第四話 馬上の景色
クレイグの前、横座りで栗毛の馬に乗せられて、裏門から外に出る。久しぶりに乗る馬から見る景色は遠くまで見通せて、いつもとは気分が違う。
古城を離れるとクレイグの言葉遣いが変わった。王子妃候補選びの為の間諜が潜んでいるので誰が聞いているかわからないからということらしい。
「馬に慣れているんだな」
「……昔は馬に乗っていましたから」
最後に乗ったのは十二歳の頃。広い草原に囲まれた村では馬での移動が当たり前。この国に来てからは一度も乗る機会はなかった。
「一人で? 今は乗らないのか?」
「ええ。遠乗りもしていましたが、この服では難しいですね」
もっと布が贅沢に使われたワンピースなら、跨ることもできるだろう。この国では女がズボンを穿く事は許されない。
「走らせてもいいか?」
「はい。全速力でも構いません」
「言ったな? 後悔するなよ?」
クレイグが馬に合図すると走り始めた。全身に風を受け、周囲の景色が流れて行く。久しぶりの感覚に心が躍る。不安定な横座りでも、クレイグの腕がしっかりと腰を支えてくれているから安心していられる。
クレイグの腕の中は温かくて不快感はない。むしろ安心感だけがある。何故と自分に問いかけても答えがでない。昨日出会ったばかりなのに。
酔いつぶれた私にクレイグが手を出さなかったのは、責任を取りたくないということ。つまりは私と結婚はしたくないということだろう。行き遅れの私が何かを期待してはいけないと思う。
抱き枕にするというのも、きっと魔法薬の代金が私が払える金額ではないとわかっているから非常識な提案をしたというだけ。優しくて誠実な人だと思う。……こんな人が恋人だったらいいのに。
熱くなりかけた頬を風が冷やしていく。馬がさらに速度を上げ、全速力に近くなると上下の振動が小さくなり、まるで風になったような気分を味わえる。思わず零れる笑い声が風に乗って散っていく。
「楽しそうだな!」
「ええ。楽しいです!」
答えると馬はさらに速度を上げた。
風の中に緑と花の匂いを感じて、草原を走り抜けた思い出が心によみがえる。思い出したくはなかった過去も、朝の光の中なら怖くないと初めて知った。
「町が見えてきた! このまま一気に駆け抜けるぞ!」
クレイグの明るい声が、私を思い出から引き揚げた。腰に回った温かい腕を再確認して、鼓動が跳ねる。
丘を越えると美しい街並みが広がっていた。赤茶色の屋根とベージュのレンガで出来た建物。統一された色彩の中、人々の息吹を感じる。まるで一つの生き物のよう。
町に入ると馬は緩やかに速度を落として歩き始めた。賑やかな道には荷馬車や人が溢れていて、馬の扱いは慎重になる。クレイグの手綱さばきは慣れているのか無駄な動きがない。これなら馬も安心して歩くことができるだろう。
「どこに行けばいいんだ?」
「あの……魔道具屋というのは、この町にはあるでしょうか。なければ薬屋か化粧品を扱う雑貨店で」
この国で魔道具屋を見たことはない。魔法が廃れてしまったこの国では商売が成り立たないのだろう。いつも薬屋か雑貨店で材料を買っていた。
「わかった。裏通りになるから、馬を預けてからだな。そういえば、飯は食ったか?」
「あ。……忘れていました」
「じゃ、俺が知ってる店に連れていってやる」
「はい。お願いしま……あ。申し訳ありません。私、財布を持っていません」
城の外に出るつもりはなかったから、財布は部屋に置いたままと今になって気が付いた。
「俺は抱き枕に金出させたりしないから安心しろ」
「だっ……その言葉を外で言わないで下さい。恥ずかしいではないですか」
馬上なので距離はあると言っても、周囲は人だらけ。誰かに聞こえたかもしれない。顔だけで振り向いて抗議すると、クレイグの意地悪な笑顔に視線がぶつかる。
「ワザと言いましたね?」
「いや。俺はそんな意地悪くないぞ」
絶対にわかっていて言っているに違いない。
「その言葉は外では禁止です」
「はいはい。ほら、店が見えてきたぞ」
「え? 何だか高そうな店ですが……」
庶民の食堂を想像していたのに店構えからして違う。白く塗られた鉄の門と緑の生垣の奥に建物がある。
「馬を預かってくれる店は少ないからな。我慢してくれ」
「が、我慢だなんて、そんな!」
素敵すぎて緊張している間に、馬は門を潜り抜けた。
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