みさきちゃんと龍之介くん~二人の約束~

 みさきちゃんはとても身体の弱い女の子でした。

 物心のついた頃から病院に入れられて、いろいろな検査を受けましたが、治す手立てはありませんでした。

 みさきちゃんの症状は、お医者さんでも解明のできない難病だったのです。


 毎日毎日冷たい聴診器を当てられ、苦いお薬を飲まされました。


「うえー」

 と顔を歪ませるみさきちゃんに、お父さんもお母さんも

「よくなるためだよ」

 と言って聞かせるのでした。


 みさきちゃんは文句の一つも言ってやりたかったのですが、お父さんもお母さんもみさきちゃんの見ていないところで二人して泣いているのを知っていたので我慢しました。




 そんなみさきちゃんの1日は、ほとんどベッドの上でした。

 本を読んだり、勉強したり、絵を描いたり。

 できることはたくさんありますが、外に出ることはほとんどありません。

 外に出られるのは年に1回か2回、お父さんとお母さんに連れ出してもらえる時だけです。

 それ以外は、毎日ベッドの上でした。



 そんなみさきちゃんには、欲しいものがひとつだけありました。

 それは同い年くらいのお友達です。

 物心がつく頃に病院に入れられたので、みさきちゃんには同い年のお友達が一人もいません。

 病院内で仲の良い人は、みーんなみさきちゃんより年上です。

 お父さんやお母さんより年上の人もいます。


 みんな親切でいい人たちばかりではあるのですが、みさきちゃんとしては何の気兼ねもなく話せるお友達が欲しいのでした。




 そんなある日のこと。

 みさきちゃんの病室に一人の男の子が息を切らしながら転がり込んできました。


「だれ?」


 驚いたみさきちゃんが声をあげようとすると、男の子は鼻に手を当てて「シーッ」と静かにするように言いました。

 みさきちゃんは慌てて口を押えてコクコクとうなずきます。


 男の子はそのままベッドの真横まで移動して、するりとしゃがみこみました。

 その直後、恰幅の良い中年女性がみさきちゃんの病室に姿を現しました。


「突然すまないねえ、お嬢ちゃん。今ここにうちの悪ガキがこなかったかい? お嬢ちゃんみたいな年ごろの」


 みさきちゃんはすぐさまベッドの横でうずくまる男の子を指さそうとしましたが、すぐに思いとどまって首を振りました。

 恰幅の良い中年女性は「そうかい、悪かったね」と言いながら病室を出ていきました。


「あのクソガキ、どこ行きやがったんだい、まったく」


 そう言いながらノッシノッシと遠ざかっていく足音を、みさきちゃんはビックリしながら聞いてました。




 やがて中年女性の足音が聞こえなくなると、ベッドの横に身を隠していた男の子が「ふう」とため息をつきました。


「へへ、黙っててくれてサンキューな」


 そう言って立ち上がった男の子は八重歯が印象的なやんちゃそうな子でした。

 みさきちゃんは好奇心いっぱいに尋ねます。


「あなた、だあれ?」


 今の病院には何年もいますが、こんな男の子は見たことがありません。


「オレ、龍之介りゅうのすけ。先週、この町に引っ越してきたんだ」

「そうなんだ。私、みさき。ずっとこの病院で入院してるの」

「ずっと?」

「うん、ずっと。物心ついた時から」

「うへえ、たまんねえな」


 龍之介と名乗った男の子は舌を出しながら悪態をつきました。

 いつも他の人からは「可哀想だね」とか「大変だね」とか憐みの言葉をかけられるのに、男の子の反応はそれとは違っていてとても素直で、みさきちゃんにとっては新鮮でした。


「ずっとこんなとこいたら息つまるだろ」

「でも、お外出れないし……」


 龍之介くんは少し首をひねった後「ちょっと待ってろ」と言いながら病室から出ていきました。



 そして、戻ってきた龍之介くんの両手には大きな写真集が握られていました。


「これ、貸してやるよ」

「これは?」

「日本の風景写真。オレの父ちゃん、写真家なんだ。全部父ちゃんの写真なんだぜ?」


 そこに映し出されていたのは、四季折々の日本の風景でした。

 桜舞う山の写真もあれば、入道雲が広がる田んぼの写真、紅葉が彩るお寺の写真や、あたり一面雪景色の写真などなど。

 どれもみさきちゃんが見たこともない景色ばかりでした。


「わあ!」

「へへ、どれもいい写真だろ。オレのお気に入り」

「ほんと! 素敵!」


 見ているだけで、まるでそこにいるかのような気分にしてくれる写真集でした。

 ほとんど外に出たことのないみさきちゃんにとっては未知の世界ばかり広がっています。

 中でも、青く広がる海の写真は見ているだけで吸い込まれそうでした。


「ねえねえ、これはなあに?」


 みさきちゃんは青く輝く海の写真を指で指して尋ねました。


「これ? これは海だよ」

「うみ? うみって?」

「なんだお前、海知らねえのか?」

「うん」

「信じらんねえ、海知らねえやついるなんて。いいか、海ってのはな、でっけえ水たまりみたいなもんだ」

