第4話 忘れられない夏#4

 時間は経って午後八時、俺はバイト終わりにまだやや明るく感じる公園と住宅街の間に道をポケットに手を突っ込みながら歩いていた。


 左肩には学校で使っている手持ちバッグがある。二斬と別れてからそのままバイトに向かったのでしわが出来たワイシャツに夏用の黒い制服のズボンというのも変わらない。

 夜になっても夏の蒸し暑さが終わるわけでもなく、昼よりは幾分かマシという程度で結局のところ熱いことには変わりない。


 俺は軽くワイシャツの襟元を掴むと中に空気を送り込むようにパタパタと動かしていく。その場で出来る応急処置だ。

 いつもならバッグの中にうちわか扇子のどっちかを入れているのだが、あいにく昨日使っていた時に入れ忘れた。

 その時の自分の行動を恨みつつ、俺は昼間の二斬との出来事を思い出していた。


 いや、正確には最後の別れの時なのだが。

 どうしてあの時二斬の笑顔が薄っぺらいと思ったのだろうか。

 まあ、なんというか、感覚的に二斬が何かを誤魔化すために作り笑顔をしたと感じただけの話なのだが。


 俺はその原因に当たりそうな事柄について思い出しながら小首を傾げる。

 正直、俺に思い当たるような節はない。強いて言うならファミレスに向かうまでの間に道行く女性のキレイな脚線美を眺めていただけなのだが、それは軽蔑にも近い眼差しだったので違うだろう。そうなると、やっぱりアレになるよな......


 俺のいうアレは二斬がふと呟いた言葉のことであった。

 その言葉を最後まで正確に聞こえたわけではないので、二斬がどんなことを抱えているのわからない。

 しかし、少なくとも「凪斗」という言葉が出たので俺自身も自分がらみだろうということはわかっている。

 ......その原因がわからないのだが。にしても、二斬って一人でに俺の名前を呼ぶときは下の名前なんだな。


 そう考えるとふと頬に熱を帯びていく。しかし、俺は勘違いをしない。それで酷い目に遭った忘れることのない昔の友のことを知っているから。

 とはいえ、なんとも気恥ずかしいことは本当のことだ。正直なところ、あの呟きもたまたま耳に入ってしまっただけなので、聞いてよかったのかも怪しいところ。


 とにもかくにも、今は熱を覚まそう。そう思った俺はバッグの中から飲みかけのペットボトルを取り出すと口につけていく。

 少し冷たさがなくなってしまったが、体の熱を覚ますには十分な温度。

 それを一回も口から外すことなくゴクゴクと頭の角度を上げながら飲み干していく。


「ぷはーっ!」


 そして、少しへこんだペットボトルを一気に口もちから解放した。その瞬間、肺は一気に外の空気を取り込んでいき、ペットボトルはベコッと元に戻る音を鳴らした。

 ここはまだ公園の外側。少し戻れば公園のトイレのそばに自販機があり、ゴミ箱も同時に置いてある。

 俺は多少面倒とは思いつつも、そのゴミ箱へと向かおうとフェンスに囲まれたうちの一部切り取られた入り口を探した。


「しっかり分別した。俺、偉い」


 一人でにそう呟くと突然携帯の着信が鳴る。バッグの中にある携帯を覗いて見るとバイト先からの電話であった。

 前回も無理にシフトに入ってくれと言われたので、恐らく今回もそれであろう。しかし、今回の俺の意思は固くキッチリ断るつもりだ。

 そして、俺は通話をしながら歩き始める。誰も人がいないので、それにすぐ断るつもりなのでこれぐらいは構わないだろう。


 そして、俺がある十字路にさしかかったその時―――――――


「うわぁ!?」


「ぐっ!」


 ドンッと黒づくめの服の男にぶつかり、弾き飛ばされ尻もちをつく。そして、空中にはがグルグルと回転しており、そのまま地面へと落下した。

 すると、その男は何かを急ぐように近くのバッグを手に取ると大事そうに抱えて走り出した。


 見る限りに怪しい。夏なのに黒いニット、黒のサングラス、白いマスク、黒ジャンバーに黒ズボン。明らかに窃盗でも犯していてもおかしくない格好だ。

 そして、すぐさま逃げるように走り去っていくあの挙動......


