キズナ~童話・その他短編集~

たこす

拾われ犬である私の回想録~拾ってくれてありがとう~

「チッ」という舌打ちと、面倒くさいものを見つけてしまったという顔が今でも記憶に残っている。


 すまない、と思う。


 私と出逢わなければ、彼はこんな顔をしなかっただろう。

 私と出逢わなければ、彼はこんなに苦しむこともなかっただろう。


 私と出逢わなければ……。



 私は、彼の飼い犬である。



     ※



 彼と出会ったのは私が生まれて間もなくの頃だった。

 詳しくは覚えてないのだが、気がつくと私は暖かな段ボール箱の中に入れられていた。

 段ボールの中から見えるのは、爽やかな青い空だった。

 雲一つない、晴れ渡ったキレイな青空。


 そんな青空を背に、ひょっこりと顔をのぞかせたのが彼だった。


 空を見上げる私とバッチリと目が合った彼は、「チッ」と舌打ちをした。


 あからさまに嫌そうな顔で。

 めんどくさいものを見つけてしまったという顔で。


 その表情がとても恐ろしくて、私はプルプルと震えてしまった。

 少しちびったかもしれない。


 そんな私に彼は眉を寄せ、そっと手を伸ばしてきた。

 ゴツゴツした大きな手だった。

 力を込められたら折られてしまいそうな太い指をしていた。

 一瞬ひるんでしまったが、何もしてこなかったので私は恐る恐るペロリと舌を出してその大きな手の指を舐めてみた。

 ひとなめ、ふたなめ。ペロペロと。

 彼は手を引っ込めなかった。


 よほど腹が減っていたのだと思う。

 私は一心不乱にペロペロと彼の指を舐めつづけた。


 その直後、彼は手を引っ込めた。


 あれ? と思った瞬間、段ボールが大きく揺れ動いた。

 思わず私は尻餅をついてしまった。


 ガサゴソと大きく動く段ボール。

 揺れ動く箱の中で必死に態勢を保った。


 なんだ?

 何が起きてるのだ?


