化身の話

 帰宅後、机の上にある夜食とメモに気づいて――喜んだのは人間として、苦笑したのは『カミ』として。

 上里信司(かみさと しんじ)は愛しい人の気遣いに素直に喜び、ほんの少しだけ申し訳なさを感じていた。ここ最近、遅くまで帰れない日が続いている。本当は夕食を一緒に食べて、他愛もない話をして、おやすみなさい、なんて平和の象徴のような言葉を交わして眠りたいものだが、現在置かれている状況がそれを許してはくれない。

 『青行灯』は自分なんぞに供物を捧げる人間の心境がわからず、まぁ自分と言うよりは化身に対してだろうなと自嘲した。おにぎりと味噌汁なんて、とても人間らしい食事じゃあないか、少し冷めてはいるが、そこに込められた想いが、何とも居心地が悪いような良いような。

 きいてほしい、しってほしい。零落した『カミ』は己の存在を誇示するために、人間から見れば理不尽と思える事象を引き起こす。その根底にあるのは、きえたくない、しってほしい……さびしい。だから、だろうか。今の『青行灯』は、あの時のように無理をしてまで存在を主張しようとは思えなかった。

 例え化身に対してであろうと、ここまで想われていてはねぇ、と肩を竦める。この供物を用意した人間は、『青行灯』が人間を害することを厭う。しかし、その思いを言葉にして向けることはない。

 何故なら、『青行灯』が人間を害する性質を持つ『カミ』だと知っているから。『青行灯』自身に人間を害する能力はないが、怪談を育て、増長させ、『怪異』に成り上がらせる能力がある。そして『怪異』に人間を巻き込んでこそ、『青行灯』の存在意義が確立することを知っている。

 ともあれ、言い訳のようであるが、最近の『青行灯』が人間を害したことはない。否、『怪異』を創り人間を引き摺り込む所は変わらないが、その後、化身が掬い上げに行く。マッチポンプと言うのだったかねぇ、と笑いながら、『青行灯』は夜食を温め直した。

 低い電子音が、暗い部屋の静寂を乱している。『青行灯』が人間を『怪異』に襲わせて、化身である信司がそれを逃がす。この過程が当たり前になったのはいつの頃からだったか、と『青行灯』は記憶を廻る。

 あぁそうだ、何度かそれを繰り返していたら、その『怪異』の力が増したのだった。逃がした人間がネット掲示板かどこかでそれを語り、馬鹿みたいな勢いで噂が広がった。今では立派な都市伝説となって、『青行灯』の手を離れて遊んでいる。

 高い電子音が響く。温め直しが終わった夜食を机に運び、改まって椅子に座る。手を合わせるのも、いただきますなんて誰もいないのに口にするのも、化身としての自分だ。味噌汁を啜れば、柔い豆の味や豊かな海の匂いが口の中に広がる。それと同時に、心配や感謝と言うような、作り手の心情など。化身として腹が満たされ、『カミ』として存在が満たされる。

 言い訳に過ぎない、と『青行灯』自身は考えていた。本来なら『怪異』に巻き込んだ人間を殺すことで存在を繋いでいくのが『青行灯』なのだから。実際、あのいけ好かない片割、同じ『百物語』を起源に持つ『ガシャドクロ』は遠慮も配慮もなくその猛威を振るっている。だが、しかし、それでも。


「……まぁ、こんなにおいしいごはんを、つくられたらねぇ」

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