「もしかして、掏られたか!?」


 俺は咄嗟に自分のバッグに触れる。似ているが自分のものではない。何かの革で出来ているバッグのようだ。これは明らかに自分のものとは違う。学校指定で買ったバッグは革製じゃない。

 俺はすぐにバッグを盗んだ男を探したが、時すでに遅し。行動が遅かったらしい。

 ということは、携帯も財布もそのまま持ってかれたということ。はあ、ツイてなさすぎる。これは早く交番行かないと。

 そこでふと男が代わりに落としたバッグが気になった。そして、その革のバッグの中身を見てみると――――――


「なっ.......!」


 俺はそのバッグには怪しげな小さなキャッシュケースのようなものが入っており、そのキャッシュケースを恐る恐る開けてみると―――――――中には三本ほどの透明な液体が入った注射器があった。


「.......」


 俺はすぐにそのケースの蓋を閉じる。何も知らない。何も見ていない。何も触れていない。


 頭の中にすり込んでいくように言葉を反芻させていく。そして、すぐさまそのケースをバッグにしまう。

 夏の蒸し暑さが嘘みたいに体が冷えて感じた。

 ゾゾゾゾッと心霊体験の話を聞くよりも怖い恐怖体験をしている気がする。

 少なくとも、触れてはいけない裏の部分に自分の意志関係なく片足を突っ込んでしまった感じは否めない。


 俺はバッグを大事そうに抱えると辺りをキョロキョロと見回す。

 携帯や財布と言ったこともあるが、ともかくこのブツをどうにかしたかった。

 少なくとも、この状態で警官に見つかれば面倒ごと待ったなし。下手すれば、そのまま逮捕される可能性だってあるかもしれない。

 その可能性を考えると近くの交番に行っていいものかどうかも迷ってしまう。


 と、とにもかくにも、俺はバッグを持って立ち上がると挙動不審に歩き始める。

 そして、頭の中で考えるのはこのバッグの処理の仕方。もうベタベタと触れてしまっているんので、見つかれば指紋検査辺りで特定される。

 一番有効なのは証拠隠滅。どこか人目のつかなそうなところで埋めてしまうのが一番いい。

 その後は被害者面をして(普通に被害者なのだが)警察に携帯と財布を取り返してもらうこと。特徴は覚えているのでそれで事なきを得るのが一番いい。


「よし、それでいい。それでいこう」


 俺は自分を鼓舞するように元気良く言うと出来るだけ自然に歩き始めた。

 するとその時、どこからともなくインコが俺に向かって飛んでくる。しかも、そのインコは俺の肩に止まった。

 恐らく誰かの家から逃げ出してきたのだろう。しかし、夏場に体験したくないようなハラハラを体験中の俺は地味に心強よい気持ちを感じていた。


「オハヨウ、オハヨウ」


「うぉっ! お前、しゃべんのかよ.......」


 インコの突然の声にただでさえ肝が小さくなっている俺は体を思わずビクッと反応させる。

 そして、しゃべったインコに対してふと恨みがましい目を向ける。

 しかし、インコにとってはどこ吹く風。やがて俺も馬鹿馬鹿しくなり睨むのを止めた。


 すると、インコはまたしてもしゃべりだす。


「キケン、キケン」


「何が危険なんだ?」


「キケン、キケン」


「だから何が―――――――!」


 そう言いながら飛び立つインコは俺の頭の周りをグルグルと回っていく。そして、左側に立つともう一度同じ言葉を告げた。

 俺はわけもわからないままにそのインコの方へと目線を向けるとその背後から急速に何かが向かって来る。

 その姿は人のように見えて、それ以上に身の丈以上の鎌のようなものを持っている。

 そして、その人物はそのまま鎌を振り下ろした。それを俺はバッグを縦にしながら横っ飛びした。


 鎌の攻撃範囲は思っているよりも広く腕を軽く斬り裂かれた。

 それから、俺がバッグを抱えたまま地面に倒れているるとその人物は破裂音のような着地とともにすぐにその胴体に馬乗りになるように立って鎌を向ける。


「誰だ.......!」


 俺は突然のことに頭が混乱しながらも、ふと顔を上げる。そして、その顔を見た瞬間、恐怖よりも驚きが勝った。


「逃げないで」


 華やかで愛らしい印象も笑みを作っていた顔もないただ無機質で表情が死んだような顔をする―――――二斬は威圧するようにそう言い放った。

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