3話 はじめまして、可愛い(?)子ども達
朝が来た。
東向きの窓が設置されているこの部屋にはカーテンが無かったらしい。顔に差し込む太陽の光のあまりの眩しさに、私はベッドから逃げるように起き上がった。
「ん~。今何時だろ……本当なら今日も早番のはずだっけ」
遠い遠い本来私がいたはずの世界に思いを馳せる。
最後の望み『朝起きたら全部夢だった』はどうやら叶わなかったようだ。しかし、『夢なのでは?』という考え方はしない方が身のためだと昨晩はそれを痛感した。自分の常識とかけ離れた事象が起きるのが人生だ。何事にも常に真摯に向き合っていきたい。
私は身支度を整えると、昨晩ドンと話した居間の方へと足を運ぶ。
「おはよう。早いな」
「……おはよ。ねぇ、あの部屋にカーテンを付けたいんだけど……」
「ああ、余ってる布があるから自由に使ってくれ。ただ、今後サクラは教会に寝泊まりする事がほとんどだろうから、使う機会はあまり無いかもな」
「そっか。泊まり込みか」
孤児院だから登園降園の概念が無い事に今更ながら気が付く。じゃぁ四六時中子ども達と一緒と言うわけか。それはそれでかなり疲れそうだ。
夜泣きだってあるかもしれないし、複数の子どもを一人で世話するのはきっと楽じゃないだろう。軽くため息をつくと、ドンはすかさず反応しフォローを挟む。
「毎日チビ達と一日中一緒じゃ休まらないだろうし、週に一回くらいなら俺でも他の奴でもいいから交代して夜勤を代わってもいいぞ。その時はあの部屋を使ってくれて構わない」
「いいの?」
「俺たちも明るいうちはどこかへ行ったり作業したりで動いているから、なかなか代わってやれないけどな。ほら、朝飯」
「まぁとりあえずやってみるよ。……ありがとう」
テーブルに置かれたのは紅茶とパンだった。パンには薄くスライスした干し肉が挟まっている。美味しいけど噛みちぎるのが結構大変だ。私はよく咀嚼してゆっくりとモーニングを味わった。
我ながら順応速度が速いと思う。
「それじゃさっそく子ども達に紹介するか」
朝食を終えた私は、一晩過ごした家を出た。歩きながら孤児院の事をドンに問うと、この村に来た時に見た石造りの教会がそれだそうだ。
「あの教会、ちょっと崩れてなかった?」
「ああ。少し前にここらで内乱があって魔法で少しやられたみたいだ。ま、丈夫に造ってあるから、全部が崩れたりはなかなかしないとは思うがな。手が空いたら修理を依頼するよ」
手が空くのはいつになるかは分からないけどね……と、私は心の中ですかさず突っ込みを入れた。
この男を心から信用できる日が来るのかは、甚だ謎である。爽やかな笑顔の下に隠されているであろう数多の企みが恐怖でしかない。
「さ、ついたぞ」
昨晩見かけた、この町には不釣り合いな立派な建物の目の前で足を止めた。改めて見ると実に大きな教会だ。石の塀も取り付けてあり、ぐるりと教会を囲んでいる。
「昔は集会なんかもやってたみたいなんだよな。中も結構広い」
「へぇ……」
立派な建物……なのだが、近くで見てみると石一つ一つに年期が入っていてかなり傷んでいる事が分かる。ここからはよく見えないが、屋根の上に取り付けられている鐘も変色している気がする。古い建物だから冬は隙間風が入ってきそうだなぁと考えていると、
「リーダー……来たならどうぞ入って来てくださいよぉ」
教会の扉が内側から静かに開けられる。現れたのは、癖の強い赤毛の女性だった。瞳には涙が貯められている。
「よぉロンド。子ども達は元気か?」
「手が付けられないほど元気ですよぉ……早朝から大騒ぎだったんですけどぉ、今はとりあえずウル君以外のちびちゃんは寝ましたぁ。……あっ、そちらの方が今日からあの子達の面倒を見てくれるっていう新人さんですかぁ?」
「そう、サクラだ。色々教えてやってくれ」
「サクラさぁん、ロンドと言いますよろしくお願いしますぅ!」
なんとなく歯切れの悪い話し方をする女性だ。しかし年は同じくらいだろうか。細身の体を黒いローブに包んでいて、なんとなく弱々しい印象を受ける。
彼女は初対面の私に対して、にこにこと満面の笑顔を見せる。
「ロンドは優秀な魔法使いだ。もしよかったら後で見せてもらうといい」
「優秀なんてとぉんでもないですぅ……でもぉ私でよければいつでもぉ……」
