北のまほろば
橘月鈴呉
第1話 大型掘立柱建物
意識がゆっくりと水面に浮上してくる。私の意識は、眠りの世界から現実へと帰って来た。しかし周りは真っ暗である。これは外の光が遮られていることが原因で、その証拠に外へと繋がる一角には光が差し込んでいた。
私はのそりと起き出し、外へと這い出た。半地下に作られている家からこうして出る時、頭の片隅で種から顔を出す芽にでもなった気分になる。
そして家から発芽した私の目の前には、柔らかな朝の日差しに包まれた、見渡す限りの自然が広がっている。いや、これは正しくない。実は周りには多くの人工物がある。現に目の前の丘だって、先祖代々土などを盛り上げて作っていて、今でも時々土などをかけている為、草は生えているが木は見られない。さらに左右を見れば、うちと同じ様な家々が並んでいる。しかしそれらの家々の屋根に葺かれた土に草が生え、まさに自然の中に馴染んでいるのだ。
自然と人工物はくっきりと対比していた、文明の進んだ時代とは明らかに違う。
私が前世で過ごした平成の世では、今いるこの時代のことを、縄文時代と呼んでいた。
前世の最期の日、私は市内にある縄文時代の遺跡に行っていた。何も歴女だとかそういうことではなく、高校の総合学習で出された課題の題材に選んだってだけの話だ。だって、ボランティアガイドさんの話や展示室の解説をほぼほぼそのまままとめて、写真と一緒に体裁整えたら、高校生のレポートとしては十分なクオリティじゃない? しかも、入館もボランティアガイドの解説もタダだし、写真も動画も取り放題なんて利用するしかないでしょう!
そんなこんなで隅から隅まで、矢鱈めったら写真や動画を撮って、これは中々なレポートが出来るぞ! とか上機嫌で歩いた帰り道。車が突っ込んで来て、若い身空とやらを散らすことになってしまったわけだ。
そして、次に気が付いた時、私はこの時代に生まれた赤ちゃんになっていた。小さい時には脳の発達かなんだかなのか、あまり意識を集中できなかったのだけど、大きくなると前世の記憶をしっかり取り出し、色々考えられる様になった。特に生前最期に行った遺跡のことは、死ぬ前の鮮明な記憶だったからか何なのか、やけにしっかり覚えていた。で、その記憶を持って色々と見て回った結果、このムラはおそらく、現役だった頃のあの遺跡なのだろうとという結論に至った。
まぁ、それが解かったから何だというと、何もないわけなんだけど。
「あら、マホおはよう。起きたのなら、水を汲みに行ってくれる?」
洗濯をして来たらしい、籠を持ったお母さんに言われる。それに「ハーイ」と返事をして一度家の中に入ると、大きな土器を持って再び外に出る。
未来であれば蛇口を捻れば……いや、手をかざせば出て来る水だけど、縄文時代ではそうはいかない。とは言っても、このムラはすぐ脇、川岸に向かって小さく崖になっている所を下ればすぐに新鮮な湧き水があるので、そこまで大変な仕事ではない。
水を運ぶのに使う土器は、深さが五十センチ程。そうとだけ聞くと重そうに感じられるのだが、これが意外や意外、羽の様に軽いとまではいかないが、想像していたよりも軽いというのが実感だ。歴史的価値が高いから大事にしなきゃぁみたいな気負いが無い状況では、運ぶのは別に苦痛ではない。もちろん水を入れた帰りは重くなるが、持つ際に縄を転がしてつけたデコボコや、紐状にした粘土を貼り付けた所が指に引っ掛かり、滑らないというのが結構助かるのである。土器をデコるにも意味があったんだな。でも火炎土器はやり過ぎだと思う。
そんなことを考えていると、湧き水へのショートカットポイントの崖に着いた。この急斜面を、途中の出っ張りとかに足をかけて駆け降りるのが、このムラの若者のやり方なのだ。裸足でやるとしたらつらいけど、寝起きには裸足だった足は、家を出る時に履いた靴(底を厚くした革で足を包んで、紐で固定するというものだ)に包まれているので大丈夫。もちろんエアクッションの入ってる靴みたいに衝撃を吸収してくれるとかではないが、前世がどうあれ今の私は生まれも育ちも縄文時代の野生児、そんなに軟じゃない。
