見目麗しい悪魔から、なぜか夏祭りに連れて行って欲しいと頼まれました
「やあ少年、良いところにきた」
漆黒の暗闇の中、真っ赤に光るふたつの目が僕を見つめていた。
時刻は夜の九時。
場所は
塾の帰りに近道をしようとしたら、何者かに声をかけられたのだ。
年齢はわからない。
性別も不明。
ただ、真っ赤に光る
声をかけられた瞬間、僕はヘビに睨まれたカエルのように全く動けなくなってしまった。
身体はブルブル震え、足は鉛のように重い。
「どちらさまですか?」
そう声を出そうにも、息苦しくて言葉を発せられなかった。
まったく身動きの取れない状態で、ただまっすぐ暗闇を見続けるしかできない。
と、赤い光がゆらりと動いた。
それはゆっくり、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
思わず悲鳴をあげそうになったが、それでも声は出なかった。
「そう怖がるな、少年」
赤い光が目の前までやってきて、ようやくその顔を見ることができた。
女性だった。
外国の人だろうか、日本人離れした顔立ちをしている。
すらっとした顎に高い鼻、小さな唇、切れ長の眉。
驚くほど綺麗な容姿をしていた。
「私は
悪魔、と聞いて背筋がゾクッとした。
冗談だとは思わなかった。
暗闇の中で、真っ赤に光る
きっと本物に違いない。
彼女は(あえて彼女と呼ぶが)僕の顎に手を添えると、クイッと持ち上げた。
それはさながら、僕を品定めするかのような仕草だった。
蒸し暑い真夏の夜にも拘らず、ひどい寒さが僕を襲う。
「ふむ、見てくれは悪くない。いや、むしろ良いほうだ」
褒められたのだろうか。
僕の17年の人生において、初めての経験だった。
でも正直嬉しくはなかった。
「君となら、なんとかなるかもしれない」
「な、なんとか……って?」
ようやく言葉が出た。
かろうじて、と呼べるほどのか細い声で。
どうやら相手からまったく敵意が感じられないことで、心が落ち着いてきたらしい。
指先も少しは動くようになった。かといって、抵抗する気にはなれない。
「実は君に折り入って頼みがあるのだ」
悪魔からの折り入った頼み。
怪しいにおいがプンプンする。
「な、なんですか……?」
「……私を、夏祭りに連れて行ってほしい」
「へ?」
予想だにしていなかった答えが返ってきた。
「な、夏祭り?」
「そうだ、夏祭りだ」
「え、と……。宵闇の帝王……さんは、夏祭りに行きたいのですか?」
「呼び捨てでいい。こちらはお願いする立場なのだから」
ずいぶん低姿勢な悪魔だなと思った。
いや、悪魔じたい見るのは初めてだし、もちろん会話なんてしたこともないけれど。
ゲームやマンガで得た悪魔の知識とはまったく違う。
「その……宵闇の帝王は夏祭りに行って、何をしたいんですか?」
「それは内緒だ」
……気になる。
ものすごく気になる。
「ただ、人間界の夏祭りは“
衝撃の事実を突き付けられた気分だった。
夏祭りって悪魔除けにもなっていたのか。
知らなかった。
「そばに負の感情を持つ人間がいてくれたら、大丈夫なのだが」
それはつまり、僕が“
何気にちょっとショックだった。
まあ確かに、学校ではかなり大人しめではあるけれど。
「それでどうだろう。私を夏祭りに連れて行ってはくれまいか?」
宵闇の帝王はずいっと顔を近づけて僕に問いかけてきた。
ち、近い……。
吐息が頬にかかる。
別の意味で背中がゾクリとした。
