《2》私だからだ

 水のない半壊した噴水の横を通り抜け、ひび割れた石畳の上をしばらく歩いていくと視界が開けた。

 そこは周りを木に囲まれた広場だった。地面の芝生は幾つもの大きな亀裂が走っていたり深く抉れている箇所が目に付き、かつて激しい戦闘が繰り広げられたことを物語っている。

 周囲の木々も幹が折れたりなぎ倒されたりしているものが多いが、右奥の一角が特に木の損壊が激しいようだ。

 さっと広場に視線を走らせたキサラはそちらに向かっていく。

 その後ろをついて行きながらリルはあることに気づいて怪訝な顔をした。


(……なんか幽霊の数が減ってきてるような?)


 隣のラナイもそれに気づいているらしく瞬きして周りを見ている。

 広場の端に近づくにつれて、辛うじて折れずに残っている木の陰から微かに光が漏れているのがわかって来た。

 何の光だろうと思っていると、なぎ倒された木々の先に片手に乗るくらいの薄紫色の丸い物体と、それを上下で挟むように浮かんだ二つの円形陣が見えてくる。


(これって、力の強い<虚獣>が体内に持ってる<虚晶核>……? よく見る物より少し大きいし、嫌な気配もしないけど……封印されているからかな)


 目の高さよりもやや上で静止している薄紫色の球体――<虚晶核>らしきものを見つめながらリルはそう思った。


(……それにしても)


 この辺りを漂う魂の姿はなぜか一つもない。そのことにリルがより眉をひそめているとキサラが口を開いた。


「ここでは普通にしていい。騒ぐのはよくないが」


 そう聞いてリルは大きく息を吐き、ラナイも小さく息をつく。続けてリルはこの辺の幽霊のことや目の前の小さな球体についてたずねようとしたが、


「これから少し厄介なことになるかもしれない」


 いきなりキサラが不穏なことを言うのでそれどころではなくなった。


「ここの魂たちはこの<虚晶核>を守っているので、これを動かすと監視が厳しくなる。行きと同じように静かに移動すれば大丈夫だと思うが、もし危なくなったら私が奴らを引き付ける。その間に二人は街から出てくれ」

「え、なに、動かすってまさか持ち出」

「嫌です」


 一体何をするつもりなのかと困惑するリルの言葉を遮り、ラナイがやや強い口調で拒否する。いつも穏やかなラナイにしては珍しいことだったので、二人は彼女に目を向けた。聖女はじっとキサラを見ていた。


「自分を犠牲にするような行動には賛成しません。一緒に何とかしましょう」

「いや、別に死ぬつもりはないが」

「…………」

「…………」

「…………」

「……わかった」


 思い詰めたようなラナイの視線にキサラの方が折れた。それを聞いてラナイの表情が少し緩む。


「あと、もし魂たちが襲い掛かってきても物理攻撃は効かない。聖術の類は効くかもしれないが魔境の近くだ。気づかれて目をつけられたくなければ控えた方がいい」


 そう言いながらキサラは灰色がかった紫色の燐光を放つ術式陣の前まで歩いていく。そしてそのまま二つの陣の間に腕を突っ込み、宙に浮いている<虚晶核>を手に取る。


「ちょ、そんな簡単に取れるものなの? その陣は飾り?」


 平然とキサラが術式陣から手を引き抜いたのを見てリルは目を何度もぱちくりさせた。


「いいや、お前たちがやったらこうはいかない」

「え、じゃなんでキサラは?」

「私だからだ」

「……は??」


 謎な発言にリルの目は点になる。キサラは上衣の隙間に<虚晶核>をしまうと踵を返した。


「これで用は済んだ。いくぞ? 二十分以内に戻るのだろう」

「あ、そうだった。遅れたら何言われるか……というか、キサラの瞬間移動で出ちゃえば早いんじゃ?」


 あっとリルは気付く。こんな魔境の近くまで来れたのだ。外に出るなんて造作もないことだと思うが。


「残念ながらそれは無理だ。中から外に出られないように町全体に術がかけられている。入る分には関係ないのだが」

「あ、そうなのね……」


 がくりとリルは肩を落とす。使えるならとっくに使っていそうだ。リュウキがいたら間違いなく突っ込まれていただろう。


「あの、思っていたことがあるんですが」


 リルとキサラが歩き始めたところで、ラナイが不意に口を開く。


「ここに彷徨っている魂たちはなぜこんなことに……? ここから解放できないのでしょうか……」

「ここの術は聖術や魔術と術式が異なり、誰も手をつけられないと聞いている。虚無の者が仕掛けた術だからだと思うが」

「そうですか……」


 キサラの言葉にラナイは哀しそうに瞳を伏せた。


「私……全く知りませんでした。ここの魂たちに少しでも早く安らぎが訪れますように……」






 ベイルスは街の東側に沿うように川が流れていて、大きくうねって街の南端を横切っていく。その川の向こうの切り立った崖の上に、深い森を背にした三人の人影があった。男一人の女二人だが、三人とも黒と緑を基調とした服を着ており、どこかの組織の制服のようだ。


「トリン、ベイルスに神人が?」


 髪の短い女がベイルスの方を見ながら問いかける。


「ええ、巡回していた魔獣が気づいて確認したのよ。他に人間と魔族もいたわ。三人とも中に入っていったみたい」


 肩に小柄な獣を乗せたもう一人の女――トリンがそう答えた。


「あの町は魔境も聖域も手が付けられないのに……物好きもいたものね」

「ルメ……ただの神人ならわざわざ言わないわよ。聖騎士だったの。それに人間も天導協会の制服だった」


 呑気なルメにトリンはため息をつく。残りの長身の男は興味なさげに聞いている。


「別にいいんじゃない? あの町は魔族の魂も縛られているんだし、同胞も何とかしてくれるなら助かるわ」

「でも何も知らされていないわよ。ここは魔境の近くだから、何かするなら魔境守護軍うちに事前に連絡が来るはず」


 魔境守護軍―――その名のとおり魔境に拠点を置く組織で、彼女たち三人はこれに所属している魔族だ。

 二人の言葉に長身の男の目が鋭く光った。


「ほう、では暇つぶしができそうか」

「ちょっとウルガ隊長、いくらなんでも襲い掛かったらだめですよ」


 好戦的なウルガをルメが慌てて止める。


「なんだ、つまらん」


 ウルガは不満そうに零した。


「さっき盗賊倒してきたじゃないですか」

「あんな奴ら準備運動にすらならん」

「そーですか」


 ウルガが全部倒してしまったのでルメとトリンは運動すらしていない。


「ともかく、もう少し様子を見ますか」


 トリンが街の方を眺めながらそう言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る