第2章笑う者との遭遇と魔女の世界4
帰宅すると、先生とユーリが二人でゆったりしながら、ソニー・ロリンズの〈サキソフォン・コロッサス〉を聴いていた。
先生がジャズを聴くなんて珍しい。時折、何か大事な仕事の前には、ジャズで気持ちを落ち着けることもあった記憶があるが、今回もその線かな。
ただ誰かと一緒に、そういう時期に聴くというのも、また先生にしては変だ。
いつもの探偵仕事と違って、任務の前には私でさえ先生の部屋には近づかないようにしていたのだから。それがユーリを部屋に招くんだ。
「ああ空、帰ったな。支度をして来たまえ。動きやすい服は幾つかあったはずだ。尤も、君にはそれほど派手で、動きにくい服のバリエーションなど考えつかないが」
そう言われて、とにかく着替えに部屋に入る。
まぁ、いつ何があってもいいように、それほどお洒落に気を遣う人間ではないのは確かだけど、それを仕込んだ人間が言いますかね
地味ではあるが、ピンクのリボンをあしらった服を着て、膝上くらいの長さの黒いスカートに、タイツを穿いておく。これくらいは自己主張しても怒られないかな。
着替えてからそちらに行くと、ユーリがまたも可愛いわ、と言って褒めてくれる。
なんだかくすぐったいし、あちらからしたら若い子供が珍しくて、子供に向ける愛情みたいな感じなのかもしれないと思うようにした。
そうでないとユーリにそんな言葉を言われるのは、少し恥ずかしい。
「あら。それもいいわ、ソラ。リボンがポイントなのは変わらないのね。上が白で下は黒かー、面白いなぁ」
「スカートは要の趣味だな。隙あらば、他人も黒く染めようとする。空、それは貰い物だろう」
「ええ。要さんに頂いた物です。目立たない服装なら、これの方がいいかと思って」
「ま、いいだろう」
そういう先生は、グレーの無地の服に茶系統のズボンという出で立ち。
ユーリのスカートは赤いし、上半身は白いのでお揃いのようだが、まぁそれなりに何でも怪しい服装にはそうそうなりそうもないってことかもしれない。
「とりあえず、二手に分かれる事にする。君はユーリさんに付きたまえ。その方が効率もいいし、安全でもある」
「先生は・・・・・・ああ、別に心配いりませんね。暁姉妹と言えば、それなりに実績がある訳ですし」
少々心配はあるものの、先生に無言の圧力でジロリと見られて、私は黙ってしまう。
要さんとセットにするな、ということだろう。あの人はあの人で、異次元の名声と怪物じみた力を有していると、あちこちで言われているそうだし。
「ふむ。予定は色々あるのだがね。とにかく君の場数を踏む経験にもなるし、魔眼を馴らさなくてはいけないからな。さて、もう少ししてから出るぞ」
「オッケー。ソラ、よろしくね。あ、わたしの実力ちゃんと見せてあげるから」
それは楽しみだ。魔女とは一体どれくらいの力量なのか。
大体、退魔の力で戦う私達みたいなのは、ユーリに近い勢力とも戦わなくてはならないので、参考にした方がいいのもあって、先生はこういう割り振りにしたんだろうなと、その親心に感謝する。
先生が眼鏡を拭いているのを見て、私も眼鏡を綺麗にしておく。
とにかく今日が最初の日なのだから、否が応でも緊張するってものだし、この間は突発的な出来事だったので、また別物だろうと思っているのに越したことはない。
夜になるのを待つ必要があるのは、少しまだるっこしいが、奴らはその時間以外は隠れているのだから仕方がない。とにかく、もうちょっとの辛抱だ。
外に出ると、ジワッと熱気を感じる。まだこんな時期なのに、やはり近頃は過ごしにくくなるのも早く、外出するのが苦になる。
ユーリはとりあえず郊外の住宅地から少し外れた所、公園とか開けた所を探すとのことで、先生は繁華街の裏など、細かい危険な場所を探索すると。
「ねえ。そんなに町中に堂々と出て来るものなの? もっと慎重にやりそうな気もするけどなぁ」
ふふ、そう思うしそれが常識よね、とユーリが私の認識を訂正してくれる。
「シン・クライムはそういう、理性で人間を食い物にする吸血鬼じゃないのよ。根本は同じかもしれないけど、カタチが全然違う。だから、どこで襲われてもおかしくない。それに、この国では異端審問の部門に狙われることも少ないだろうし、なんでここで発生しようとしているのかも、何となく分かるわ。でも一応、暗い側に発生しがちって所は無視出来ない部分ね」
ふうむ。そっか。色々あるのね。
教会に追われにくいのは、その通りだろう。
ヨーロッパでは、数も沢山いるかもしれないけど、敵対する人間も数多い。
聖職者の中でも悪魔祓いの人員が公的に動員されているぐらいなのだから。
「ああ、でも襲った人間を人形として操るから面倒よね。ほら昨日の犬を見て分かるでしょう」
「ええ、そうね。あの犬はこのナイフで何とか払えたけど、ユーリはその〈ムーン・サファリ〉っていう能力を使うのかしら。えと、確か人間のスピリットに対して、えーと」
「マテリアル、ね。魔女の能力はそう呼ぶのかな。元々の魔女の能力を悪魔なんかと一緒にして、アビリティと呼ぶ場合もあるみたいだけど」
解説ありがとう。そう、色々と能力の種別を作って、カテゴリー分けしたがるのが人間だ。アリストテレス以来の伝統だ、とか聞いた覚えもある。
で、人間の特殊能力がスピリット、という訳。
