~interlude1~

「・・・・・・こんなものか」


 暁紀美枝は、早々にあちこちに空いている泥が漏れ出す為の、シン・クライムの魔術式の穴を、処置して回っていた。

 実際に紅空とユーリという魔女が戦っている間に、こちらは出来るだけこうやって、敵のやり口を潰していこうという訳だ。


 しかし、巧妙に偽装しながらの行動だ。襲われる確率を少しでも下げるように。


 暫しの間、作業が終わると紀美枝はくだんの彼の予言に思いを馳せる。

 曰く、あまりに深入りせずに、彼女らを危険にしても自分は身を隠す方が、結果的には全てが上手くいく、と。


 奇妙であり、また紀美枝も彼も人生が決定論に支配されているとも、定められた運命を受け入れようとも思っていないのだったが、だが彼の“体験”する予言はある程度信用していて、活かすことは出来る。そう紀美枝は結論づけていた。


 尤も、あの泥の化け物はどう処理されるのか、機関でもこちらの失敗があれば、対処は早々にするだろう。

 NPGに報告するまでもなく、どこかで情報は拾うはずだ。


「君も苦労が絶えない人生だ。それでは退屈ではないかい。姉のように自由に生きたい、そんな風に思わないか」


 どこから中性的な、それでいて突き放しているのか気に掛けているのか分からない様な声が、上下左右どの辺りから聞こえて来ているのか定かでない、茫漠とした音響で耳に入る。


 しかし、紀美枝はその影――影としか言いようがないほど、それは輪郭がはっきりせずに、イメージとしては何か運動着の様な物が想起される恰好が、紀美枝の頭には浮かぶ。


 右左で色が違う、赤と青のキャップ。そして腰に巻きつけている鎖。

 それらはハッキリ識別出来るのに、その顔が微妙に見えない。

 気配もどこかにはあるのに、ハッキリせずにどこにもいるようで、どこにもいないかのようだ。

 そして長く覆う様な、白黒の影がそのボンヤリとした姿を映し出す。


「・・・・・・・・・・・・」


 紀美枝が黙っていると、その存在はふふふと楽しいのか悲しいのか判別出来ない、奇妙に歪んだ顔で笑い、話し掛けて来る。


「いや、ぼくは敵ではないよ。と言っても、味方というんでもないが。君と少し話がしたくてね」

「・・・・・・何の用だ。私は忙しい」

「そんな風だと疲れてしまう。まぁ、いいだろう。ぼくはイニュエンドゥ。君には少しこの町にいる原理を超え出ようとする存在を、ぼくが感知したことを伝えておきたくてね」


 ふん、と眼鏡を合わせて、紀美枝はイニュエンドゥを見据える。


「泥はあんな対処では追いつかないのは、君も承知しているだろう。そしてあれは指向性を持った“災害”だ。とても魔術師程度に手に負えるものではない。既に原理の中のエラーとなってしまっているからね」


 と一呼吸置いて、くすくすと笑うイニュエンドゥ。何がそんなに笑えるのか、紀美枝には理解出来ない。


「そして、改造人間にもね。ああ、すまないね。君達を嘲笑っているんじゃないんだ。あの魔術師の怨念の様な精神は本当に面白いと思ってね。彼女だったら、あれは邪悪だが、しかし別の形ならば、世界の則を突破して、新たな法則に手が届くかもしれない、と言うかもしれないな」


 黙って聞いていると、自分の言いたいことを一方的に話すヤツらしい。

 まぁ、別に聞いてやっても構わないが、と紀美枝は少し重々しく気分が沈み込むのを感じる。


「だが、君はかの悪魔の太鼓叩きくんの忠告通り、この件からは早々に手を引いた方がいい。どっちみち、あれは刺激しなければ、それほど脅威ではない」

「・・・・・・しかし、この町の担当である我等は、あれを放って置く訳にもいかなくてね。君の言葉はありがたいが、しかし勿論私にも思惑はある。そして、まだその時ではない」