「見せてもらえるとありがたいです。よろしくね、ロンド」
「は、はいぃこちらこそぉ……サクラさん」
彼女独特のほのぼのとした雰囲気に、こちらに来てから張りつめていた気持ちが少しほぐれる。そっと手を差し出されたので、こちらかも握り返していたその時、
「ロンドおねえちゃああん!! どこおおおおおおおおお!?」
耳をつんざくような大声が教会の中から響いてきた。礼拝堂の構造上、声は響きやすいとは思うが、それにしても大きな声だ。
「あぁ~……そんな大きな声を出したら起きちゃうよぉ…」
ロンドがおろおろしながら扉の内側へ入っていく、先ほどの声に呼応するように奥からは何重にも泣き声が聞こえてきた。
「うえええええええんんん!!」
「あーーーんあーーーん」
「びいいいぃぃぃぃぃぃ」
そう言えば、この孤児院何人ぐらい子どもがいるんだろう。聞いていなかった。
ロンドが入って行ったが子ども達が泣き止む気配は今のところ無い。
「んもー! うるさいな!!」
先ほどの声の主と思わしき子どもが、泣いている他児に向かって尚一層叫ぶ。そしてまた泣き声が大きくなった。これは収拾がつかなさそうだ。
「サクラ、行ってやってくれ」
「分かったわよ」
とんだ初日になりそうだ。
扉をくぐり、礼拝堂へ足を踏み入れる。奥には居住スペースへ繋がっていると思わしき通路が見える。泣き声のする方へ向かっていくと、小さな影が私の足元へ飛び出てきた。
「あ。新しいお姉さん? こんにちは!!」
明るい声が唐突に私へ向けられた。先ほどから大声を出しているのは多分この子だ。
挨拶されたので「こんにちは」と返そうとしたがその言葉は喉元で止まる。
「どうしたの、お姉さん?」
首をかしげながら見上げてくるその仕草は、私が昨日まで職場で相手をしていた幼児達となんら変わらない。しかし、その子どもの容姿は私が予想していたモノとは大きく違っていた。
まず肌の色が薄緑色。皮膚の表面はニンゲンの子どもの滑らかな皮膚とは大きく違い、全体的に厚めでゾウなどの生き物のように網状の割れ目がある箇所が見える。髪は一本も無く、耳は異様に長い。爪は鋭く長く尖っているし、笑った口からは立派な牙が2本見え隠れして、灰色の瞳はギョロリと今にもこぼれ落ちそうなくらい大きかった。
「……に、ニンゲンじゃ、ない……!?」
「あっれー? 言ってなかったかー?」
「ど、ドン……! ちょっと……!?」
「そうだな、自己紹介させた方がいいよな。もう起きちまったみたいだし。おい、お前ら並べ!」
後ろからついてきたドンのにやついた口元を見て、昨晩のように汗が一斉に噴き出してきた。こいつの笑顔にはロクな事がない。
「折角だからアルクとイオーラも呼ぶか」
「わ、わかりましたぁ~」
ロンドが小さな子ども抱きかかえながら外へ誰かを呼びに行き、誰かを連れて戻って来た頃、ドンに手を引かれた、寝起きと思わしき子ども達がすすり泣きつつ私の前に並び始めた。
その間足が地面に張り付いたように私は一歩も動けなかった。
「紹介するよ。アルク、イオーラ、ウルヒム、エル、オルレリ、カント。そしてロンドに抱かれているのがキルンだ」
ドンに名前を呼ばれ、子ども達は一人ひとり返事をする。
「まず、一番の兄貴をやってるのがアルク。ここで困った事があったら、大体アルクに聞いてくれ」
「……よろしくっす」
アルクと呼ばれた少年は私に向かって軽く会釈をする。照れ臭いのか視線を明後日の方向へ向けている。思春期らしい仕草を見せる彼は先ほどの子どもとはまた違った見た目をしていた。
顔はニンゲンと近いと思われるが、腕や足は大量の毛で覆われている。頭部の左右には犬のような耳がついており、よく見ると尻尾もあるようだった。
「ヨロシク…」
口の中が渇いて上手く話せない。代わりに精いっぱいの恨みを込めて視線をドンに送っておいた。
「おいおいあまり見つめるなよ。子ども達が見てるだろ」
流し目で爽やかに笑っているが、本当に腹が立つ。
「そんで、隣がイオーラ。イオーラもしっかりしてるから助けてくれるはずだ」
十二、十三歳くらいの少女が私に頭を下げる。流れるような銀髪と、澄んだ青色の瞳が印象的だ。はっきりとした二重と、長い睫毛、筋の通った鼻……。正直、私がこれまでテレビやらで見てきた芸能人や女優と比べても圧倒的に顔が整っている。こんな美人は見たことがない、と素直に思った。私たちと大きく違う所は、ツンと尖った耳くらいだろうか。