「でっかい水たまり? このお部屋の大きさくらい?」

「もっとだよ、もっと。この部屋が百個も千個もあっても足りないくらい広いんだ」

「せ、せんこ!?」


 みさきちゃんは「それは大げさだよー」と笑いました。

 でもそんなに大きな水たまりなら、一目見てみたいと思いました。


「見てみたいなー」

「その本、気に入ったか?」

「うん!」

「じゃあ、お前の気がすむまで持ってていいよ」

「え!? いいの!?」

「ああ。でも汚すなよ」

「ありがとう」


 みさきちゃんがお礼を述べると、病室のドアが開いて中年の女性が現れました。


「龍之介! やっぱりここにいたのかい!」

「げ! 母ちゃん!」

「今日は検査の日だって言ったろ! 逃げようったってそうはいかないからね!」

「ぎゃああ、痛たたた! 痛ぇよ、かあちゃん!」

「じゃあね、お嬢ちゃん。うちの息子が迷惑かけたね」

「う、ううん」


 あまりの迫力にみさきちゃんは唖然としています。

 中年女性は痛がる龍之介くんの耳を引っ張りながら病室を出ていきました。

 去り際に龍之介くんが痛がりながらも手を振ってくれたことに、みさきちゃんはなんだかおかしくてクスクスと笑いました。




 それからというもの、龍之介くんは毎日のようにみさきちゃんのもとへとやってきました。

 写真集の話だけでなく、外での出来事や転校した学校の話、マンガのことなど、面白おかしくみさきちゃんに伝えました。

 同い年の友達が欲しかったみさきちゃんは、もう嬉しくて嬉しくてたまりません。

 毎日龍之介くんがやってくるのを楽しみに待ち続けました。


「よっ」

「龍之介くん!」

「今日も元気そうだな」

「龍之介くんのおかげだよ。いつも来てくれてありがとう」

「いいっていいって。今日は何して遊ぶ?」

「えーとね、えーとね、おままごと!」

「またかよ。お前も好きだな」

「だって龍之介くんとやると楽しいんだもん!」


 素直にそう言うみさきちゃんに、龍之介くんは恥ずかしそうに「へへ、そうか?」と鼻をかきながら笑いました。


「ところでよ、お前の病気ってなんなんだ?」


 みさきちゃんとおままごとをしている最中、龍之介くんが尋ねました。

 重い病気というのは知らされていたのですが、具体的にはどんな病気なのかわかっていません。

 みさきちゃんは首を振りながら「わかんない」と答えました。

 みさきちゃん自身も、よくわからない病気なのです。

 ただ、日の光を長時間浴びるととても息苦しくなるので、室内でも日の光の当たらない場所で寝かされていました。


「治る病気なのか? それとも一生このままなのか?」


 遠慮するということを知らない龍之介くんは、他の人だったらためらうような質問をズケズケと聞いてきます。

 それでもみさきちゃんは気にすることなく「わかんない」と首を振りました。


「お医者さんが言うには、半分半分だって」

「そっか」


 龍之介くんは少し考えた後、みさきちゃんの手をとって言いました。


「じゃあさ。目標たてようぜ、目標」

「目標?」

「そ。病気が治ったら海に行くって」

「海?」

「お前いつか言ってたろ。海を見てみたいって。連れてってやるからよ」

「ほんとに!?」

「ほんとほんと。だから早く良くなれよ」

「うん!」



 それからというもの、みさきちゃんは毎日「はやく良くなあれ、はやく良くなあれ」と願いをかけ続けました。

 一日でも早く病気を克服し、龍之介くんと海を見たかったのです。

 新しい目標ができたみさきちゃんは、ぐんぐん身体の調子がよくなっていきました。

 日の光を浴びても息苦しいのはなくなり、窓から入る風を浴びても寒さで震えることはなくなりました。


 これにはお医者さんもびっくりして、このまま順調にいけば退院できるかもしれないと太鼓判を押してくれました。

 みさきちゃんも、みさきちゃんのお父さんとお母さんも、嬉しくて抱き合いました。


「早く龍之介くんと海に行きたいな」


 抱き合いながらみさきちゃんはそうつぶやきました。




 ところが。

 翌日からみさきちゃんの病室を訪れていた龍之介くんがぱったりと姿を見せなくなりました。

 あれほど毎日元気な姿を見せていたのに、2日経っても3日経っても姿を現しません。


 みさきちゃんは早くお医者さんの言葉を伝えたかったのに、姿を見せないのでは仕方ありません。

 日がな一日、待ち続けました。



 そんな中、みさきちゃんは病院の廊下をノッシノッシと歩く中年の女性を病室の中から見つけました。

 あの龍之介くんのお母さんでした。

 向かっている先は救急病棟です。

 みさきちゃんはベッドから立ち上がると、おぼつかない足取りで龍之介くんのお母さんのあとを追いました。

 龍之介くんのお母さんは歩きながら元気のない顔をしていました。

 それを見て、みさきちゃんは少し不安になりました。


(どうしたんだろ、龍之介くんに何かあったのかな?)