こんな美女からお誘いを受けて断れるはずがない。
「い、いいですけど、夏祭りっていってもいろんなところでやってますよ? どこの夏祭りに行きたいんですか?」
「ちょうど明日はすぐそこの鏡川で花火大会が行われるらしい。そこがいい」
その日は幸い土曜日で塾も何もない。
僕は「いいですよ」と即答した。
「では明日、陽が落ちる頃にここに来てくれ」
「は、はい」
まさかの悪魔とのデートの約束。
生まれて初めてするデートが悪魔とだなんて、嬉しいやら悲しいやら。
「待っておるぞ」
宵闇の帝王はそう言って、再び闇の中へと消えていった。
※
翌日。
僕は自分なりに精いっぱいオシャレをして(といっても、安物のジーンズにプリントTシャツだけど)路地裏に向かった。
昨日の暗闇と比べればまだ少し空が明るい分、辺りがよく見える。
宵闇の帝王は、言葉通り僕を待っていてくれていた。
「やあ少年、待っておったぞ」
「………」
僕は彼女を一目見るたび、声を失った。
「どうした、少年?」
「あ、あの……。宵闇の帝王……さんはなんで浴衣なんですか?」
そう、昨日は暗闇でよくわからなかったが、確かドレスを身にまとっていたはずだ。あの腰回りが窮屈そうなやつ。
それが今日になって浴衣になっている。
ドレス姿も気品があってよかったが、浴衣スタイルも天井を突き抜ける程美しい。
「うむ、夏祭りといえば浴衣と聞いたのでな」
誰にだろう。
「そんなに驚くほどのことでもない。悪魔にとって衣装は魔法で簡単に変えられるからな」
「そ、そうなんですか」
「……似合ってるか?」
「え、ええ! ええ! それはもう! すごく似合ってます!」
「ふふ、よかった」
口角を少し上げて微笑む彼女に心奪われた。
「それと少年。さん付けはいいと言っているだろう。宵闇の帝王“さん”はいらぬ」
「で、でも、なんか呼び捨てにしづらくて……」
「では少年の呼びやすい名で呼んでくれ」
「よ、呼びやすい名……?」
そんな、いきなり言われても困る。
「なんでもいいぞ。宵闇だからよっちゃんでも、帝王だからてっちゃんでも、それこそ悪魔だからあっちゃんでも」
セ、センスが悪すぎやしないだろうか……。
「名前はないんですか?」
「名前?」
「宵闇の帝王という呼称じゃなくて、あなた個人の名前」
「ううむ、言われてみればあるようなないような……。他の悪魔からは『
それも名前じゃないでしょ。
ってか、我が君ってどういうこと?
この人、名前の通り悪魔界のボスなの?
でも改めてよく見ると確かに背も高いし、スタイルも抜群だし、威風堂々としてて王者の風格も漂っている。
これはまさか、本当に本当かも。
僕はとんでもない方とお知り合いになってしまったかもしれない……。
「まあ呼び名は君に任せる。それよりも、
「あ、はい。すいません」
確かに余計なことで(僕にとっては余計ではないが)時間を費やしてしまった。
僕はくるりと背中を向けると、会場となる鏡川に向かって歩き出した。
すると、宵闇の帝王が慌てたように後ろから声をかけてくる。
「待て待て待て少年。どこへ行く」
「え?」
振り返ると、宵闇の帝王はその場から動くことなく僕を見つめていた。
「言ったであろう、連れて行ってくれと。私はこの路地裏から自力で出られぬのだ」
「へ?」
気づけば、宵闇の帝王から手を差しだされていた。
「えええええッ!?」
こ、これはこの手を引いて連れてけってことなのか!?
手つなぎデートってことなのか!?