 ここで紀美枝は明確な言葉をようやく発する。

 その赤青帽子は、またも奇妙にちょいと口元を歪ませて笑う。


「ふふ、そうか。そうだろうね。人間はいつも嫌なことから逃げてばかりもいられない。ましてや虚実機関の人間なら尚更だ。だが間違いなく、予定通りにことが運んでも、あれの暴走を引き起こし、こちらにも被害は出ることはわかっているんだろう?」

「承知しているつもりだ。君は何もリスクもなく、彼らと戦えると思っているのか」

「そうやって覚悟を決めていても、その渦中にいるとまた違うものだよ。運命を乗り越えようと思えば、強い勇気が必要だ。時にはそれが自分自身の決めたレールからはズレた形の在り方でも」


 ふ、と失笑を漏らしてしまう紀美枝。

 尤もだが、あまりにも非現実的な物言いにしか聞こえない。

 それならば、どちらにしても我々にはそれは死ねと言っているのと同義だ、と紀美枝には思えるからだ。


「ああ、だから大丈夫だ。君には運命から守る術があるし、彼女らはまだ糸は切れていない。世界とは危ういバランスで成り立っているが、そうそう壊れることもない。そういうものだよ」

「・・・・・・・・・・・・」


「と言っても、呑気な彼女はもっと危機感を持たなくてはいけないな。その為には、早く君の決断がある方がいい。君にはまだまだ仕事は残っているが、ここでやれることはもう何もないと言っていいだろう。後は、君のお姉さんに聞くのが賢明だと思うがね」

「ふむ。それも忠告、かな? 私はタイミングを計っていたつもりだが、些か遅きに失したということか」


 ふむ、とまた紀美枝は呟く。

 そうか、と漏らしてからまた独り言のように話し出す。


「なるほど。全てのピースが揃ったと、こういう算段か。だがまぁ、それなら準備は進めよう。君は確か自動的に超え出ようとする存在を抹消する、それだけだったな」

「ご名答。ぼくには意志などないからね。ただ仕事をさせられているだけさ。それに対する不満も快楽もない」


 ご苦労なのはどちらだか、と思ったが黙っている。また何か馬鹿な戯れ言をを聞かされそうだ。


「魔術師だからこそ、危ういものの近くに接近してしまうものだが、研究とはそういうものだしね。まぁ君らがそこに至ってしまうのは、悲劇だと思うよ。ぼくは諦めも肝心だと思う。勇気と同じくらい、ね」


 ああ、それにね、と今思いついたように帽子は言う。またも奇妙に笑いながら。


「既に岐路に君らは立っている。彼も選択する時は、ハッキリと決断して、前進する意志を持つべきだと言っていたんだろう。人間には意志がやはり大事だからね。何をするにも意志だ。勇気と意志力。忘れないで欲しい」


 さて、とそれはくすりと皮肉の様な笑いを漏らし、その瞬間からどこからも気配も影も消え失せてしまった。


 ――――一体、あの悪夢は何だったのか、酔狂なヤツに絡まれたものだ、とこめかみを揉みながら、独りごちる。


 ――――だが。あれがもう発生しているのなら。

 空は心配ないだろう。だが、同時に代償は払わねばならない。彼女も自分も。


 だからか、何も改造人間は派遣されていないのだろう。

 NPGはよもやお見通しか、とそれこそ自嘲気味に彼女は笑う。


 報告は勝手に彼女もするだろうし、まぁちゃんと引き継ぎはしていないが、色々仕込んではいるので、後は何とでもなるだろう。


 要がこれ以上、ややこしい何かを、あの子に持って来なければ、という一つの留保付きなのが、紀美枝には少し頭を悩ませる元なのだが。


 つまらんが、仕方がない。別々の道は既に開かれているのだとあの皮肉屋の帽子も言っていたではないか。


 とりあえず一先ずは帰って、温かい紅茶でも飲みながら、考えるとするか。

 そう一人で言いながら、やれやれと溜め息を一つ吐く紀美枝なのだった。



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