第十五話 騎士の懐
「あー、良い匂いー」
「そんなに気に入ったなら、その花で俺に香油を作ってくれ」
「え?」
花を乗せた私の手を引き寄せてクレイグが香りをかぐ。指先が唇に触れてしまいそうな近さ。その手の温かさと瞳を閉じた表情を見て、胸がどきどきと音を立てる。
「俺に花の匂いなんて、似合わないか?」
「大丈夫。クレイグに似合うように調香します。任せて下さい!」
精悍なクレイグには爽やかな香りが合うと思う。この花を中心にして柑橘の香りを加えてもいいし、香草や香辛料を足してほのかに刺激的にしてもいいかもしれない。先程購入した香木の甘さも面白いかもしれない。考えるだけで心が躍る。
熱くなる頬も胸のときめきも、きっと香りの配合を考えているせい。
「じゃあ、頼む」
「はい」
答えるとクレイグの手がそっと離れてしまった。残念な気持ちを隠して微笑む。
クレイグが恋人だったらいいのにと、今日は何度思ったことだろう。でも現実は残酷。私はクレイグの抱き枕であって、古城での暇つぶしの相手でしかない。三カ月が過ぎればクレイグは王城に戻るし、私は侯爵家の屋敷に戻る。
お嬢様が王子妃候補に選ばれたらいいのに。王子の婚約者になれば王城での生活が待っている。そうすれば私も王城へ行くことができる。……そんなことをぼんやり考えて、近くにいても何かが変わる保証はないと思い直して前を向く。
「どのくらい必要ですか?」
少年に尋ねられて我に返る。あまり売れない花ということで、これも値段は安かった。大きな瓶に入ったもの全部と追加で注文する。
「袋にいっぱいだな。こんなに必要なのか?」
「初めて使う花なので、どれだけ精油が取れるかわかりませんが、小指の先半分くらい取れたら良い方ですね」
蒸留法と抽出法と、どちらも試してみたい。この麗しい香りが、どう変化していくのかとても楽しみ。
「じゃあ、全部を古城まで届けてくれ。門番には言っておく」
他の材料と道具を追加で注文して、私たちは魔道具屋を出た。
◆
胡散臭い裏通りを早々に通り抜け、賑やかな市場を並んで歩く。
「あの……恐ろしい金額になっていると思うのですが……」
魔道具屋では目の前で金額計算が行われて、背筋が寒くなるような金額になっていた。
「ん? そうか? 俺はよくわからんが、あれだけ複雑な装置と道具なら、あの値段は妥当な所だと思うぞ。ちゃんと職人に金が行くなら問題ないだろ」
「いえ……そういうことではなくて……」
何でも気前よく買っているけれど、クレイグは貴族ではなく、騎士。騎士の給金がどれだけもらえるのかわからない。
「もしかして、俺の懐具合の心配か?」
「……ええ。使い過ぎではないですか?」
意地悪な笑顔になったクレイグが、私に一月の給金を耳打ちした。
「は!? そんなに!?」
とんでもない金額を聞いた。私の給金の百倍近い。
「本来は個人の屋敷を持って使用人を雇うのが普通らしいが、俺は王城の居室で暮らしてるし使う機会がない。貯まる一方だから、ぱーっと使いたくなることもあるってことだ。気にするな」
クレイグも王子と同じで遠い人だと確信。これ程の高給取りの恋人なんて夢のまた夢としか思えない。
「騎士っていうのは命がけだ。国の為、国民の為にいつ死ぬかわからない。悪いが三カ月の間、俺の遊びに付き合ってくれないか」
笑顔でそう言われると、拒否はできない。私にいろんな物を買い与えるのも抱き枕にすると言うのも、すべては重責の中の息抜き、単なる気晴らしでしかないのか。あまりにも艶のない話だと諦めにも似た苦笑が漏れる。
「金銭で遠慮することないからな。思う存分使ってくれ」
「残念ですが、もう道具も材料も揃いましたので、これ以上浪費することはできませんよ」
遠慮は消えても、高額であることは変わりない。
「三カ月で、クレイグに似合う香りを私が作ります。任せて下さい」
これは短い夢。そう思って楽しもう。
「それは楽しみだな。さて、次の店に行くか」
「は? もう材料は揃いましたよ?」
「まだ昼過ぎだ。古城に帰っても何もすることないだろ?」
確かにそれはそうだ。道具や材料が届けられるのは五日後。
「どこに行くんですか?」
「行けばわかる」
やたらと明るく笑うクレイグに、私は同行するしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます