第5話 恋人の部屋と山田肇

肇はヤンキーが怖い。高いところが怖い。そして、幽霊が怖い。自分が怖いと思うものを見たくない。ゆえに、あのコンビニ周辺には二度と立ち寄るまいと決意してほとんど眠れぬ夜をすごした。寝てもグロテスクな夢を見るのですぐに目が覚めた。


コンディションが最悪の状態で、午前からシフトが入っていた。

すると自分よりさらに状態の悪そうな平尾さんがいた。彼女は眼が充血しているしよく見ればメヤニもついている。寝癖もそのままで、ベッドの中からそのまま連れてこられたような状態であった。

「店長との会話を聞いたんだけどね」とパートのおばあちゃんが深刻そうな顔で肇に語りかけた。

「平尾さん、どうやら家賃の滞納をしすぎて実家に連れ戻されるかもしれないそうなの」

「つまり、ここを辞めるかもしれないということですか」

「平尾さんをパチンコ屋でみかけたっすよ」とフリーターの男が横入りした。「カッコよかったっす」

「やっぱり浪費癖がすごいみたいねぇ。仕事はできるのにもったいない」

同年代の人が大変な思いをしているのを見て、肇は、ああはなるまいと心に刻んだ。


この日は正午まで働いて、それから鈴音さんの家に向かった。彼女が招待してくれたのだ。肇は、純と遊んでくれたお礼と気持ち悪い画像を送りつけた恨みを言うつもりであった。

タイムカードを切ったとき、背後に平尾さんが立っていた。お疲れさまですと言った。すると突然、平尾さんが過呼吸ぎみになって倒れた。

店長を呼んでから、自分は無関係だといわんばかりに颯爽と退勤した。

「へぇ、その人も大変やね」と一人暮らしの鈴音さんは言った。彼女の部屋には何度か上がっているが、特定の趣味性を感じさせるものがなく味気ない気がしていた。しかし、肇は、この部屋全体に充ちている甘い香りが好きだった。シャンプーか石鹸か、彼女の使う何かの匂い。肇はどうして同じ人間なのに彼女と自分の部屋でここまで臭いが違うのかと頭をかかえた。


彼女はさっきまで大学の課題をこなしていたらしく、ノートパソコンには作りかけのパワーポイントがあった。少しだけ見せてもらうと、それは彼女が参加している読書会で使用するものだった。著者の見解と彼女の見解の比較ポイントがわかりやすくまとめられていた。テキストはおそらく何度も読み返したのだろう、色の違う付箋がいくつか貼ってある。栞に緑の一時駐車券を使用しているのも彼女らしいと思った。

「心の特効薬なんてないからなぁ」

「あぁ、平尾さんのこと?」

「ねぇ、平尾さんが元気になると、肇くんはやっぱり嬉しいの」

唐突に鈴音さんが尋ねてきたので、まさか嫉妬をしてくれているのかと鼻の穴が拡がるような感覚があった。

「もちろん働きやすくなるしね」

「じゃあ、肇くんはどこまで彼女のためにできる?」

「うーん、お金以外の手助けとかかな」と肇は格好をつけた。決まった、今の僕は今年で一番格好いいと心が踊った。

「やっぱり優しいな、肇くん。そういうところ、好きかな」と鈴音さんは、肇の心をくすぐるようなことを言ってから、机の中から火打銃を取り出した。

え? と肇が面食らった。鈴音さんってガンマニアだったの? と聞こうとしたら、彼女はそれをしっかりと点検して、銃口を肇に向けた。肇は下半身が震えた。レプリカだとわかっているが、鈴音さんの威圧ににぎりつぶされているがごとく、身動きができなかった。


ぐはぁ、と脳天の衝撃に耐えかねて彼は情けない声を出した。

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