルヴィンと戦ったこと。ナルディアの見事な手腕に舌を巻くほかなかった。


「さすがは姫様、恐れ入りました」


 驚くべきはガルヴィン追撃戦で敵の多くが討ち死・逃亡しているのに対し、我が軍の死者は百人にも満たなかったことである。ジークやナルディアといった若者の躍進は、中堅どころであるナシュレイに新時代を予感させるのに十分であった。


「ナシュレイよ、ジークはなんと言っておった?そのためにおぬしは来たのじゃろう?」


 ナルディアが用件を申せとばかりに質問する。


「はっ、ジーク様は姫様と守備を交代せよとおっしゃっております。姫様は合流地点までお越し願いたいとのことです」


「唐突じゃな・・・なにがあったのじゃ」


 ナシュレイは各城が攻撃を受けていることを説明した。


「なんと・・・承知した。早速出るとしよう。ここは任せたぞ」


「お任せください」


 こうしてナルディアはキキョウを含む約8千の兵とともに合流地点に向かうのであった。


ーーーーー


 ここはシャルナーク王国最北のハルバード城である。国王ティアネス率いる14万の兵は、無事ハルバード城に到着した。戦況は一進一退、守備兵を含めると15万あるシャルナーク軍は10万のサミュエル軍を数で圧倒していた。


 国全体で見るとどうだろうか。シャルナーク軍とサミュエル軍という立場から見れば、ハルバード城での膠着は敵の狙い通りと言える。ハルバード城で大軍を釘付けにし、手薄となったアンドラス城、クヌーデル城、シアーズ城を狙うというのが敵の狙いと見て間違いない。そういう意味では、シャルナーク軍は劣勢であった。


 ティアネスがハルバード城についてから数日後、戦況を一変する報告がジークよりもたらされた。アンドラス城を始めとした前線に敵が押し寄せているという内容だ。


「なんということだ・・・ワシとしたことが・・・まんまと敵に踊らされたというのか・・・」


 ジークが寄越した書状を見てそうつぶやく。屈辱である。しかし、そうせざるを得なかったのも確かだ。もしハルバード城を見捨てたとしたら、戦う余力があるのにあえて見捨てたということになる。国民はどう思うだろうか。間違いなく国王に対して強い不信感を抱いていたことだろう。そういう意味では、国力差もさることながら、時間差で攻撃を仕掛けてきた敵の方が一枚上手なのだ。凶報ばかりの中、一縷の望みともいえる吉報があった。ジークがクヌーデル城を見事守り切ったという報告だ。


「皆の者、ジークが見事サミュエル軍を撃退したようだ」


 居並ぶ将軍にそう告げる。


 各将が驚きと喜びを見せる中、真っ先に反応したのはメイザース将軍である。


「誠に祝着に存じます」


 ティアネスはメイザースの反応を確認してから言葉を続ける。


「ジークは、アンドラス城に応援を寄越してほしいと言っておる。我こそはと思うものはおらぬか?」


 ティアネスが一同を見回す。すると、一人の将軍が前に出てきた。


「おお、コレルリ将軍か」


「国王陛下、必ずやわたくしめがアンドラス城を死守して見ましょう」


 心意気を言葉にする。


「うむ。頼もしき限りである。3万の兵を預ける。存分に戦ってくるがよい」


 このコレルリという男、父や祖父はかつて将軍だったこともあり名家の誉れが高い家の出身である。まだ若いながらも、徐々に頭角をあらわし、軍部の中でも特に期待されている若手であった。コレルリは早速兵の編成にとりかかった。


ーーーーー


 それから遡ること数日前、ティアネスと相対するソレル中将のもとに一通の手紙が届いた。手紙の中身は、元帥イリスが記した策であった。ソレルは恭しく手紙をしまうと、夜の間に後方の兵3万をどこかへ移動させるのであった。


ーーーーー


 兵の準備を整え、ハルバード城を後にしたコレルリは実にいい気分だった。3万もの兵を預けられたのである。アンドラス城を無事に守りきり、敵将を倒せば相当な武功が見込まれる。捕らぬ狸の皮算用ともいうが、幸せな妄想は膨らむばかりであった。自分は若手の中でも一線を画す存在である。そう確信していたコレルリであったが、突然現れたジークという存在がその自負を揺るがしていた。内務長官という新設の役職に就任したかと思えば、王都守備軍の総大将に任命され、さらにはクヌーデル城で敵を撃退した。その名声はうなぎ登りである。これがコレルリには面白くなかった。自分がぽっと出の年下に劣るとなれば恥以外の何物でもない。歴代将軍という家系が、彼のプライドを大きくしていたのである。


 コレルリ率いる増援部隊の行軍は順調に進み、ハルバード城とアンドラス城の中間地点に差し掛かろうとしていた。ここはシャルナーク王国領内で、安全な場所である。その自信から、隘路に入る際も警戒することなく進んでいた。その無警戒さが命取りになるとは知らずに・・・。