 もう頭の中はパニックだった。

 その時は恐怖しか感じなかった。

 怖い、とにかく怖い。

 何が起きたかわからぬまま、私はプルプルと震えながら段ボールの底にしがみついていた。



 やがて揺れがおさまり、再び彼が上から顔をのぞかせた。


 その背後には見知らぬ天井があった。

 どうやら屋内に移動させられたようだった。


 見上げる私に、彼は白い液体を差し出してきた。

 小さな皿に入れられた、独特の匂いのする液体だった。

 あとで知ったことだが、彼は私に牛乳を与えようとしていたらしい。

 匂いを嗅いでやめておいて正解だった。


 私がその白い液体を飲まないものだから、彼は不機嫌そうな顔を見せてどこかへと行ってしまった。



 それから、辺りが暗くなるまで何も起こらなかった。


 他の者が来る気配はない。

 私はただひたすら段ボールの中で震えていた。

 孤独で不安でたまらなかった。

 暗闇の怖さも相まって、恐怖で泣いてしまった。



 そんな中、パッと一瞬で辺りが白く輝き、再び彼が顔をのぞかせた。


 泣いてる私を見て、また「チッ」と舌打ちしていた。

 プルプル震えていると、今度は飲めそうな白い液体を目の前に差し出してきた。

「子犬用のミルクだ」とかなんとか言っていた気がする。

 私は思わず飛びついてその白い液体を飲みまくった。


 さきほどまでの恐怖はどこへやら。

 無我夢中で差し出された液体をガブガブと飲みまくった。


「ふん」


 初めて彼が口の端を上げて笑った。

 私はたまらず声を上げた。

 彼は満足げに頷いていた。



     ※



 それから私は彼の家に住まわせてもらうことになった。


 彼が「小説家」という仕事をしているらしいというのはあとで知った。

 とにかく小さい頃の私は遊んでほしくて何度も何度もテーブルの前に座る彼のもとへと突撃していた。


 時には膝の上に。

 時には背中の上に。

 時には腕にかぶりついて。


 その度に「しっしっ!」とあしらわれたり、「こら!」と怒られたり、しまいには「邪魔だ!」とまで言われた。


 けれども、頭を下げてその場を離れると彼は決まって床をトントンと叩いた。

 振り向くと、仏頂面で私を見つめていた。

 見つめながら、床をトントンと叩いていた。


 それは、何かあるたびに私を呼ぶ合図だ。

 私はたまらず彼のふところに飛び込んだ。


 彼は何も言わず私の身体をなでまわしてくれた。

 たまに全身をかいてくれるのが大好きだった。



 3年くらい経つと、だんだんと彼の言いたいことがわかるようになってきた。

 食事の時の「待て」もわかるようになり、呼ばれた時以外は邪魔をしないようにする我慢も身に着いた。

 決まった時間に散歩にも連れて行ってくれた。


 彼は口数の多いほうではなかった。

 散歩で行き交う人々との会話を聞いてわかったことだ。

 絶え間なくしゃべる「ごきんじょさん」という女の人との会話で常に「ああ」とか「はい」とか「うむ」とかしか言わなかった。


 たまに家にやってくる「たんとうしゃ」という男の人にも「よろしく頼む」とつぶやくだけだった。



 彼は私の世話を毎日してくれた。

 食事も飲み物も用意してくれたし、身体も洗ってくれた。

 時には遊んでもくれた。


 幸せだった。

 こんな生活がずっと続くと思っていた。




 ところが。

 5年、10年、15年と過ごしていくうちに私の身に変化が訪れた。

 身体が思うように動かなくなってきたのだ。

 足腰が弱り、散歩に行くこともできなくなった。


 彼は心配そうに私を見つめていた。


 私も心配かけまいと何度も彼の身体に突撃をかました。

 何度も何度も何度も。

 しかし若い時とは違い、力が足りなかった。

 弱々しい私の突撃はポスッと彼の腕に当たるだけだった。


 それでも、彼は私の頭をなでてくれた。

 私の身体をかいてくれた。



 もう「邪魔だ」とは言われなくなった。



     ※



 そんな状態がどれくらい続いただろう。

 私は突撃をすることもできなくなった。

 何をするにも億劫で、床に寝そべって1日1日を過ごした。

 食事も喉を通らなくなった。


 何度か、白衣を着た人が訪れて私を看てくれた。

 まずい物を飲まされ、痛い注射を打たれた。

 その度に、白衣を着た人は彼に何かを言っていた。


 

 何度目かの時には声は聞こえなかったが首を振っているのだけは見えた。

 彼はコクンと頷いて私を見つめていた。

 それ以降、白衣を着た人は来なくなった。



 彼は1日中そばに寄り添ってくれた。

 仕事はよいのか? と思ったけれど、大好きな彼と一緒にいられるのが嬉しかったので何も言わなかった。


 彼はずっと私の身体をかいてくれた。

 私の頭をなでてくれた。



 気持ちよかった。

 心地よい感触と、温かな手が安心感を与えてくれた。



 目も見えなくなった。

 彼のトントンという床を叩く音を頼りに、膝の上に頭を乗せた。



 彼の膝の上は最高だった。



     ※



「チッ」という舌打ちと、面倒くさいものを見つけてしまったという顔が今でも記憶に残っている。


 すまない、と思う。


 私と出逢わなければ、彼はこんな顔をしなかっただろう。

 私と出逢わなければ、彼はこんなに苦しむこともなかっただろう。


 私と出逢わなければ……。



 私は今、雲の上から彼を見下ろしている。

 彼は泣きそうな顔で私のなきがらを抱いている。



 ああ、本当にすまない。

 私を拾ってしまったばっかりに、こんなに悲しい思いをさせてしまって。

 こんなにツラい思いをさせてしまって。


 どれだけ詫びても取り返しがつかない。

 今度生まれ変わる時は誰の迷惑もかからないよう、ひっそりと野たれ死ぬから勘弁してほしい。


 しかし幸せだった。

 楽しかった。

 充実した一生だった。

 感謝してもしきれない。

 私を拾ってくれてありがとう。



 雲は徐々に上昇を始めた。

 ゆっくりゆっくり、天井をすり抜け、大空へ。

 彼と出会った頃に見たあの青い空が一面に広がっている。

 雲一つない、キレイな青空。


 そんな空を眺める私の耳に、彼の床を叩くトントンという音が聞こえた気がした。


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