 震えながらも一歩一歩あとを追い続けます。

 やがて、龍之介くんのお母さんはひとつの病室に入っていきました。

 みさきちゃんが覗き込むと、そこには人工呼吸器が取り付けられたやつれた顔の龍之介くんがいました。


「龍之介くん!」


 みさきちゃんは思わず病室の中に飛び込みました。

 びっくりしたのは龍之介くんのお母さんです。


「お嬢ちゃん!?」


 まさかあとをつけられているとは思っていませんでした。

 みさきちゃんは横たわったまま眠っている龍之介くんを見て、お母さんに尋ねました。


「龍之介くん、どうしたの!? なにがあったの!?」

「龍之介はねえ、病気だったんだ。あんまり長くないって医者に言われてる病気」

「えっ!? 龍之介くんも病気だったの!?」


 信じられませんでした。

 あんなに元気で明るく、活発な龍之介くんが病気だったなんて。


「最期の最期まで、普通の生活を送りたいっていうのが本人の希望でね。普通に学校に行って、普通に勉強して、普通に人と遊びたいって。親のあたしにすら普通に接してくれって」

「そんな……」


 みさきちゃんはヨロヨロと崩れ落ちると、龍之介くんの身体に手を当てて言いました。


「龍之介くん、起きて。起きてよ。なんでそんな大事なこと黙ってたの。起きてよぉ。私を海に連れてってくれるんでしょ。私、よくなってきてるって先生に言われたんだよ? だから海に行けるかもしれないんだよ? お願い、目を覚ましてよお!」


 みさきちゃんは龍之介くんの身体をゆすりながら、わんわん泣きました。

 自分なんかよりも龍之介くんのほうがずっと深刻な病を抱えていたことを知り、とめどもなく涙があふれ出ました。


「約束したのに! ウソつき! 龍之介くんのウソつき!」


 わんわん泣きながら罵声を浴びせていると、みさきちゃんはふんわりと頭に温かな感触を感じました。


「……うる、さいな」


 見ると龍之介くんがうっすらと目を開けてみさきちゃんの頭に手を置いています。


「龍之介!」


 龍之介くんのお母さんがそれを見て声を上げました。


「……まだ、ウソなんて……ついてねえ……だろ」


 龍之介くんは苦しい表情を浮かべながらつぶやきます。


「……ちょっと今……調子悪いだけだ。それよりも……お前、身体よくなったんだな……」

「うん! もう外に出ても息苦しくないし、すぐに退院できるかもしれないって……」

「よかったな……。これで……海、連れてってやれるな……」

「そうだよ! 約束したんだから! 海、連れてってよ!」

「ああ……まかせ、とけ…………」



 龍之介くんはそう言うと、ゆっくりと目を閉じました。

 そしてもう、いくら呼びかけても目を覚ましませんでした。


「龍之介!」と叫ぶお母さんの声とお医者さんたちがバタバタ駆けつけましていろいろと処置を施しているのを、みさきちゃんは呆然と眺めていました。




 その夜、みさきちゃんはベッドの上で泣きました。

 良くなったら海に連れて行ってくれると言っていた龍之介くんが死んでしまったなんて信じられませんでした。

 泣きながら枕元からサイドテーブルに視線を向けると、そこには龍之介くんが貸してくれた写真集があります。

 みさきちゃんは写真集を手に取ると、何の気なしにぱらぱらとページをめくっていきました。


 すると、はらりと一枚の手紙が落ちてきました。


 いつの間に入っていたのか、龍之介くんがみさきちゃんに当てた手紙でした。

 日付は一週間前、ちょうど龍之介くんが姿を見せなくなった前の日になってました。


 そこにはこう書かれていました。



『みさきへ


 手紙なんて出したことないから書き方なんてわかんないけど、かんべんしてな。

 ちょくせつ話そうと思ったけど、時間ないから手紙にするわ。

 詳しくは言えないけど、ちょっと遠くに行くことになってな。しばらくお前に会えんわ。

 この手紙はお前が夜眠ってる間にこっそり入れといた。ちゃんと気づくかな?

 じゃ、そういうことだから元気でな。

 そうそう、この写真集、お前にやるよ。大事にしてくれな。

 海に連れてく約束はきちんと覚えてるから、からだはやく治せよ。』



 拙いながらも一生懸命書いたであろうその手紙に、みさきちゃんはハラハラと涙をこぼしました。

 そして手紙を握り締めながら「うそつき」とつぶやいたのでした。




 龍之介くんがいなくなって数カ月。

 みさきちゃんは一人で海に来ていました。

 手には龍之介くんが遺した写真集を持っています。


「龍之介くん、海に来たよ」


 みさきちゃんはキラキラと眩しく輝く海を見ながら「はう」とため息をつきました。

 想像以上に綺麗な場所で、思わず見惚れてしまいました。


「こうして海を直接見ることができるのも龍之介くんのおかげだよ、ありがとう」


 ギュッと写真集を抱きしめながらつぶやくみさきちゃん。

 そんな彼女の目に、海はいっそう大きく輝きました。

 それはまるで龍之介くんがそこにいて「よかったな」と言ってくれてるようでした。




おしまい

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