 コレルリたちは、ストームバレーと呼ばれる谷に差し掛かっていた。特に何か起こるわけもなく順調に進んでいる。異変が起きたのは部隊の先頭が谷を抜ける直前であった。


「よし、いまだ、石を落とせ」


 敵将がそう命令すると、どこからともなくドドドという音を立てて巨大な岩石が多数落ちてきた。


「なんの音だっ!?」


 先頭からやや離れたところを進むコレルリにも岩が落ちる轟音は届いていた。内心は不穏な予感に満ちていた。


「お前は後方へ行き、急ぎ状況を把握せよ。お前は先頭に急ぎ進むよう伝えろ」


 コレルリは伝令に指示を出す。ここは隘路で大軍が動くことができない。敵の実態がわからない以上、ここに留まるのは危険である。そう判断した。


 コレルリは有能な将であった。もし、戦経験が豊富であったなら、このような罠に嵌ることもなかったのだから・・・。


 指示を出し、全軍の立て直しに奔走しようとするコレルリだったが、残された命数はごくわずかであった。


「いまだ、攻撃せよ!」


 上空から矢の雨と魔法によって作られた火矢や氷矢などが降り注ぐ。


「う、うわあ、助けてくれ」


「ぐあああああ」


「ぎゃあああ」


 兵士たちの阿鼻叫喚の声がストームバレーに鳴り響く。コレルリも例外ではなく・・・


ヒュンヒュン、ズドッズドッ


 矢の飛来する音と身体に矢が突き刺さる音が入り混じる。


(俺はこんなところで死んでしまうのか・・・くそっ)


ズドッズドッ


 コレルリの身体から大量の血が失われていく。


ゴフッ


 内臓に溜まった血が口から溢れ出る。


(ああ・・・父上、祖父様・・・不肖の息子をお許しください。フィオナ・・・俺の死を乗り越え、強く生きてくれ)


 突き刺さる矢に馬も耐えきれず倒れる。コレルリは馬から投げ出される格好で全身に矢を受け息絶えていた。享年29歳。これからシャルナーク王国を背負うであろう若き英俊の死であった。


 先頭を進んでいた兵たちは生を求めて谷を全速で駆けている。彼らはストームバレーを無事に抜けることができた。しかし、その先には地獄が待っていた。そう、多数の敵軍が谷の外で待ち受けていたのである。ある者は敵に向かって突撃し、ある者は武器を投げ出し地面に座り込み、ある者は降伏と叫ぶ。混乱はいままさに限界へと達しようとしていた。


 その一方、ストームバレーに入ることができなかった兵たちは、突然の落石によって先行する部隊と分断されてしまった。自らの軍の指揮官の安否すら把握できず、右往左往する。


「お前たちの指揮官は討ち死にした!」


 この一声で残された後続の兵たちは退却を決断するのであった。


ーーーーー


 ハルバード城で睨み合うティアネスのもとに報告がもたらされた。


「申し上げます。コレルリ将軍、御討ち死にっ!」


「なにっ!?」


 ティアネスは立ち上がってカッと伝令を見据える。


「兵はどうしたっ!」


「まもなく5千の兵が戻って参ります。そのほかの兵は・・・不明です」


「なんということだ・・・」


 急に力が抜けたのか、ティアネスはすっと座り込んでしまった。


「国王陛下っ!どうかお気を確かに」


 メイザースが声をかける。


「あ、ああ・・・すまない」


 気力を削がれたティアネスのもとに新たな凶報がもたらされる。


「今度はなにごとじゃっっ!」


 部屋に入ってきた伝令に怒鳴り散らすように用件を聞く。伝令兵は突然の剣幕にビクビクしながら報告する。


「も、もうしあげます。アンドラス城、落城とのことです」


ダンッ


 肘置きを叩く音が部屋中に響いた。伝令に訪れた兵はすっかり涙目になっている。


「ふう、驚かせてすまなかった。詳しく述べよ」


「は・・・はひ・・・。ア、アンドラス城ですが、敵軍の猛攻に遭い、2日で落城しました」


「なっ・・・たった2日だと・・・」


 このままでは倒れてしまうのではないかという勢いでティアネスは頭を抱える。


「敵将は誰だ」


 すっかり元気を失くしてしまったティアネスは蚊の鳴くような声で質問する。


「敵将は中将マクナイトとのこと」


「そうか・・・」


 ここを守り抜くことはできないと悟ったメイザースは退却を進言する。


「国王陛下、申し上げてもよろしいでしょう?」


 ティアネスは力なく頷く。


「もし、アンドラスから兵が繰り出されれば、我らは挟撃されてしまいます。口惜しいですが、撤退のご決断を」


「うむ・・・皆の者、撤退じゃ」


 居並ぶ将軍は頭を下げると各自撤退の準備に入った。こうしてシャルナーク王国軍は、ハルバード城の放棄を決断し、撤退を始めるのであった。


ーーーーー


 ハルバード城を攻める大将ソレルのもとには吉報が舞い込んでいた。敵の援軍を完膚なきまでに倒し、そのうえアンドラス城を落とすことに成功したのである。


「ふはははははは、これはめでたい。あれを見よ」


 すっかり上機嫌となったソレルはハルバード城を指さし、配下の将官に話しかける。


「敵が撤退を始めている。これでハルバード城も我らのものである」


「大将閣下、ぜひ追撃を」


 ソレルは首を振る。


「敵はまだ我らより多くの兵を持っておる。仮に勝つことができても我らの被害も甚大だろう。追撃はせぬ。また、これは元帥閣下の命令でもある」


 サミュエル連邦、元帥イリス。歴戦の武人にしてサミュエル連邦の双璧と呼ばれる男だ。政のニクティスに武のイリス。この二人が健在であるうちは強国ウェスタディアでさえ手出しできないという。シャルナーク王国にとっては忌々しいこと極まりない名前だ。イリスの関わる戦いは全戦全敗、シャルナーク王国の領土縮小に多大な影響をもたらしている。今回もまた間接的にもたらされたイリスの策によって敗北を重ねるのであった。

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