8話 散歩③
「私はね、産まれてすぐ交番に置き去りにされたんだって。私の名前の書いた紙だけが一緒に置いてあったって聞いた。それからまずは乳児院っていう施設にしばらくお世話になって、少し大きくなったら児童養護施設っていう孤児院みたいな所に預けられた」
私が淡々と話し始めると、イオーラは嗚咽を止め涙で濡れた瞳で私の顔をじっと見つめた。
「私が過ごした施設はあんまり良い所じゃなくてね……ご飯をちょっぴりしか出してもらえなかった。いつもお腹がすいていて、保育園や小学校……子どもが集まって遊んだりお勉強をする所があるんだけど、そこで出るお昼ご飯を何杯もおかわりして食べてたの。そんな変な食べ方してるから、どんどん体が大きくなっちゃって、子どもの頃は“デブ”とか“ブタ”とかあだ名で呼ばれていたんだー……」
「……そうは、見えないけど」
しゃくり上げながら、か細い声で口にするイオーラ。
やっと普通に話してくれるようになった彼女へ喜びを感じつつも私は話を続けた。
「十二歳の時に私の面倒をみたいって言ってくれる夫婦に出会えたの。とてもいい人達でね、それからは毎日ちゃんとご飯が食べられるようになって、勉強……は元々そんなにできなかったけど、習い事だってさせてもらえるようになって……」
育ての親の顔を思い出すと私まで泣きたくなってくる。優しい笑顔と美味しい食事と一人で広々と使えるベッド、それまでの私の生活には無かったものだった。
「その人たち、元の世界であんたの事待ってるんじゃ……」
「元々、私を引き受けてくれた時には高齢でね。一昨年に父が、その後追う様に去年母が亡くなって、家族は誰もいないのよ」
そう。あの広い家に住んでいるのは私一人。一々、自分の部屋まで行くのも億劫で、リビングで眠る事が増えてしまった。母が「みんなで並んでテレビを見ましょ」と買った三人掛けのソファーは、今では私の寝床になっている。
「本当は、もっと恩返しがしたかった。仕事が大変でなかなか早く家に帰れないし、休みもゆっくり取れなくて……少ないけど、私のお給料で旅行くらいしたかったな」
「……」
「……ご、ごめんね、これは関係無かった。つ、つまり私が何を言いたいかと言うとね……私は施設であんまりいい思い出が無く育ったから、絶対にそうはしたくないって思いが強くて……だから、私が皆の事、中途半端にして放り出す事は絶対ないし、帰るとしても皆がもっと外の世界で笑って過ごせるようにするまでは帰らない。……皆で楽しく過ごせるように頑張るし、イオーラに信じてもらえるように全力を尽くすよ……って事……」
「……フン」
じっと黙って聞いてくれていたイオーラは、鼻を鳴らして立ち上がった。
「だれも聞いてないのよそんな話。何勝手にぺらぺらとしゃべってるんだか」
「ぐっ……」
相変わらず言葉の端々がキツイ。心の痛みに耐えつつ私も彼女に釣られて立ち上がる。
私よりも拳一個分程背の小さなその少女は、こちらを見上げて「でも」と言葉を続ける。
「ちょっとだけなら、信じてあげてもいいよ。……サクラ」
うっかり見落としてしまう程小さく微笑むイオーラ。その姿は花が咲いたかの様に可憐で、私は目を奪われた。
「い、イオーラ……」
抱きしめたい衝動に駆られ手を伸ばそうとするが、素早く避けられる。
「ま、今後どうなるか分からないけどね。すぐに撤回するかも」
「うっ……手厳しい」
「……で、どうする? どうやって戻る?」
銀髪をかき上げる仕草をしながら、崖を見上げるイオーラ。どうやら迂回ルートも知らないらしい。しばらく待っていれば、ロンドが人手を連れて来てくれるかもしれないが、オルレリを探さなければならない以上、じっと待ってはいられない。
幸いにも雨はかなり収まってきて、日も差している。
「そうだ」
私はドンが使っていた小型書類入れのペンダントを胸元から取り出す。実は児童憲章の話をした後に貰ったのだ。青い石を押すと書類の束が現れる。その中から一枚の紙を抜き取った。
「イオーラさえよければ、これにサインしてくれない?そうしたら私の召喚魔法で崖の上まで飛ばすから」
