第8章ラヴァーズ・エンド4
渦の黒さが至近距離だと、更に禍々しく見えてしまう。これはもうはち切れそうな危なさだよ。
既に彼の固有魔術式は起動し始めているのか、その周りに小松さんの姿の吸血鬼が沢山集まっている。目の部分が窪んで泥が流れている犬猫もまた大量に。
それがこちらを視認する前に臨戦態勢に入る。私はもう既に眼鏡を取っているのは、暴走する危険性が少なくなったからと判断している為。
どうやら〝疾走〟の方も掛かり方が倍加されているようで、凄く体が軽く素早い身のこなしになっている。
襲って来た虚ろな動物ゾンビをまず一太刀して、次も即行で薙ぎ払う。
隣では水の連射で次々に動物ゾンビが消されていく。
これが舞先輩の戦い方で、私よりも戦力的にも火力的にも大きいのだろうと思われる効率とスピード。
各自散開して、ユーリをまずあちらに届けなくてはならない。なので、無限に湧き出てくるのではないかと思う敵を、とにかくバッタバッタと薙ぎ倒さなくては。
「グオオオオオ!!!!」
咆吼を上げて、最早それは人間のそれでもない小松さんの姿が超速で襲う。
だが今回は式神のサポートもあるのにも増して、それ以上に私の動きが格段に速い。
シュッと避けて、続けざまに少し心は痛むが、彼女の体ではないと分かっているので、ナイフを入れて解体していく。
ザシュッという音がしても、血はまるで出ない。代わりに泥がグチャグチャっと流れ出すのが、やはり慣れずに気持ち悪い。
微妙に液体のように変わっている気もするのが、気持ち悪さを増加させている。
数体を一人で相手にしないといけないのもあるから、こちらも巧みに攻撃をしていく。躱して裂く。そして、魔眼で潰す。
グッと少し鈍い痛みが眼にあったようだけど、そうダメージはなく、反転しそうな酩酊感も起こらず、これならいける、とガンガン使えそうな勢い。
「なるほど。空さんのそれは封印指定になりそうな代物ですね。報告はしておきますが、機関の人間では抹殺対象にはならないでしょう。面倒な相手は私も御免ですが」
器用にこちらを観察しながら、もう人間業じゃないのかってくらいに、凄い速さで水の攻撃を繰り広げる舞先輩。あれに聖化の作用が込められていて、ゾンビ共を一撃で浄化しているのか。なんだか、先生のこのナイフと同じみたいで少し笑っちゃいそう。
っていうか、私は敵対の意志はまったくないのだから、教会から目を付けられるのはホントに勘弁して欲しいな。
「ああ、もうキリがない。少し離れながら、あっちに行くわよ。〈フラクチャー〉を切れ目なく展開する!」
ユーリも焦りがあるのだろう。かなり切迫した声だし、あの固有魔術式を全開で今は使うようだ。
それにしても、ユーリは簡単に使えないみたいなことを前は言っていたのに、私にこれだけ魔力を分けても尚、私の内側から感じる感覚としては、無尽蔵に溢れるユーリの莫大な魔力は尽きそうにない。
――星の魔女。それはなんて恐ろしいほどの底知れない力を持っているのか。それが今正にまざまざと見せつけられた気分よね。
「ああ! 泥の量が増えてるわよ。あれもう完全に起動しそうなんじゃないの?!」
私が向こうを指差して叫ぶと、二人も一緒に叫ぶ。
「くっ! リミットはもうありませんよ。こちらの概念武装も展開します!」
「待って! ソラ! 魔眼をあっちに向けて撃てないかな? あれから供給されてる魔力が、あんなにゾンビを生み出す元だと思うのよ。だからあれに少しでもダメージを先に与えられれば――」
う~。簡単に言ってくれますよ。こうしている間も、ゾンビとの命がけの死闘は続いているのに。
それに数が多すぎて、式神のサポートがあっても、かなりこちらもいっぱいいっぱい戦闘状況なのよ、ホントに。
「〈フラクチャー〉の範囲を拡大するわ。そこのを全部どけたら放てるでしょ!」
「そんなビームみたいな――。でも分かったわよ。やってみる。でも全開で撃ってもホントに大丈夫なのよね?」
「それは保証する。私の魔力を全部持って行ってくれてもいいから!」
――全部だなんて。食い散らかせるほどの魔力を私が使い切れる訳ないの分かってるだろうに。それだけの太鼓判だと言いたいのよね。
バリバリとホントに彼女の固有魔術式は、射程に入った敵を無差別に爆散させていく。これはどういう作用なのか分からないけど、凄く危険な攻撃方法だろう。だからそれだけ高度な魔術なのだから。
――いいえ。私もあれの射程範囲に入らないように気をつけないと。だってあれ、内側から膨らんでいってから、ドカーンと破裂するみたいで、なんだか凄く薄気味悪いんですもの。
仕切り直す気持ちで、今度は本気でやろうと、私も魔眼に集中する。
あの渦を〝崩壊〟させるイメージを上手く持つのは難しい。でも泥が弾け飛ぶくらいの形で頑張ってやるつもり。
黒い眼がグルグルとあの黒い渦に向けて、魔眼で捉え始める。
――バチバチと火花が散るかのように、シナプスが過剰に繋がったように、かっかと頭が物凄く熱い。
でも耐えるのよ。ここが正念場。これで全てを崩壊させて、あれを消滅させられる。
渦がグチャグチャに歪んでいき、先程の咆吼の様な声がそこからとてつもない大きさで聞こえて来る。
これは・・・・・・どうなったの。成功かしら?
