第4章暁紀美枝の見ていた景色2
着替えを終えてスマホを確認すると、歩から不在着信やらメッセージやら来ていた。
また後で連絡して置かないとな。多分学校には先生が上手く言ってくれているとは思うのだけど。
部屋から出て行くと、パッとユーリが目を輝かせて、子犬みたくこちらに寄って来る。
「いいじゃない。そうだ。ソラって背も少し小さめだし、こんな感じが似合うのかもしれないわね!」
うーん。そう、私は小さい。
それはハンデの様な気分で生きて来た訳だけど、そういう褒め方されると、ちょっぴり嬉しくなって、満更でもないかもと思ってしまう。
「ふむ。単純だな。この子の魅力はそんな端的に語れるほど、一元化されるものではないと言うのに」
先生は本を読みながら、静かにお茶を飲みながら、音楽を聴いていた。
どうしたんだろうか。今日は凄く調子が良さそうだ。
それに読んでいる本がジェイムズ・ジョイスの『若い芸術家の肖像』で、聴いているのがデイヴィッド・ボウイの『ロウ』なのだから。
もしかして『アートの十年』という曲が入ってるから、そんなチョイスなのかな、と私は邪推する。
そんなことには構わずに、二人は何やらやり合っている。
「なによ、キミエ。一緒に暮らしてるっていうのに、ソラが可愛くないとでも言うの?」
「いや。可愛いとも。しかし、君は近視眼的に、まるでアイドルを偶像視するかの如く観察しているに過ぎないと言っているんだ。この子の愛らしさはそんな単純化していいものじゃない。インテリジェンスを仕込んだ私には、もっと君には見えない別の空が映し出されている」
「むー。じゃあこのソラを見ても可愛くないって言う訳? こんなに子供がプリティでキュートなの見れば、誰だってイチコロよ?」
「それが幻想を見ているに過ぎないと言っているんだ。容姿などこの世界にいれば、どうにでも改造したり化けてみせたり、そんな風に騙せるものだ。肝心なのは中身だよ」
容姿で騙すって化粧した姿とすっぴんが別人、みたいなのかな。
それとも魔物が人間になりすます、とかその類だろうか。
「いいか。可愛さというのも単純にそのように英語を宛てられる概念ではいけない。脱構築された新たな可愛さ、それには賢さや判断力、美的直観なども必要になるのだ。それが分からないとは言うまい。ま、外国人である君にそこらの日本語的複雑性を伝えるのも難しいとも思うが。ただ、その空の構築して来た世界が、浅い付き合いしかない人間には分からんのだよ」
歩さんはその点、君の良き理解者だな、と先生が付け加えて、こちらに冷静に頷きかける。
少しシニカルにだが、先生は口角を歪めて笑った気がする。
そう言われても、結局これって私が魅力的かって点で争ってるのよね? なら、別にどっちも争う必要がないんじゃない。どっちが分かってるか、とか不毛だよ。
「ふん。知性こそ年月と体系的教育があれば誰にだって身につくわよ。それ以上に魔術的にもセンスがあるのがソラよ。貴方の言う直観とやらも、わたしの方が素質は見抜けるつもりよ」
「いや、やはり君には理解し難いようだ。恐らく、魔女さんは魔術以外の基礎的教育が疎かになっているんだな。魔術師協会が指定するもの、個々の魔術師が研究しているもの、それだけでは世界は成り立たない。一般人が構築している、宗教や世界観にも学ぶべき事柄が沢山ある。それにピンと来るにも、やはり体系的に学ぶだけでは駄目だと思うがね」
「それは元より学問の素質がないだけの話でしょう。そういうのってエスタブリッシュメントが自己正当化に使う言い訳だって、わたし聞いたことあるわ。それより、このソラの美しさ。歪みも含めての儚さ。これこそを愛でるべきなのよ!」
――あー、なんかズレがあるみたい。
ユーリの言ってくれてるのも嬉しいんだけど、先生には先生なりの、今までの積み重ねとか矜持があるんだろう。
私としては、別にそこまで入れ込むほど、私は高級な人間じゃないし、そんな二人が語っている観点からは、学校でも組織でも誰も評価はしてくれないと思うんだけどなぁ。
「ちょっといい? 結局、どうしてそんなに私を目の前で二人は褒め殺しにするのかしら? いい加減、恥ずかしいんだけど」
そう言うと、パチクリとして、ユーリと先生は別様に私の方を真っ直ぐ見据える。
「そんなの、ソラが大好きになっちゃったからに決まってるじゃない!」
「君を誇りに思っているからだ。教育して来た監督者として、組織でも社会でも恥ずかしくない人間としてね」
「うぅぅー、どうしてそんなこと、二人とも躊躇いなく言うんですかー? 私はそんなの誰に対しても、正直に面と向かって言えないよ」
まぁ、まだこんな風に若者らしさが残っているんだがね、と涙目の私を見つめて先生。
「空。君のように、そうやって他者への評価を躊躇していては、スムーズに対人関係を進めることは出来ないと、日頃から言っているだろう。お互いの良き所を褒め合い、短所を指摘し合うことで、切磋琢磨しながら友好関係も深まるというものだ」
