エピローグ2

 カタカタと机上ではキーボードを叩く音がする。


 昨今はキーボード入力が必要とされなくなって来ているという声も聞くが、彼女自身は未だにフリック入力などよりもこちらの方が慣れている為、幾分か気分上好ましく思っている節がある。


 だからこそ会社員は、パソコンに触ったことのない人間に、キーボード入力から訓練させるのも難儀だなと思うのだ。

 フリック入力からの出力も認めれば楽だろうにな、と。


「おーい。帰ったぞ。ってまた引きこもってんな。外に出てもここは別に誰も知り合いもいないだろうに」


 要は帰宅すると、彼女の妹にここ数日はとにかく煩く言われるので、手洗いうがいをするのだった。

 彼女の特性上、そんな心配は何もないと思うのに、慣例を重んじる妹にはそんな言い訳は全く無効だ。


「しっかし、そんな小説なんて書いてホントに暇してんのな。ちゃんとイデア編集長に口利きしてやったんだから感謝しろよ」


 画面から顔を上げて、要の妹――暁紀美枝は端的に答える。


「ああ、イデア・フェアヌンフトさんにはペンネームも考案して貰った。それに覆面作家としてやっていく心構えもご教授して頂いたので、これからも世話になるだろう。・・・・・・それを何故君が我が事のように自慢気に語る?」


 一口紅茶を啜って、紀美枝は彼女の姉を静かに見据える。


「ははー。そんなんだから空ちんも難儀するんだな。気楽にいけないもんかねえ」

「気はいつも引き締めておくと、急な事態にも慌てることはない。備えは常に万全に。突発事態には、冷静に自らの可能な行動を迅速に、だ」


 牛乳を飲んで、右から左に流しながら、ほー阿呆らしいほど真面目ちゃんとはあたしは合わねえな、とボソリと言う。


「しかし、君はまぁ、その性格で仕方がないだろうが」


 呆れているのか、一目置いているのか、という風に溜め息を吐きながらも、要の巨大さに何も言えないとでも言いたそうだ。


「君はそれで油断が出来ない、と言った方が適確だものな。だが凡人は違う。努力の果てに天才の成し遂げられる僅かの秘蹟を達せるのみだ」

「空ちんに会いたくねえの、紀美枝?」


 そう説教でも始めそうな気配をいち早く察知して、要は相手の急所をすぐに突いていくのが、自分の不利な話は自然にさせないでおこうという性質か。


「――――。ああ、そうだな。別れの言葉を言えなかったのが悔いではないと言えば、嘘になるな。せめて笑顔での別れをと言いたいが、我々はそんな悠長な世界には生きていない。私もあまり上手くやったとは思っていないよ。あの子のチャンスにノイズは入れずに置いたつもりだが」


 ふう、やだねえと呟く要。

 こいつらはホントにそうやって遠回りばかりするんだもんなと、嘆きなのかこちらも呆れているのか。


「そりゃあ師匠が師匠なら、弟子も弟子だよなあ。見方を変えるやり方を知らんのか」


 ――だが、それだからこその、あの子があれだけ自分の欠落を重荷に感じずに済むのかもな。

 ニ、と意味ありげに笑い、ちょっと意地悪な質問をぶつける。


「そいでさ、ホントのとこどうよ? あの子マジに誰が死んでも痛がっても淡々としてんの?」

「そんな機械人間みたいな言い方はよせ。悪意を感じるぞ」


 ニヒヒとまたも嫌らしい笑みを浮かべ、そりゃあ意地悪してんだもん、と彼女の姉はあっけらかんとする。


「――いや、しかし君の疑問も尤もだ。彼女はあまりにも魔眼の形に囚われすぎているんだ。だから構築よりも崩落に興味の本質はある」

「はー、なるほど。魔眼が性格にも影響あんのか。でも、そんな感じにも空ちんは見えねえぞ」

「・・・・・・知っているというのに、君はそうやって嫌われる様なことをするな」


 ふう、と眼鏡を一度外し、眼鏡拭きで綺麗にしてから、もう一度掛け直し、紀美枝は話し始める。


「いいか。それがヒトのストッパーというものだ。だからあの子のあれは、ある意味では欠落ではないとも捉えられる。つまりは感情が負に向かいすぎないように、調整をしている訳だ」


 いやだが、確かにあの子は理解もされないが、されるつもりもないだろうがね、と前置きして、


「だから魔眼の行使の方が、自然に気持ちは落ち着いて戦えるはずだ。それでは体中の回路が保たないから、ああやって無自覚の防衛本能が働く、ということだな」

「戦ってばっかだと摩滅する、ってか。まああの子の器は小さいのに、巨大すぎる才能を持っちまったもんな。――それは、確かにきつい。全力で走って百メートル十秒のヤツが一秒で走らされるくらいきつい」

「おかしな比喩を使う。第一下手くそだ。だが、そうだな。溢れすぎるほど、巨大な魔力の資本をあの子は必要とするのは本当だ。それ故に、やはりタイミングと進め方を一方的に押し付けて来たエクスペリエンスには逆に感謝すべき、か?」

「知らねえよ。あんな予言者気取りのドラマーなんざ。あいつこそホントにフラフラしてやがんな。王様の計画とやらはどうなってんだか」


 また一口飲む紀美枝。少しミルクティーだと今は甘すぎるか、と心の片隅で彼女は思う。要は続けて水をガブガブと飲んでいる。


「そう言ってやるな。あの男は自堕落こそ生き甲斐にしている輩だ。あれで王様とやらには中々貢献しているらしいぞ。まあ、とにかくあの子のことは、君にも時々世話になるかもしれんが、君も偶には休暇を貰うべきだから、帳尻は合うのではないかな」


 ふん、と鼻を鳴らして要は椅子に座る。


「あたしのことはいいんだ。仕事はちゃんと選んでるつもりだしな。NPGもあたしは好きにさせてるようだしよ」

「――なるほど。そんな風に出来るのは君と後一人くらいのものか」

「ハッ。ss君と一緒にすんなよ。あんな迷子みたいな阿呆とな」


 バリボリと今度は醤油煎餅を食している要だが、それには取り合わずに紀美枝は原稿に戻ろうとする。


「ま、好き放題出来る内が華よ。紀美枝もそれ、やれる内に満足行くように頑張んな」


 さーて今日は焼きそばでも食うかー、とふざけた調子で、残りの煎餅を一気に噛み下して、ハイウエイ・トゥ・ヘル~と楽しそうに台所に行ってしまう要。


 紀美枝は、しかしあんなのでも姉だ、世話にもなっているしな、一度まともな食事でも作ってやらねば、と不節制な姉を見て思うのであった。


 ――空はきっと大丈夫。あの子は世界に対するアンチテーゼであっても、ディストーションにはなるまい。


 歪みであっても、世界と折り合いが付くものも、またディストーションとは違う可能性にもなり得るのだから。



“The strange relationship between The Evil Eye’s Girl and The Noble Witch “ closed.



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