おまけ1改造人間マチルダ・マザー4

 日々の適確な指導のお陰で、少しずつ戦い方も分かるようになり、魔術の使い所もどうやら亀の歩みで上達しているらしい。


 正直な所、この頃はかなり心身共に疲れ果てていて、魔力は筋肉や体力と違って、鍛えても鍛えても基礎値が底上げされることもないので、とにかく今日は息抜きをしたくて、車輪さんの制止を振り切ってでも、普段している買い出しに来てしまったのだ。


 会計を済ませてその帰り。もう空は暗くなりかけていて、うっすらと赤い空が次第に暮れていく様子を見せていた。

 そうして呑気に日常の暮らしの喜びを感じながら、買い物袋に持たされた手提げに入った物資を運んでいると、前方に最早見知ったといってもいい、赤青の野球帽に体育着の短パン少女に遭遇した。


 ・・・・・・・・・・・・いつも唐突な登場だこと。


「やあ。相変わらず元気そうだね。――――うん? 疲労しているのに元気だなんて、ぼくの目は節穴かって? いやいや、君の目が輝いている。それが何より生活が充実している証拠さ」


 今日はこの間の反響的な声と違って、普通に話しかけて来る。

 ――なんの用だろうか。やはりちょっとは警戒してしまう。


「ははは。そう警戒しなくても平気さ。君は反転の可能性も秘めているが、今はディストーションではない。――尤も、君の魔眼は世界さえも滅ぼすほどの神秘なのだけどね」


「私にそれほど強い力はないわよ。それにそんなことしたくもないし、ユーリのお陰で暴走の心配もない」


 そういうと彼女はくすくすと薄笑いを浮かべる。皮肉屋という名前がホントにピッタリだ。


「世界は乗り越えられるべき壁なのか、それとも可能性とは潰えてしまうものなのか。さて、君の魔眼はまだ君には過小評価されているのにも係わらず、君の能力は次第に向上していくみたいだね」

「・・・・・・そりゃ、どうも」


 ふふっと今度は本当に楽しそうな笑い。


 ・・・・・・どうでもいいけど、この子はホントにコロコロ表情が変わるのに、彼女の希薄な存在から感じる気配は、ずっとそのままで全く変わらない〝無〟の状態なのだから困っちゃうのよね。


「君の眼はね。概念さえ把握出来るのなら、神様でも宇宙の原理すら、崩壊させてしまえる稀少種なんだよ」

「・・・・・・・・・・・・」


 把握する概念がない存在がよく言いますよね、と思っていたが私は反論せずに黙っていた。


「うん。それは分かっているさ。でもね、概念の把握は構成要素といっても、成分分析みたいに粒子の成分表が出て来る訳じゃないのは、君も良く知っているはずだ。直感的なスキルとしての神秘だからね」


 直感としての神秘。

 それは情報というよりも、寧ろ対象のあるべきカタチ、現象的な作られ方を、感覚的にビビッと見てしまうものだろう。


「ふふ。でもそれはあまり表に出さない方がいいだろうね。少なくとも虚実機関の中で共有する分にはいいが、魔術師協会などに知られないように気を付けたまえ。君も本場のロンドンに行って、落書きの架け橋グラフィティ・ブリッジを拝むこともあるだろうからさ」


 グラフィティ・ブリッジとは魔術師の総本山の名称だ。

 何でも表向きには、魔術を自由に研究し、全ての人間に全ての魔術の研究が開かれているという体だからだそう。

 これは紀美枝先生に以前聞いたから知っているのだけど。


 しかし魔術師は本来、誰もが根源としての真理を求めていて、非人間的な研究をすることをも厭わない性質のものだ。

 だからかシン・クライムも、そこでは禁忌の研究をしていられたとも言えるのだが、それよりも頭がおかしいんじゃないかって研究も多いと聞くしなぁ。


 大体が、元々そういう真理探究は、プラトンのイデア論に端を発すると聞く。

 神秘・現象・物質界。そして世界の果てか向こう側にある、全と一。錬金術との関係も深いとも聞く。それと神秘学などとも。


 魔術師とは言ってみれば、大多数が日常を便利にする研究をしているようで、この宇宙原理を超え出た世界への希求が、真の魔術師としての探求に他ならない。


 それに私の魔眼が公に知れてしまえば、確かに研究材料にされたり、なんだったか、危険指定だか特殊認定指定だかという名前だったかを受けてしまいかねないもの。


「ふむ。大凡は分かっているか。でも、魔眼は本当にレアな神秘だ。それも君の代物は、本来の君の器では受けきれないほどの、超級のレアな魔眼だからね。それは祝福にもなれば呪いにもなる。異界からもたらされると考える研究者もいるようだが、さて」


 思わせぶりな言葉を言って、本当に楽しくて仕方がないと、私の境遇が色々な意味で嗤えるとでも思っているのか。


「世界は脆く崩れやすい。ディストーションとしての可能性はどこにでもあり、誰でもがそれになり得るんだ。そして、ディストーションこそが新世界の為の、来たるべき進化の過程としての存在なのだろうか」


 ディストーションを倒す立場の原理がそんなこと言っても、空虚にしか聞こえないのだけどね、と私は少しばかり苦笑してしまう。


「まぁ、生命の根元のカタチをどうこうしようとした彼が作った組織だ。今の管理者はそんなことは望まないだろうが、君達の機関はいずれその世界と生命との根幹に関わる何かとの対峙を余儀なくされるだろう。それはぼくには関係ないことかもしれないから、他人事として一言お話させて貰っただけだがね」


 そういうと、イニュエンドゥは帽子を深く被り直してから、後ろへ振り向き、私に背を向けるなり、別れの言葉を述べる。


「ああ、時間を取らせてしまったね。でも君は自分の可能性をもっと重大視してもいい。空間認識がもっと深まれば、自ずと君のその危険性も自己認識出来るだろう。反転の可能性に出逢わなければ分からないこともあるとはいえ、ね」


 飛び上がり電柱から電柱に器用に移動しながら、最後には木霊の様な声で、


「ふふふ。ではね、空くん。君はどこかで君の大事なものと遭遇し、また機関での身の振り方を再考させられる時が来るだろう。それまでは、そのオプティミズムに溢れた君のそのあっけらかんとした生き方は、どうか尊重されるよう祈っているよ。それは誰からも侵されることのない、貴い君の美徳だとぼくは思うとは言ってもバチは当たるまい」


 微笑と共に呆気なく、いたって爽やかそうに去って行く彼女だったので、私はボンヤリとそれを見過ごすことしか出来なかった。


「――――なんていうか、ホントに自分の言いたいことだけ言って、こっちのことなんてお構いなしに消えちゃうヤツよね。まぁ、別に私自身あいつと喋ってても、気楽にその話を聞いてられるのも確かだけど。うん、今は考えずに心の片隅に記憶しておこう」


 いずれ向き合う時期は来ると、確かに彼女は言った。

 それが皮肉だとしても、だからそれと直面して、自分自身をもう一度直視しなければいけない時が来るのなら、その時に問題について真剣に取り組めばいい。


 今は今で必死に生きているだけでいいんだ。そう、いいんだよね。



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