しかし私が気がかりなのは、この美少女の隣に並ぶ、先程挨拶をしてきた少年からロンドに抱かれている赤子までの五人だった。彼らは全員、ウルヒムと呼ばれている少年と同じような外見的特徴を持っている。
「ウルヒムはこっちのチビ五人の中では一番お兄さんだ。やんちゃで怪我をしやすいから気を付けてやってくれ」
ウルヒムと呼ばれた彼は、屈託ない笑顔が印象的だ。……鋭い牙がよく見える。
「エル、オルレリ、カントは三つ子だ。まぁでも、あまり似てないかな?」
いや全員同じにしか見えない……見分けがつく気がしない。
「キルンは見てのとおりまだ赤ちゃんだ。最近は寝そべって遊ぶことが多いな。よく三つ子に踏まれるから注意してくれ」
こんな小さな赤ちゃんなのに純粋に可愛いと思えない日が来るとは……。
恐怖で口の中が渇く。言い返したい事は山ほどあるが、子ども達に罪は無いのだろう。
最後にドンは子ども達の方を見て、にこやかに告げる。
「こっちが今日からお前らのママになってくれるサクラだ。皆、ママだぞ嬉しいなー」
「ママじゃない!!」
「はっはっは。じゃぁ、細かい引き継ぎはあとはロンドに頼むとして、俺はそろそろ偵察があるからこれで」
「ちょっっっっっと待った。外で少しお話しましょ!」
「ったく、少しだけだぞー」
踵を返して行こうとしたドンの襟ぐりを全力で掴み、教会の出入り口付近まで引きずっていく。ニヤニヤした顔を隠そうともしない。引っ叩こうかとも思ったが、すんでの所で堪えた。
「どういうこと!? ニンゲンの子どもの世話じゃないわけ!?」
「俺は一言も、“ニンゲン専用”の孤児院とは言ってないぞ」
「黙らっしゃい! ちゃんと説明して行きなさいな!」
「分かった分かった軽くな」
急いでいるのは本当らしく、私はドンから手短に説明を受ける。
『不滅の灯』は、強大なカッサ国王軍に対抗するため、周辺諸国や国を持たない別種族に協力を仰ぎ、同盟を結んでいる最中らしい。そうで無ければとても太刀打ちできないんだとか。
その中で面倒を見る事になったのが、先ほどの子ども達だ。
まず、皆のお兄さんのアルク。彼の種族は人狼と言うらしい。月の満ち欠けや戦闘非戦闘状態に合わせて、ヒトに近くなったり、狼に近くなったりと見た目が変化するということだった。両親はドンの仲間で、反乱軍の手助けをしてくれていたが、作戦行動中に亡くなったそうだ。
次にイオーラ。イオーラは私でもなんとなく分かる。エルフという種族だ。捨て子で転々としていたのを七年前にドンが拾ったらしい。
そして、ウルヒム、エル、オルレリ、カント、キルンの五人は、ゴブリンという種族らしい。ドンは数の多いゴブリン達と同盟を組み、共同戦線を張れないかと画策していたらしい。その時名乗りを上げてくれた多数のゴブリンがいたのだが、一か月前密会中に国王軍に襲われて殺されてしまったらしい。この事件のせいで一旦同盟締結は白紙に戻り、残ったゴブリン達も自分の仲間の所へ戻ってしまったそうだが、その時に親を失い行く当ても無くなったのがあの子達なのだそうだ。
「う……」
予想より重い話だった。無頓着な発言をあの場でしなかった自分を、今のところは褒めてあげたいと思う。
「今は、『不滅の灯』のメンバーが交代で面倒を見てるんだが、やっぱりメンツが安定しないとかわいそうだろ? チビ達も落ち着かないだろうしさぁ。今日から新しい人が入るって聞いて、楽しみにしてるんだよ」
「うううぅ、分かったわよ…」
ここで引き下がるべきかどうか悩ましいのが本音ではあったが、先ほどの話を聞いてしまった以上、嫌だと押し通すのはためらわれた。
「はー……取り合えずやってみるだけやってみる。私だって寿命を取られるのは嫌だしね」
そう口にすると、ドンに「期待してる」と背中をポンポンと叩かれた。
さすがに時間が怪しくなってきたらしく来た道を走って戻って行こうとする彼の背中に、気になっていたことを最後に一つ投げかける。
「あの子達、ニンゲンは食べないわよね?」
「多分な。家畜は食うらしいけど」
……あー、頭痛い。
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