「キミエは固すぎ。でもソラのそのシャイな所も可愛いわね! ・・・・・・うーん、魔力の流れに触って、大分わたしも看過されちゃったかな」
ええ? それって大事な部分を触られた、みたいな言葉遣いで余計に私は恥ずかしいんだけど。
「なるほどな。ユーリさんは、良くも悪くも直情的で情感豊かなんだ。ソラ、この手合いは経験上、割とこちらの苦労は大きいぞ」
ああ、先生は要さんのことを思い出しているのかもしれない。あの人も確かにあっけらかんとしているが、妹である先生の様な理知的なタイプとは正反対だ。
それでいて、先生以上に何でも出来てしまうから、先生も要さんとは距離を置いているんだろうか。
それにしても言い方。もっとオブラートに包んで欲しい。
でもまぁ、ユーリとは確かにもっと仲良くなりたいな、とは私も思っている。
だって、魔女としても話に聞いているタイプとは違って、話しやすいし。
というか、あまり人付き合いしないから、私みたいなのを簡単に気に入ってしまうのだとしたら、これから先私がちゃんと見守ってあげて、変な人に騙されないか気を払わないと、なんて要らぬ世話まで考えてしまう。
まぁ、でもそうそう魔女が普通の人と、こうやってコミュニケーションを交わすのも珍しいか。
人間は迫害して来た存在だし、そもそも住む世界が違いすぎる。寿命とか生きているペースとかも全然噛み合わないだろうし。
「とにかく、ソラは今日この恰好で過ごすんだから。ソラもそれでいいんだよね」
凄く柔らかい言葉なのに、背後に強い覇気を感じてしょうがない。ちょっと怖いよ。
だから私は黙ってこくこくと頷くしか出来ない。
先生はやれやれと言わんばかりに、ふと溜め息を漏らす。
「ユーリという魔女のお姫様の話は、どこかで少し聞いたことはあったが、実物はこんなお転婆姫様とはな。まだ感性が若いと褒めればいいのかな」
「へへー。そうよ。私はまだ若々しいわよ。だから若者とも仲良くなれるのだ。ファッションとかには興味なくなっちゃったけどね。礼服とかは着ることもあるけどさ。でも、でもだよ、まだまだソラの考えてることには興味あるなぁ」
うむ。先生の皮肉はこの魔女には通じないようである。皮肉をそのまま皮肉じゃなく受け取ってしまう人間には、嫌味を言った人間はもう降参するしかないのである。
「それよりも。空の身体回路のバランスはどうなんだ。やはり私はこのまま戦わせるのは気が進まないのだが。しかしそうも言ってられなくなりそうなのでね。君には全面的な協力を要請したい。勿論こちらも一蓮托生であると保障しよう。この空はとことんこき使ってくれていい。私も出来る限りの支援はさせて貰う」
少し私はその先生の言い方に引っ掛かったのだけど、口は挟まない。ユーリは素直にその質問に返事をする。
「ええ。それはありがたいわ。でも確かにソラのこれは、あまり刺激し過ぎると危険なのも本当なのよね。一度、ちゃんと調整する必要はあると思うけど、今そんな暇はないでしょう」
「そう。だからこの件の処理が終わったら、君に空の魔眼と身体と魔力炉のバランスが崩れないよう、何か危ない化け物に変貌しないように、充分処置をお願いしたい。なに、報酬はきちんと払うよ」
「いえ。それはいいのよ。ソラのことがわたしも心配だし。そうね、貴方もなんでしょうけど、わたしも沢山魔物になってしまった魔術師とか研究者を見て来たから、その気持ちは分かると思う。娘は大事よね」
――不意に寂しそうな目をするユーリ。
何か自分の大事な人もそうなってしまったとでも言うように。
というかそれよりも、やはり私は先生の娘って扱いでいいのかな。
養子になって暁姓ではあるし、先生も公にはそういうことにしているみたいだけど、そこまで私達は年が離れている訳ではない。
精々が十二、三くらいなのじゃないかな。先生の実際の年を私は実は正確には知らないのだけども。
そうして、先生はアルバムが終わると、今度はビートルズのあの有名なコンセプト作とされるアルバムを聴いていた。
その反面、私は何をする気力も今はなく、ユーリがニコニコしながらこちらを見ているのに、よく飽きないなと思いながら、こちらもユーリのその整った綺麗な顔に見とれながら、そしてその赤い瞳にまるで魔に見られたみたいに引き込まれて、胸の高鳴りを押さえるのに少し手間取っていたのだった。
――何かおかしな予感と、ユーリへの些か変な気持ち。
それが相反して、自分が今どこにいるのかすら、混乱して来る様な、そんなヘンテコな精神錯乱。
ユーリは本当の所、今の状況と私達という協力者をどう思っているんだろう。
魔女として冷淡に捉えているんだろうか。そして、今の振る舞いはリップサービスだったりもしないのか。
その杞憂だろう気持ちを追い払って、私は歩に連絡しないと、なんて思いながらも実際に電話はしないで、メッセージを軽く入れて置くに止めたのだった。
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