土器を意識してしっかり抱えると、「セイッ」という掛け声とともに崖に踏み出す。後は勢いのまま、テンポ良く足場になりそうな所を踏みしめ、バランスを保ったまま地面に到達する。
頭の内で「10.0」と自分勝手な評価を下しつつ、目的の湧き水へ近付く。
まずは土器を脇に置き、両の手の平を使って水を汲むと、軽く口を濯ぎ、さらにもう一度汲み、今度は顔を洗う。
冷たい水で顔を洗うというのは、未来も縄文時代も変わらず心地好いものだ。顔周りに漂っていた夢の残滓を、スッキリシャッキリ洗い流してくれる。周りの風景も幾分彩度が上がった様な気がする。そしてそんな鮮やかな風景を見ながら、今日も今が縄文時代であるという実感と、この縄文時代で生きていくんだという決意を新たにするのだった。
さて、感傷的になったからといって、もたもたするわけにはいかないのだ。簡単に言えば、水の遅れは朝食の遅れなのだから。
脇に置いた土器を抱えて水を汲む。水を入れた土器を持って、さっきの崖を上がるわけにはいかないので、横を流れる大きな川の川下の方へ少し歩き、もっと緩やかな所を登るのだ。今日もその道を、洗濯するおばさんたちにあいさつしながら歩く。
未来では、もう小さくなっていた大きな川の流れに沿う様に、ムラの入り口の方へ歩いていると、下流の方から近付いて来る影が見える、船だ。
この時代の船は、丸太をくり抜いて作ったカヌーの様な丸木舟。とは言え未来の人々よ、縄文人をなめてはいけない。この丸木舟で沖まで出て漁をしたり、色々な物を乗せて、日本全国各地へ行くというアクティブさが、縄文人にはあるのだ。
それにしても、今誰か漁に出てたっけ? と考えながら、船に乗っている三人の男の顔に目を凝らすけれど、どれも見覚えのない人たち。ということは、ムラの人ではなく、別のムラから来た人たちだということだ。
水の入った土器を片手で抱えると、大きく手を振ってみる。船に乗ってる人たちも手を振り返してくれた。
「こんにちは、君はこのムラの人?」
船の一番前に乗っていた人が声をかけて来た。頷いて肯定しておく。
「良かった!
オレたちは、日が最も高くなる方にずっと行った所にあるムラから来たんだ。
長にお会いしたいんだけど、連れて行ってくれるかい?」
「えぇ」
私がそう返すと、舟の男たちはホッとした様に笑い合うと、舟を岸に上げ、乗せていた荷物を分担して持った。彼らの準備が終わったのを確認して、「こっちよ」と声をかけ、ムラの中へ案内する。
川に降りる時に通った崖とは比べ物にならないくらいになだらかな道を通って、台地の上にあるムラへと入って行く。ムラに入ると、硬い地盤のところまで掘りくぼめた上で、踏み固めて作った道の両側には、うっすら盛り上がった土饅頭が並んでいる。お墓だ。
お客さんをご先祖様がまずお迎えすると同時に、悪いモノからムラを守ってくれているのだそうだ。
そんなご先祖様ロードを抜けると、本格的にムラに入る。左側の家が並んでいる方から、顔なじみが声をかけて来た。
「マホぉっ! マレビトさぁんっ?」
「そぉっ!」
マレビトとは、お客さんのこと。稀に来る外部の人ということだろう。でも、このムラには外部の人は稀にではなく、結構来る。この人たちの様に南からも来るし、未来では津軽海峡と呼ばれる海を越えて、北からも来る。だからムラの人たちも、お客さんに慣れている。
そんなことをつらつら考えていると、道の先に他の家とは比べ物にならない、大きな竪穴住居が見えて来た。どこかに出かけていなければ、長はあそこにいるばずだ。
長だから大きな家に住んでいるのかというと、それはちょっと違う。
