第六話 変色した香木

 料理店の門の外に出ると、賑やかな町へと戻る。上品で素敵な空間だと思っていたのに、無意識で緊張していたらしい。肩の力が抜けた。


「ありがとうございます。とても美味しかったです」

「おう。美味かったならよかった」

 いつ支払ったのかわからないので、金額がさっぱりわからない。気にしなくていいと言われても、少しは気になる。


 食べた料理の感想を交わしながら、雑踏を歩いて行く。町の道は建物と同じ薄茶色の色の石畳で覆われていて、歩きやすい。


 馬車が行き交う大通りに面しているのは貴族や富裕層向けの高級品を扱う店で、扉の前に案内役の従僕が立っているからすぐにわかる。


「……魔道具屋は、どこにあるのですか?」

「あの市場の裏通りだ。俺が時々行く酒場の近くにある。入ったことはないけどな」

 大通りを曲がると色の洪水が待っていた。様々な色の大きな日よけ傘が並び、その下ではカゴに盛られた果物や野菜が売られている。お菓子や軽食を売る屋台や、陶器などの様々な雑貨を扱う店も並び、大勢の人々で活気にあふれている。


「とても賑やかですね!」

 侯爵家の領地にある町でも見たことの無い規模の市場は、古城の静けさとは違う騒々しさが心を浮き立たせる。人が集まる市場は、人の温度を感じる場所なのだと思う。

「国境近くだからな。外国の商人も買い付けに来るから、いつでも商売繁盛だ」


 クレイグが騎士とは思えない気軽さで店員と軽口を交わしながら黄林檎を買い求め、袖で拭いてかじりつく。

「先程、食事したばかりでしょう?」

 山のように盛られた料理を食べたばかりなのに。


「食後の果物は別腹って言うだろ?」

「聞いたことがありません」

 食べるかという勧めを断ると、しゃりしゃりと音を立てて、あっと言う間に食べてしまった。


「騎士の時とは、全然違いますね」

 折り目正しく融通の利かない真面目な人だと思っていたから、苦手意識を持っていた。今の気楽な雰囲気は隣にいても心地いい。


「そりゃそうだろ。職務は職務。俺は俺。人間、誰しも裏表があってもいいってこと。裏の顔を隠して張り詰めてると、いつか無理がくるからな」


 いつか無理がくる……何故かその言葉が胸に刺さる。裏の顔とまではいかなくても、出自を隠している後ろめたさは常に感じている。


「あ!」

 瑞々しい果実や野菜の匂いの中、独特な香りがふわりと漂ってきた。

「どうした?」

 見回すと、すこし離れた屋台が目に入る。


「あの店を少し見てもいいですか?」

 昔かいだことのある香木の匂いを感じた。駆け寄ると赤い布が敷かれた台に、カゴやガラス瓶に入った大小の木の塊が並べられている。茶色や黒、白っぽい物もある。


「どうです? 遠い異国から仕入れた香りの木です。このまま使っても良し、削って焚いても良し、彫刻の材料としても良い物です」

 黒いローブを着た男性が静かに微笑む。


「へえ。ただの木の塊じゃないんだな」

 クレイグがこぶし大の香木を手に取って匂いをかぐ。

「素手で触っちゃ駄目です!」

 私の制止は遅かった。素手で触れた場所が、赤黒く変色していく。


「何だ? 色が変わったぞ?」

「あーあ。種類にもよるけれど、人が触れると香りが変質してしまうんです」

 触れた人によって変質した香りも違う。クレイグが触れた香木は、とても爽やかで甘い匂いを漂わせている。


「じゃあ、どうやって使うんだ?」

「基本は手袋。あとは摘み器具とかで扱います」

 変質するのは触れた表面だけで、削り落とせば他の部分は使える。


 置かれていた場所の値札を見ると、私の給金十日分。眩暈がしそう。

「……クレイグ……後で返しますから、お金を貸して頂けませんか?」

「ん? ああ、買い取りか。俺の失態だからな。俺が買う」


 変色した香木は布と紙袋で丁寧に包まれて、クレイグの服のポケットに入った。

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