「そんなテレポートみたいな使い方が出来るの?」
「多分出来ると思う。もし嫌だったら書かなくていいよ。自力で上がる手段を探そう」
「……」
差し出した“召喚許可申請書”を、疑わしそうに見るイオーラ。そりゃぁそうだろう。
得体が知れない事この上ない。
「や、やっぱりやめよっか、こんなの怪しすぎるよね……?」
「………フンッ、いいわよ。書いてやろうじゃないの」
「いいの!?」
「声が大きい! ……今はオルレリを探す方が先でしょ! 仕方なくよ仕方なく…」
イオーラは申請書と共に渡したペンでサラサラと自分の名前を書いていく。血印を押させてしまうのは気が咎めたが、「こんなの何でも無いから! あっち向いて!」と怒られてしまったため、彼女に任せた。
書き上がった申請書をしかと受け取る。
「じゃぁ、崖の上に降ろすようにするからね」
召喚魔法の準備は整った。しかし私はここで急に不安に襲われる。
前回はドンにやれと言われて訳も分からずに魔法を使ったし、何かあった時にはクッションを出してくれるロンドもいた。しかし今は他に誰も助けてはくれない。もし私が崖の上ではなく、また自分の頭上に彼女を召喚してしまったら、大怪我どころでは済まない可能性がある。
その最悪の想定に、私は申請書を受け取ったまま動けなくなってしまった。
「……」
「……ちょっと、何固まってるのよ。自分で言い出した事でしょ」
「そ、それは……そうなんだけど……私も一昨日初めて使ったばっかりで、あの……今更何よって思うかもしれないんだけど……もし失敗したら……」
「……」
情けない声を出す私に、イオーラは静かに黙り始めた。
今さっき、心が多少通じ合ったと思ったのに、すぐに呆れられてしまったかもしれない。もしそうなら本当に悔しい…そんな風に私が考え込んでいると、
「いだっ!」
項垂れる頭頂部に勢いよく手刀が落とされる。白くて小さい手だ。
「失敗したら、思いつく限りの悪態をついてあげる。でも、ここで止めるとか言い出すんなら、もう悪態すらつかない」
「イオーラ……」
「……フンッ! ……多少、ほんとにちょっとだけ、麦一粒ほどくらいは信じてる……サ、サクラの事……だから、さっさとやって」
「ほ、ほんと……?」
「本当だから! もう二度と言わないから早くして!」
「……っ! うん、わかった」
イオーラからそんな言葉が聞けるとは…余韻に浸っていたい所だったが、これ以上待たせる訳にはいかない。
よかった、手足も動く。
絶対失敗しない様に召喚する場所をちゃんとイメージしなくてはならない。
自分の影にイオーラの召喚許可申請書を食べさせる。直後、一昨日の晩と同じように地面が金色に光りだす。
崖の上にちょうど着地出来るよう、目視しながら頭のイメージを完成させていく。
なるべく奥に着地させたいが、実際に見える範囲でないとどのように現れるかがわからなくて不安だ……召喚場所はある程度絶壁側になってしまうかもしれない。
私が位置を調整している間に、イオーラの体も金色に光り始める。
「出来そう?」
「……うん、ここでいいと思う。じゃぁ行くよっ」
「了解」
思い描いた位置に、イオーラの体を優しく降ろす……そう、あまり高くなりすぎないよう……。
「行けっ!」
私の掛け声と共に、イオーラの体が上空に移動する。場所は私がイメージした通り、崖の上の安全な場所で足元が地面から高さ二十㎝くらいの所だった。
イオーラは優雅に舞い降りて、私に手を振る。無事に移動させる事ができて私は胸を撫でおろした。
「よかった……、じゃぁ悪いけど、オルレリを探してもらっていい? それで、見つかったら村まで戻って、ロープと誰か助けてくれる人を……!」
彼女に向かってそう叫ぶが、みなまで言わせずにその姿を私から死角になっている所へ隠してしまった。
「えっ、イオーラ?」
まさか置いて行かれたのだろうか。そんなわけがないと信じたい……それとも私の声が聞こえてなかったのか。
そんな心配をしていたのも束の間、すぐにイオーラが顔を出す。そして、その横には目をこすってはいるものの、すこぶる元気そうなオルレリがいた。
「オルレリ!? 無事だったの!」