中心部が崩れそうになりながらも、その時ドロッとした塊が外にムワっと溢れ出してしまう。
咄嗟に払おうと、ナイフで一つ払う。全員の頭上に降っているはずだけど、皆は大丈夫なのかな、と変に他人のことが私の頭には過ぎった。
カランと音がするので、見るとナイフが転がっている。
――――あれ? 今まで持っていたはずなのにな。どうしたんだろう。落としちゃったのかな。
と空白になりそうな空っぽの頭で何気なく腕を見ると、右腕の先がない。ないのだ。まったく消えて無くなってしまっている。
「――――ッ!!!!」
叫びそうになるも、そこは綺麗に切断されたように溶かされていて、熱でやられた訳でもないから熱くもなく、麻痺してるのか不思議と痛みはなかった。
冷静にならなきゃと思うも、体の部位が消滅したことにパニックになりかけていた。
それも私の心配は自分の体を案じるのではなくて、これではナイフが振るえない、というもの。
落とした所に取りに行き、左手で拾うというのも、まるで頭の片隅にもなく考えられなくなっていた。
そ、そうだ。と二人を見ると、案の定全然無事。
水のバリアを大きく展開して守っている舞先輩と、〈フラクチャー〉の結界がユーリを完全にそれから遮断しているのを見届ける。
――良かった。単純にそう思った。
これならまだ。いいえ、でも敵は今静かになっているけど、あの渦から黒いどす黒いグロテスクな液体すらも流れ出している。これは二人も茫然としているが、舞先輩の秘密兵器も駄目なのだろうか。
――ふふふ。ああ、だから刺激しない方がいいと言ったのにね。
どこからかクスクス笑う様な、面白がっているのか、他人を嘲笑っているのか、そんな飄々とした声が聞こえて来る。
――でもまぁ、これはぼくの忠告も悪かったかな。起動してしまったものは、もう通り過ぎてはくれないからね。読みは外れてしまった。いや、だからこそアレはもう『ディストーション』なのだけど。
この声は?!と思う間もなく、ハッといつぞやの女の子を連想した。そう、この間もそのことを思い出していたっけ。
見ると空中に浮かぶ体操服で赤青のキャップ帽の彼女。
子供なのか大人なのか分からない背丈や体型。
だが、あれは紛れもなく世界を歪みへと向かわせるディストーションに対する、アンチテーゼとしての死神だ。
――さあ、だからこそのぼくの仕事だ。君達にも被害はあっただろうが、彼もまた暴走するのは本意ではなかったんじゃないかい。楽にしてやらないとね。
そう言い、体に巻き付いている鎖をシン・クライムに向かって、その異空間に繋がる泥の渦へ投げていく。
渦は爆発するように、悲鳴をあげるような具合に、その黒いエネルギーの様な泥を、イニュエンドゥに向かって放出する。
――――だが。そのいるのかいないのか稀薄なそれには当たることはなく。
ただ素通りするだけで、何のダメージもなく、更に黒い鎖の締め付けはきつく、その泥の渦の周りを取り囲んでいく。
「グオオオオオ!!!!」
叫び声を上げて、次々に小松さんゾンビのシン・クライムの大群が、イニュエンドゥに向かって攻撃していくが、スカスカと攻撃は空を切るばかり。
――ああ。悪いね。ぼくはここに本来はいない現象なのだよ。以前は見えない人も多かったくらいなんだよ?
