《6》虚獣の変化

 目の前の<虚獣>は動く気配がない。

 リュウキは<虚獣>に注意しつつ、試しに紅晶剣から火の霊気を引き出そうとしてみる。すると鍔と樋に埋め込まれた真紅の石が一瞬輝き、真ん中から鍔にかけて鮮やかな赤い色――緋色をした刀身に炎が宿った。

 万象術と同じ感覚でやってみたのだが意外とうまくいったようだ。


 <虚獣>を万象術で倒すことは一応できる。ただ周囲の霊気の量に左右されるので安定しない。紅晶剣を合わせれば確実性は上がるか。


 目の前の<虚獣>の方は変わらず動く気配がない。それを少し訝しみながらもリュウキが紅晶剣を構えた時、


『……ドコダ』

「……!?」


 いきなり声が聞こえてきた。周囲には他に気配はない。目の前の<虚獣>から発せられたものと判断してよさそうだ。


「…………」


 軽く目を見開いたリュウキだったが、すぐに<虚獣>へ鋭い視線を向ける。

 元々気配を察知できるので、あまり驚きはしなかった。

 しかし、今まで声が聞こえてきた<虚獣>などいない。ここで必ず倒さなくては。


 リュウキはどう仕掛けるか考える。

 ここは森のやや開けた場所。下手に紅晶剣で炎を放っては火事になってしまうが、火の万象術はそれだけではない。

 剣に纏っていた火を消し、リュウキは万象術の詠唱を始める。


「<万象火源>。火を司る霊気よ、灼熱の白き輝きとなりて――」


 剣の刀身を包んだ赤の燐光が、超高温の熱を伴った白い煌めきへと徐々に変化していた時だった。再び<虚獣>の感情を感じさせない声が響く。


『…………<三つの神具>……<封印の聖女>……<神の器>…………』

(――なっ!?)


 零すように呟かれたその言葉にリュウキは体を強張らせる。詠唱が途切れ、緋色と銀の刀身に集まりつつあった霊気が霧散してしまう。


『オ前ハ……知ッテイルカ……?』

「――!!」


 リュウキの全身が一気に総毛立つ。紫色の瞳に自身の姿を捉えられた、ような気がした。

 実際には瞬きするかしないかくらいの隙ではあったが、<虚獣>には十分だった。灰色の体躯を覆う気が集束し、幾つにも分かれリュウキに向かって放たれる。


(くっ……!!)


 狙われた彼は動こうとするが、戦闘において一瞬の差は大きい。まず後手に回ってしまった以上万象術の詠唱の暇はない。

 あの細長い灰色の気は<虚獣>の意思で動くため回避し続けるのは難しいし、何より今回は数が多い。迎撃しようにも相手は新種の<虚獣>。強さが不明なので紅晶剣の火霊力だけでは心許ない。

 間に合わない――


「……っ!」


 そこまで瞬時に考えたリュウキは咄嗟に首元を左手で押さえる。指にひんやりとした硬いものが当たった。

 上衣に半ば隠れるようにして見えているのは、白と緑の小さな玉で装飾された二重のトルク。

 ほんの僅か躊躇う。しかし迷っている暇などない。凝縮された虚無の気が前方から凄まじい速さで迫ってくる。

 銀色のトルクを握りしめ、リュウキは口を開きかける――が。

 言葉を発するよりも早く目の前を数多の光の矢が降り注ぐ。聖気の込められたそれらは、高濃度の虚無の気を欠片も残さずに消滅させていった。

 よく見ると片手で投げられるような投具で、光でできた刃の部分が尾を引き一瞬矢のように見えたようだ。


「大丈夫? 危なかったね」


 近くの木の影から空色の髪の神人が姿を現す。


「……別に危なくなかった」


 リュウキは特に驚いた様子も見せずにそう返した。ただ、今更ながらかなり冷や汗を流していたことに気づき、小さく息を吐く。


「そうだった? <虚獣>の言葉に気を取られように見えたけど」

「……」


 リュウキはオウルを軽く睨むが、彼は気にせず<虚獣>を見やった。

 地面に刺さった複数の投具は結界を展開し、<虚獣>もそれを警戒しているようだ。


「ふむ、人語を話す<虚獣>は俺も初耳だけど。<虚獣>も変わってきているのかな?」

「知るか。目的を持って行動するようになると厄介になるが」


 フィルの件といい、この喋る<虚獣>といい、リュウキは密かに息をつく。だが動揺してばかりではいられない。

 フィルのことはともかく、<虚獣>のこれは警戒しないといけない。今はラナイもいるのだ。


「ここにラナイちゃんいなくてよかったね」


 オウルはリュウキの考えを見透かしたように言う。

 ラナイとは礼拝堂の前で待ち合わせをしている。聖石結界のある礼拝堂の近くならば大概は安全だ。

 まさかラナイがこの街にいないとは思いもしないリュウキである。


「リュウキ君は礼拝堂へ行っててくれる?」

「いや、だが……」


 この変わった<虚獣>を一人で相手にするつもりかとオウルを見る。実力は不明だ。


「ラナイちゃんを守るのがリュウキ君の役目でしょ?」

「……わかった」

「騎士団もいるしね。すぐに片付くよ」


 <虚獣>を視界から外さないようにしつつオウルはリュウキを送り出した。彼の気配が十分に遠ざかったのを確認するとオウルは改めて<虚獣>と対峙する。


(リュウキ君も戦い慣れているとはいえ、さっきの様子ではね……。それに新種の<虚獣>をに接触させるのは危ない)


 リュウキと入れ違いに一人の神人がオウルの傍に現れた。


「オルグアス様、準備整いました。いつでも開始できます」

「んじゃ、始めようか―」

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