「今日はそれ以外の力を見せてあげる。魔女には幾つも形式としての魔術や能力があるからね」
「そりゃあ凄い。でも大変ね。こんな君からしたら遠い異国まで来て。あ、でも溶け込みやすくはあるのかな?」
うん、そうなのよ、と実感を籠もった力強い同意が返って来る。
「恐らく世界中どこでも、人種的にはそう変な目で見られることは減っていくでしょうけど、それ以外の属性は実は結構怪しまれるかもしれないわね。特に何か敏感に感じ取る人や、その力の素養のある人間なら、わたしの存在を疎ましく思う人も現代にもまだ沢山自然にいるもの。でもこの国は、その辺鈍感な人が多いわね」
しんどい話だ。その意味で、日本はまた別の世界なのだろう。
そして、その辺は虚実機関もどうにも出来ないのだろうか。
コントロールして世界を裏側から動かす巨大組織だと聞かされているけど、人々の気持ちまではそう簡単に動かしたりは出来ないのかもしれない。
「あ、ソラ。あれを見て。うろついている猫の目に穴が空いてるわ。それに傍には人も何人かゾンビ化している」
む。話している内に、結構な場所まで来たと思ったら、早速戦闘か。
この辺りは国道に面している道路付近なので、あまり歩いている人もいないのだけど、どこかで襲った人間をここまで連れて来たのかな。
とにかく、私も眼鏡を取る。集中集中、と目標を視界に捉える。
「ふふ、見ててね。あいつらが一定範囲に入ったら、発動するから」
あ、そっか。何か見せてくれるって言ってたわね。それで蹴散らしてくれるなら、助かるし、面倒がなくていいのだけど。
複数の猫がぎにゃーっと、あり得ない高さに跳躍しながらの攻勢。ゾンビはごぉぉぉと怨念めいた声をあげて、こちらに向かうが、想像していたより動きが速い。
ユーリがシュッと打ち払うと、猫が後方にビチャッと血を飛び散らせながら転がる。
だが、何ともないようで、ボタボタと血を流しながらも、こちらに自動追尾みたいにくっついて来る。
目の穴からは泥の様なドロッとした塊が、グロテスクにドロドロと涙みたいに流れている。
少し気持ち悪い、と吐き気がして来るが、そんなことも言っていられない。意識をしっかり保たないと。
結構数が多いし、こちらも攻撃した方がいいか、と思っていると、ユーリが手を翳す。そこから魔方陣に見える術式が現れて、何か強力な魔術が展開される。
ぶわっと広がる世界。暗闇の世界が一瞬にして、違う景色に変わっていく。まるで塗り替えられていく絵の具で塗り潰した背景だ。
紅い。一面真紅。そこには、一面の薔薇色の世界。
――それは凄まじく美しく、グロテスクなほど冷徹で。
「これがわたしの固有魔術式。〈フラクチャー〉と、とりあえず呼んでいるわ。元々これはそのお爺さんが名付けたのだけど。さて、あれにももう影響が出るはずよ」
固有魔術式。
それを使える魔術師だってそうはいないはずだ。
自分流の宇宙に対する働きかけと、世界と一体化して、高度な魔術を展開出来る代物。
見ると、近寄って来る全てのゾンビが、バチバチという音と共に、亀裂が入っていき、バン!と弾けていく。
――言うなれば、何も残さず。全てを紅い血で染める。
その後には紅い何かの後が残るのみで、その泥も全て溶けてしまっていたようだ。
「す、凄い。・・・・・・うっ。なんか、でも嫌な物見たかも。これ、臭気とかがないのは、全部消してしまったってこと?」
「ええ。あまり見て快いものではないのは確かよね。でもこの光景もそろそろ綺麗になるはずよ。そういう風に出来てるから」
ハッと私が意識を戻せば、再び暗い街灯の明かりだけで照らされる夜道。何も痕跡が残っていない。
・・・・・・これで今の奴らは終わり、なのかな。私、本当は何もしないで済むんじゃないか、と一瞬錯覚を覚えるが、そうではないと気づく。
「まぁ、これ多用は出来ないから、今のは顔見せ程度に軽く発動しただけ。最後の最後にこの術式の本気は取って置くから。だから次からはソラもちゃんと戦えるから安心して」
ふふ、と悪戯っぽく笑うユーリに、不覚にもときめきを感じてしまう。
こんな凄惨なやり口が出来る、心底から魔女であると見せつけられたのに。
――そう。彼女はどこか無邪気であり、悪い魔力の流れの様なものを、どこからも感知しない。
だから信用していいのだろう。と言うものの、白魔女とかそんなのではなく、魔女は魔女である、そんなラインかなと思う。
「さ、まだ続けよう。もうちょっと魔力の流れとかも探りたいし」
「う、うん。そうね。一応、私もマークして置くわね。これで後から式神を使って探知機能を使えるらしいし」
「ありがと、ソラ。それもキミエの直伝ね」
「そう。私はまだ使ったことないから、上手く出来る自信もないけどね」
「あはは。じゃ、気合いの入れ所だ。うんうん、そんな感じで上等じゃないかしら」
そう私が作業するのを見て、感想を述べてくれるユーリ。
これは褒められてるのか、それとも成功しているって認識でいいのだろうか。後で先生にも確認して貰わないとな。
とりあえず、そうやって幾つかのポイントを探って、今夜は終わりにした。
先生の方も同じ様な対策をして、少しは流れも把握したとか。うーん、どれくらい早く終わるかは分からないけど、結構私達の連携は効果的なんじゃないだろうか。
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