鎖の展開はまだまだ広がる。シン・クライムの群れにも巻き付いていき、それが締めるとドロドロと彼らが忽ち崩れて溶けていく。
私達の攻撃よりも多くを相手にして、更にこの即効性。凄すぎる。
黒の鎖は無尽蔵にあの服の中から出て来るように見えた。あんな軽装の体操服みたいなふざけた恰好で、下半身も無防備な半パン姿の少女だと言うのに。赤青のキャップすら、相手を嘲笑しているみたいだ。
――ふふ。ぼくにそんなケチを付けても困るというものだ。何故ならぼくもまた、好きでこういうカタチになっているんじゃないからね。
まるで心を読んだみたいに、それも楽しそうに彼女は淀みなく返事をする。
好きじゃないと言いながら、この歌う様な口調はなんなんだろうか。
そして、その間も徐々にシン・クライムの術式は消えていくようで、彼の咆吼は最早風前の灯火だった。
――ぼくはただこうあるだけなのだからね。君達みたいに自由というのがない身なのが辛い所だね。いや、君らもまた、同じ穴の狢、かな?
まだまだ楽しそうな彼女は言っていることとその声色がマッチしない。更に続くのがこの屠り方なのだから。
「嘘でしょう。あれだけの数が一気に消えて行って、魔力の観測も低下していきます! これなら・・・・・・!!」
舞先輩が驚いている。
恐らく舞先輩の秘策でもここまですぐにやれるものでもなかったんだろうから、イニュエンドゥという笑いが絶えない頓狂な存在には、皆心底驚いているのだろう。
まるで世界のルールの外から現れるジョーカーカードのよう。
――ふむふむ。そろそろ君のアビリティを使える状況になって来たよ、魔女さん。どうする? ぼくが始末を付けてもいいのだが。
「――!! ええ、やるわ。ソラ、わたし、あの子を今自分の手で・・・・・・」
「うん。私も付いてるよ、ユーリ! 大丈夫だから。あれはもう弟さんじゃない。弟さんの良かった時の思い出は、ずっとユーリの中に生き続けるはずよ!」
声を張り上げて、私はユーリを精一杯励ます。虚無的な女が何を言うのかって感じだけど、でもとにかく言葉は掛けないと。
そう言う間に、ユーリの〈ムーン・サファリ〉は傍に近寄れた為に、渦の中心に手が入り(あれって手が蒸発しないのかちょっと心配)、強く眩しい光が溢れていく。
あれはユーリの能力で、あの黒い渦の構造が変化していく予兆なのよね、きっと。
しかし、これで。
ようやく彼の胸元に、彼の魔術の存在の、現象となっている元の中心に手が届いた。
「ありがとう、ウンベルト。貴方は間違えたわ。だけれど、志だけは間違えてはいなかったのよ。だから世界に笑顔が満ち溢れるように戦っている人達は、今もずっと世の中に溢れるくらいいるんだから」
つ、とユーリの目から涙が流れていた。
そう、これが彼女と弟のさよなら、お別れの時だ。
姉弟の間にあった愛が終わりを迎える時。
「さようなら。私はこれからもきっと大丈夫よ・・・・・・」
光が一層大きくなり、霧のように辺りを覆っていた、あの黒い渦が綺麗に晴れていく。まばゆい光に、私も目を覆うが、その光こそがユーリの力の強さを物語る。
静かな夜が徐々に戻るように、周りの個体群も霧が晴れるように、先程までのグロテスクな消え方ではなく、粉々の塵となっていくのが見える。
私はその時に、本当に小松さんの死が、緊張の糸が切れて、その本当の死のイメージで急に強い実感に襲われた。
その時の私は恐らく、大粒の涙が目から溢れて止まらなかった。
・・・・・・全ては終わった。だがあまりに代償は大きかった。先生、小松さん、そして町の動物や色んな被害者。
――事後処理は確かに大変だろうね。だが、ディストーションの脅威は去った。後は人間達の時間だね。機関の君はその後始末にも追われるだろう。ご苦労なことだ。
まるで他人事のように――実際彼女には関係ないのだろうが――終わった途端呑気な笑い声が聞こえて来て、正気に戻ったのはどれだけの時間が経ってからだっただろうか。
・・・・・・小松さんはもういない。それを歩にどこまで話せばいいのか。そして、これから私は機関でどう身を振らされるんだろう。
――世界の歪みはどこにでもあるものだ。またぼくらは会うこともあるかもしれないね。
どうでもいいことのように、しかし自嘲しているのか他人を嘲笑っているのかよく分からない様な、そんな朗々とした言葉を私は聞く。
――だが、そう。人が人である限り、ディストーションがこの世界の
そ、と徐々に彼女の気配が消えて行く。まるで仕事が終わったので、家に帰るよとでもいうみたいに。
――しかし、心を折らないことだよ、紅空くん。頑張っていれば、いずれは何かが交錯して、君の、そして君の周りの誰かの可能性は開けて来るかもしれないからね。
そう言い残して、本当にあの皮肉屋はいつの間にか、姿も消えており、ようやく静けさが戻って来たのだった。
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