「うん~」
周囲は右往左往していたが、本人はあっけらかんとしたものだ。
「よ、よかった……うぅ」
肩の荷が下りたのか、今になって魔力酔いの症状が出てくる。
私は地面に尻もちをつき、そのまま寝そべった。
「サクラ!?」
「サクラママ!!」
「ご、ごめん……ここで寝てるから……村に戻って、誰か大人の力持ちな人を呼んで…」
昨晩よりかはいくらかマシに感じるが、それでも視界がグルグルと回っている。気分が悪い。
「じゃ、じゃあ急いで呼んでくるから! オルレリ行くよ!」
「うん…! まっててねー!」
私はもう叫ぶ元気もなく、右手を挙げてそれに応えた。
しかし、
「それには及ばないがな」
という声がする。いつの間にかイオーラの背後には、金色の髪を揺らした褐色の青年の姿が見えた。
「ドン……」
「ロンドが行ってくれって頼んできてな。こっちで魔法の光が見えたからすぐに分かったよ。一応ロープも持ってきたし、今助けてやる」
「あ、ありがとう……」
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「降りる……」
「無理だろ」
「うううぅぅ……」
なんとか救出されるも、教会への帰り道はドンにおぶってもらう事になってしまった。こんな恥ずかしい姿を少女二人に見られて、私は穴があったら入りたいと心から思った。
「そ、それで……オルレリはどこにいたの…?」
「イオ姉とかくれんぼしてたから、木の上にかくれてたの」
イオーラと手を繋ぎながらスキップをするゴブリンの少女は、私の質問にそう答えた。
「結構、大声で探して……たのに、気づかなかった?」
「みつけられるのまってたらね、寝ちゃったの。木の上で!」
「そ、そうだったの……」
もしかすると、転落直前に聞こえた小さな物音は、彼女のいびきか何かだったのかもしれない。イオーラの話によると、召喚魔法で崖の上に上がった時に木の上で眠るオルレリの姿が見えたんだとか。
「な、るほどね……うぅぇ」
「おい、俺の背中に吐くなよ」
「善処するぅ……」
「まじでやめろ……と言うか、なんで俺の事を召喚しなかったんだ。オルレリがいなくなった時に」
声が少し低くなる。ここからは表情が見えないものの、ドンはどうやら怒っているらしいことが分かった。
「い、一瞬迷ったんだけどね……? なんか大事な用事の最中だったらと、思うと、さ…」
吐き気を抑えながらそう伝えると、「そうか、そうだな」と言ったっきり、ドンは静かになってしまった。オルレリが私達の顔を交互に見て、不思議そうにしている。
――オルレリやイオーラを危ない目に合わせて、怒っているのだろうか……二人に怪我は無かったものの、もしかしたら召喚失敗してイオーラが大怪我を負っていた可能性だってある。オルレリだって他のニンゲンに発見されていればどうなっていたか……もしかしたら私は解雇されるのだろうか、まだ色々やりたい事あるのに解雇は辛い……とりあえず帰ったら今日の反省を提出して、今後の課題として散歩の時の注意点をまとめないと…………と言う思考に至った私は謝罪の言葉を口にした。
「ド、ドン……ごめんね……」
「……何が」
「始末書は夜中になると思うけど……二度とこのような事がないよう自己管理に努め、信頼を回復すべく職務に邁進いたしますのでお許しください……」
「ッ……馬鹿だなお前は本当に!」
「なんで」
「知るか馬鹿はとっとと寝ろ! あと夜中に始末書なんて出されても迷惑だから明日にしろ!」
どうやら益々怒らせてしまったようだ。イオーラに目で訴えかけると、彼女も「ばーか」と私に対して罵倒してきた。癒しをオルレリに求める。彼女は道端に咲いていた花に夢中になっていて、私の方はちらりとも見ていなかった。
心をえぐられつつ、心配しているであろうロンドや子ども達の事を思いながら、私はドンの背中で仮眠をとる事にした。少し休んだら良くなるだろう。なるべく早く魔力酔い克服出来るように私は祈った。
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