大型の竪穴住居は、集会場として使ったり、共同で作業する時に使ったり、あと冬に雪が積もるとあそこで共同生活を送ったりする。そんな建物の管理をするために、長はあそこに住んでいるのだ。
建物の大きさからは不釣り合いに見える入り口から中を覗き込み、住居内に潜り込みながら、声をかける。
「長ぁ、マレビトさん連れて来たよぉっ!」
すると中から「ああ」と返答しながら、顔に濃い皺を刻んではいるけれど、老人という程じゃない男性が出て来る。この人がこのムラの長だ。
「おお、よく来られた」
長がマレビトさんたちを歓迎する。後は長に任せよう。何せ水汲みの途中で、朝ご飯も絶賛遅れてるのだ、実はお腹の虫が鳴きだしそうでヤバイ。
「じゃあ、私はこれで」
「ああ、マホありがとう」
その声に見送られて、長の家を出た。
遅めとはいえ、無事に朝ご飯を食べてお昼頃、外を歩いていたら朝案内したマレビトさんたちとまた顔を合わせた。
「ああ、朝はありがとう」
「こんにちは。いえいえ、どういたしまして。
このムラはどうですか?」
私が訊くと、周りを見回しながら、
「いやぁ、話には聞いていたけど、こうして訪れてみるととてもすごいムラだな。
他のムラにもいくつか行ったことがあるけど、こんなに大きいムラは初めて見る。
それに、こんな高い建物、見たことがない」
そう言って見上げた先にあるのは、未来で六本柱と呼ばれていた建物。復元ではあえて屋根を復元していないということだったけど、本物にはちゃんと屋根もある。でも復元と同じで三層構造になっている。未来の遺跡でもランドマークになっていたけど、実際ムラでもこの六本柱は目印なのだ。
「そうだ、上ってみます?」
思い立って提案してみる。マレビトさんたちは驚いた顔になる。
「良いのか?」
「今は別に使う用事ないし、大丈夫でしょ」
そう言って、六本柱の方へ案内する。未来の遺跡では、階段も梯子もかかってなかったけど(多分、危ないからだろうな)、当然今は太い木の幹を利用した階段がかかっている。まあ、もちろん未来の階段の様に安定性があるわけじゃないから、バランスを崩さない様に気を付けながら上る。そんな私に続き、マレビトさんたちもおっかなびっくりついて来る。
一番上の階に到着すると、海の方に行く。一番上の階は私のお腹くらいまでの高さの壁(手すり?)がぐるりと囲っている。
高さは十メートル以上。未来でも、遺跡でのイベントで復元六本柱と同じ高さまで高所作業車で上って、六本柱に上ったのと同じ視点を体感できて、私もやったことあるけど、同じ様な視界が広がっている。もちろん鉄塔や電線、遠くに見えていたベイブリッチなんかはないけれど、ここに来るといつもあの時の光景を思い出してしまう。
「ああ、海まで見えるんだな」
「そうそう、ここでは夜に魚を捕りに行くのムラの人や、マレビトさんが迷わない様に、火を焚いているの」
「オレたちも、内海に入ってからここの
おお、利用者だ。私は海から見たことないんだよね、どんな感じなのかな、見てみたいんだけど、漁は男の人の仕事だから機会がないの。
そんなふうにむくれていると、下から叫ぶ声が聞こえる。
「マホおおおぉぉぉっ! お前また、許しなく上るなと言ってるだろうがあああぁぁっ!!」
あ、この声は父さんだ。
「ごめんなさあああぁぁい、降りまぁぁすっ!!」
バレた、そして怒られた、いつものことだから気にしない。
「そういうわけで、名残惜しいけどもう降りなくてはいけません。降りる時も気を付けてくださいね」
「え、あの、悪いことしたかな」
「ああ、私はいつものことなので、それに私が上らせたって、みんな解かってるのでみなさんは怒られないので、気にしないでください」
まだ困惑するマレビトさんたちに降りるように促す。そして私も降りる前に、もう一度ムラを一望する。
縄文時代に転生した私は、この時代で元気にスローライフ楽しんでいます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます