第九話 平らな靴と塔の階段

 流されるままに靴も買ってもらってしまった。真新しい靴の革の柔らかさが怖い。


 明るい大通りを歩き、話をしながら次の目的地へと向かう。クレイグは何か買いたい物があるらしい。新しい服と新しい靴。たったそれだけの変化で、まるで生まれ変わったように心が浮き立つ。体も軽く、景色も明るく見えるから不思議で仕方ない。


 茶色の編上げ靴は淡い青緑色の服にも合う。何度も修理して何年も履き続けていた靴は下取りに出した。まだ履けると思っていたのに、私の足に合わなくなっていると靴職人に注意され、このまま履いていると足の形が変形して老後に歩けなくなると言われれば手放すしかない。


「あ、あのっ。これって物凄く高いのではありませんか?」

 新しい靴といえば、硬くて硬くて慣れるまでに一週間はかかるものなのに、今履いている靴は柔らかく足に馴染んでいる。


「そうか? 靴なんてどれも似たような値段だろ?」

 クレイグはいつ支払っているのかわからない。たぶん私が店員と話し込んでいる時や、試着している時なのだと思う。総額を考えるといくら借り物でも怖くなる。


 クレイグのブーツは硬そうな革で出来ていて、馬に乗る為といざという時の防具になると言われればそうかと思う。つま先には鉄が仕込んであって、誰かに踏まれても平気らしい。


「あの踵がある靴でも良かったんじゃないか?」

 クレイグが言うのは、細い踵の華奢な布靴のこと。外国で流行っているという靴は今まで見たことの無い繊細な作りで、折れそうな高い踵は綺麗でも履くのは怖い。


「あの靴では仕事ができません。そもそもまともに歩けない靴です」

 試着してみろと言われて恐々履いてみたものの、一歩も歩けない始末だった。きっと訓練が要る。

「ふーん。よくわからんな。何で踵がほとんどない靴ばかり選んだんだ?」

 予備が必要だと言って、クレイグは私の靴を二足注文した。一足を大事に履いてきた私にとっては贅沢すぎる。


「塔の階段の昇り降りがありますから」

 古城でお嬢様に割り当てられた部屋は塔の上。一日に何度も昇り降りするので、歩きやすい靴でなければ疲れてしまう。


「あー、そうか。お前の姫さんは塔の上か。ん? あの塔には公爵家の姫さんが入るって聞いてたが」

「その公爵家の令嬢が、塔の上なんか面倒で嫌だ嫌だってごねてる所に、ちょうど私たちが通りかかったんです。で、お嬢様が『替わりましょうか』って」

 溜息一つ。お嬢様は人が良すぎる。お嬢様に割り当てられていたのは窓から王城庭園が見える日当たりの良い客室だった。一階という格下扱いの部屋でも、素敵な場所だと喜んでいたのに。


「へー。だから公爵家の姫さんなのに一階の部屋にいるのか。まぁ、あの部屋は古城の中でも抜群に良い場所だしな。今は一階が格下って言われてるけど、あの古城が出来た当時は、庭園の薔薇が見える部屋っていうのは城主の愛を示す場所って言われてたらしい」

「……公爵家の令嬢が、嬉々として場所を替えた理由がわかりました。それを知っていたんですね」

 今は建物の高い場所が格上と言うのが常識。誰もが上階の客室を望み、令嬢たちは殆どが城の三、四階を占めている。


「階段の昇り降りか。荷物持ってだろ? 大変だな」

「全然。お嬢様は私に負担を掛けないように気を使って下さるので、一日数回で済んでます。他の侍女の方が大変だと思いますよ」

 一日に何十回も階段の昇り降りがあると聞いている。お嬢様は部屋に食事を運ばせることもほとんどせず、古城の大食堂で食事をとることが多い。


「貴族の姫さんが侍女に気を使うなんて初めて聞いたぞ。良い人なんだな」

 何故かちくりと心に刺さった。確かにお嬢様は良い人で、誰もがそう口にする。私も心の底から尊敬している。……でも、クレイグの口から聞くとほんの少しだけ気に掛かる。


「そうです。素晴らしい方ですから、王子妃になられても立派に務められると思います」

 王妃になっても不思議はないと思う。むしろ王妃になってほしい。いつも微笑みを絶やさず、侯爵夫妻や使用人たちを励まし導いてきた。


「姫さんが好きなんだな」

 からかうような言葉でも腹は立たない。私はお嬢様が大好きだから。


「王子ってどう思う?」

 唐突な質問で、頭がついて行かない。少し考えてから答える。

「素敵な方ですよね。理想の王子って感じです」

 この国の貴族の男は大抵威張り散らしていて、使用人を人間と思わない。ラザフォード侯爵家の人々とハロルド王子はそういった威張った雰囲気が全く無く、誰に対しても常に柔らかな笑顔で言葉を交わす。童話の中の王子様そのままの印象を持っている。


「理想の王子……か。ああいうのが好みなのか?」

「は? 好みとかそういう次元で話をしないでください。恐れ多いです」

 夢見る少女の年齢はとうに過ぎ、王子に対して恋愛感情を持つことはあり得ない。


 何故か機嫌の良い笑顔になったクレイグは、次の店へと私を案内した。

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