あまりの展開に息を飲む。
ただでさえこんな美人と歩くのは緊張するのに、まさか手つなぎデートとは……。
すると宵闇の帝王はしゅんとうなだれて言った。
「……迷惑だろうが、お願いしたい」
「めめめ、迷惑だなんてとんでもない!」
僕は全力で首を振ると「失礼します!」と叫んで彼女の手を握った。
彼女の手は温かくて柔らかくてすべすべしていて、本当に悪魔なの? と思えるほどなめらかだった。
それにしても、初めて手を繋いだ異性がこんな美女だなんて……。
緊張して頭がおかしくなりそう。
「すまぬな」
宵闇の帝王は本当に申し訳なさそうな顔をして謝っていた。
やっぱりすごく低姿勢でいい人だ。
どんどん僕の中の悪魔像が崩れていく。
彼女は僕が手を握ったことで路地裏から出られるようになったらしいが、それでも地面を見つめながら出るのを
ちょうど路地裏の暗い影の部分と、若干まだ明るい地面の白い部分との境界線でモジモジしている。
「や、やはり緊張するな。この影から出るというのは……」
「僕が手を繋いでなかったら、どうなるんですか?」
「
「ええっ!?」
ま、まさかの命がけ!?
「大丈夫なんですか!?」
「大丈夫だ。まあ私も初めてだから確証はないが」
全然大丈夫じゃないじゃん!
僕は繋いでいた手に、もう片方の手を添えてギュッと握りしめた。
「む、無理はしないでください! 僕なんかじゃ全然役に立たないかもしれないですし!」
宵闇の帝王は僕の真剣な訴えに一瞬きょとんとしたが、すぐに「ふっ」と笑って言った。
「優しいな、君は」
「いや……、優しくなんか……」
「ありがとう、勇気が出たよ」
「よ……」
宵闇の帝王! と言おうとした直後、彼女はぴょんと飛び跳ねて路地裏から明るい地面に降り立った。
「………」
「………」
「………」
「………」
「お、おお……」
「おお」
「おお!」
「おお!」
「おおおお!」
「おおおお!」
僕らはお互いに顔を見合わせて「おお」を連発した。
「出られた! 出られたぞ!」
「出られましたね!」
「何にも起こらぬぞ!」
「何も起きませんね!」
「少年のおかげだ、ありがとう!」
「いや、僕は何にも……」
てか、ほんと何もしてないんだけど……。
「私の頼みを聞いてくれた、それだけで
今度は彼女の方が僕の手を両手で握りしめて胸に寄せた。
よほど路地裏から出られたのが嬉しかったらしい。
「ということで、夏祭りだ」
「あ、忘れてた」
そうだ、夏祭りだ。
彼女の本来の目的は夏祭りなのだ。
正直、何が目的なのかさっぱりだけど、僕は彼女の手を引いて鏡川へと向かった。
※
「おお! これが夏祭りか!」
宵闇の帝王は目をキラキラと輝かせながら夏祭りの光景を眺めていた。
鏡川の夏祭りはこの近辺じゃ有名で、多くの露店が立ち並ぶ。
メジャーどころの射的や金魚すくい、輪投げ、カタ抜きなど、あらゆる遊びも用意されており、小さな子どもから大人まで楽しめる大きなお祭りだ。
わたあめやかき氷、焼きそばにたこ焼きといった屋台もそこかしこで見られ、僕は宵闇の帝王に聞いてみた。
「何か食べます?」
幸い、お金はお小遣いを少しずつ貯めてるからあるにはある。
しかし彼女は「よい」と言って物珍しそうにいろんな屋台を眺めていた。
「ほう、わたあめはこうやって作られるのか」
「人間はバカか。あんな薄っぺらい紙で金魚がすくえるわけがなかろう。網を使え網を」
「おもちゃを銃で撃って壊れないのか? 何? 景品? 銃で狙って撃ち落としたのが景品? よくわからぬ」
僕は一つずつ宵闇の帝王に説明していき、彼女は興味深そうにそれを聞いていた。
それにしても不思議だ。
あれだけ夏祭りに行きたいと言っていたのに、ただの一度も「やりたい」とも「食べたい」とも言ってこない。
見て回るだけで満足しているようだった。
「あの、宵闇の帝王さん」
「なんだ」
「……なんで夏祭りに来たかったんですか?」
僕は意を決して聞いてみた。
内緒と言っていたけれど、きっと何か理由があるはずだ。
彼女はしばらく無言だったものの、やがてポツリとつぶやいた。
「そうだな。君には大変世話になったしな。話してよいかもしれぬな」
そう言うなり、チラリとこちらに目を向ける。
「……わ、笑わないで聞いてくれるか?」
「も、もちろん」
内容にもよるけど。
「実は私はこう見えて魔界の王でな。向こうでは多くの悪魔を従えておる魔王なのだ」
「………」
いきなりヘビー級のパンチをくらった気分だった。
名前からしてそうだとは思っていたけど、やっぱり悪魔界のボスだったんだ。
大丈夫だろうか。僕、手なんかつないじゃってるけど。
他の悪魔に見つかったら八つ裂きにされるかもしれない……。
「だが魔界といっても退屈な場所でな。楽しめる場所もなければ、大騒ぎできるイベントもない。だから、なんというか……魔界にもこういう場を設けようと思ったのだ」
「こういう場って……夏祭りみたいな場?」
「そうだ。年に一回、多くの悪魔が屋台を出して、露店を開いて、みなが楽しめるイベントだ。……笑うか?」
「ととと、とんでもない!」
むしろ素敵だと思う。
悪魔が開催する夏祭りっていうのが想像できないけど。
「だが、そうは言ってもな。魔界に住む者は夏祭りなんぞ一度も見たことがないからな。どういうものなのか見当もつかなかったのだ。だから一度見に行こうと思って……」
そうか、それで僕に声をかけてきたのか。
一人じゃ来られないから、連れて来てくれる人を探してたんだ。
そういう意味では、夏祭り直前に僕を見つけられてラッキーだったのかもしれない。
「それで……どうでした? 夏祭り」
「うむ。やはり心躍るイベントだな。魔界でやるには改良せねばならんことがいくつかあるが、やはり向こうでやってみたい」
宵闇の帝王はイキイキとした顔でそう答えた。
魔界の王からそこまで言われると、人間の立場としては嬉しく思う。
まあ僕自身、何にもしてないんだけど。
「じゃあ、参考のためによく見て行かないとですね」
「そうだな。参考のためによく見て行かないとだな」
ニッコリと微笑む宵闇の帝王は、そのまま立ち並ぶ屋台を見つめた。
真剣な表情で見つめるその横顔もまた、すごく美しいと思った。
と、夜空に一筋の光が伸びていき、パッと大きな花火が花開いた。
「おお!」
宵闇の帝王がそれを眺めながら感嘆の声を上げる。
僕の手を握る力が少し増した気がした。
「なんと綺麗な!」
「花火っていうんです。全部の夏祭りであがるわけじゃないですけど、夏祭りの醍醐味のひとつです」
花火は次々と打ち上げられ、僕らの目の前で大きく花開く。
それはまるで、夜空を彩る光のイルミネーションのようだった。
「圧巻だな、これは」
「でしょう?」
何もしてないけど、なぜか誇らしい気分になる。
悪魔さえも魅了する夏の風物詩。
やっぱり日本の花火ってすごい。
宵闇の帝王はすっかり見惚れてしまったようで、夏の夜空に目が釘付けになっていた。
「ねえ、宵闇の帝王さん」
「なんだ」
「魔界の夏祭り……もし開催したら、僕も行ってみたいです」
宵闇の帝王は一瞬ポカンとした。
しまった、ちょっと図々しかったか。
けれども彼女はすぐに微笑むと
「ぜひ来てくれ」
と言って僕の手を両手で握りしめてきた。
「君は
冗談とも本気ともつかない顔でそう述べる宵闇の帝王の背後に、たくさんの花火があがっている。
僕はそんな光景を眺めながら思った。
この笑顔こそ、最高の花火だと。
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