セカンドダイヤル
マムシ
第1話 姉と弟
「繋がったんだ……」
男は涙を流した。その涙の正体は誰も知らない。夕焼けに染まる街並みを一望できる低い山の展望台に立ち尽くし、男は息を溢す。
受話器を耳に押し当て、ただ楽しそうに語り出した。その受話器の奥からは女性の声。優しくて、弱々しい撫でるような声が聞こえて来た。
私は長女である。そして今日一学期が終わった。
普通の女子高生なら、この快挙に飛び上がり、友達もしくは彼氏と遊びに行くのが常套だろう。
そして、近くのファミレスに入り、愚痴で盛り上がる。しかし、これは一般の女子高生の話だ。高校二年生の私はそれとは全く別の青春を送っていた。
これを青春と呼ぶべきが否かは、別問題として、私には家でやることがる。
私が中学一年生の時に母が他界し、父ともそれから疎遠になってしまった。それを機に私と弟の
父の弟である叔父はまだ独身だったため、女である私は消去法で家事をやる羽目になってしまった。
その理由で家事を任されると一見、女性差別されているように見えるが、私はそうは思わない。私たちを匿ってくれているのは叔父であり、そのせめてもの恩を返そうと喜んで引き受けた。
家に帰り、「ただいま」と叫ぶが、恐らく返事はないだろう。叔父は仕事、弟は三か月前から不登校になり、引きこもっている。
一年前まで、ロボットコンテストに出るなどして、成績も優秀だった伍が不登校になるなんて、誰もが驚いた。クラスでも明るく、人気者だったため、伍は誰もが予想だにしなかい出来事だった。
しかし、今日は違った。
「あっ、おかえりお姉ちゃん」
伍が出迎える。
「あんたなんで居るの……」
「なんでって、嫌だな僕のこと忘れちゃったの? それとも出てこないから死んだと思ってた? 安心して僕はここに居る」
私は驚いた。ずっと引きこもっていた弟の姿に驚くのは勿論だが、何といっても、この社交的な態度に驚愕している。普通、引きこもっていた人間が出てきて開口一番、冗談を言うだろうか。
てっきり私は何らかの原因でうつ病になって、引きこもっているのかと思っていた。
しかし、伍の姿はうつ病患者には到底、見えない、風呂にも入った形跡あり、すっかり元気なっている。
「もう、平気なの?」
「何が?」
「何って、もう三か月になるわよ。あんたが引きこもってから、何をやっていたの?」
「ブルーボックスを造っていたんだ」
伍は私の前に古い電話のようなものを差し出した。その電話は太平洋戦争中、将校たちが使っていたマイクロフォンに似ていて、電卓のような基盤から蛇のように受話器が伸びている。
「これを造って、三か月間も引きこもっていたの? なんのためにこんなもの」
「実は三か月前、未来の僕から電話がかって来た。そして、ブルーボックスの設計図と作り方を言って、僕に造るように促したんだ。そしてついに完成したんだ。ブルーボックスこと、未来電話がね」
胸を張って突飛な話をする弟に私は困惑した。そんな姉を無視して、伍はさらに追い打ちをかけてくる。
「ブルーボックスが未来に繋がるなんて知らなかったよ、こんな世紀の大発見だ」
「ちょっと待って……そのブルーボックスっていったいなんなの?」
「ブルーボックス自体は有名でしょ。ほらアップル社がヒントにしたジョントレーパーの無料電話だよ。」
「ジョンドレーパーって誰よ」
「世界初のハッカーさ」
伍は夢中でその電話の話をするが私はそれについて行けなかった。
「取り敢えず、整理させて。あんたはそれを造るために、不登校になり……」
「まぁなんだかんだ僕が話すより、電話で聞いてみたほうが早いでしょ。いまから完成を未来の僕に報告するからさ、姉ちゃんも一緒にリビングに来てよ」
伍は軽快な足取りでリビングに向かった。
リビングのソファに座り、伍は慣れた手つきでダイヤルを打ち始める。すると、ベルが鳴り、数秒後に相手が電話に出た。
「おっ出たみたいだよ」
伍はそう言って、受話器からの声が私にも聞こえるように、マイクをこちらに向けてテーブルに置いた。
「どうやら完成したみたいだな」
受話器からは少し低いが、伍らしき声が聞こえてくる。
「三か月もかかっちゃたよ、でもこれで完璧だ」
「なら、さっそく……」
「ちょっと待って、姉ちゃんに詳しく説明してあげてよ。僕が言っても全然信じてくれないんだ」
「そこに姉ちゃんが居るのか、懐かしいな。最近会ってなかったからな」
伍は私に向かって、目配せをする。動揺する私のことなんてお構いなしだ。
「あのー姉です」
私は慎重に口を開く。
「あぁ姉ちゃんの声だ」
「これ本当に、どうなってるんですか」
「まぁ無理もないか、未来電話なんて、信じられないよね。ところがこれは現実。僕が伍つまり由芽の弟であることを証明する方法はいくらでもあるよ。でも今はいち早く、行動に移って欲しい」
「ごめんなさい、全然理解できないです」
「じゃあこの電話が完成した経緯から話した方が早いかな」
未来の伍は、そう言って話し出した。
「まず最初に、僕たちの祖父。つまり森瀬修二は二十年前、飛行機事故で亡くなった。そしてその時、祖父は国際無料シムの研究をしていて、その論文を抱え、アメリカに飛ぶ途中で帰らぬ人となってしまったんだ」
「そんな。おじいちゃんが研究者だったなんて聞いたことないわ」
「そう思って僕も調べたんだけど、どうやら本当らしいんだ」
目の前にいる伍はそう言って頷く。
「そして、それから四十年経ち、僕は祖父の住んでいた家から論文を見つけた。でもその論文は難解で読み解くのに苦労したよ。そしてその過程でできたのが、このジョントレーパーのブルーボックス。確かにブルーボックスは無料電話端末だから祖父の研究とは共通点がある。そこは合点がついた。そこで僕は試しにその電話から自分の電話番号にかけてみたんだ。そしたら過去に繋がった。まぁ信じ難いが、これはタイムスリップできる電話だったんだ」
「でもそれで何で、伍に同じのを造らせたの? あなたが直接かければよかったんじゃ……」
「回線領域の問題だよ。僕もいろいろ試したんだけど、どうやら二十年が限界みたい。飛行事故で亡くなった祖父を電話で助けるにはもう二十年足りないんだ。祖父のノーベル賞は目の前だったし、なんたって祖父は僕たちと血が繋がっている存在だからね」
「でもそれで本当に二十年前のおじいちゃんが出るとは限らないでしょ」
「それは大丈夫、ここにおじいちゃんの電話番号と、年代操作の方法があるから」
伍はそう言って、私の目の前に電話番号の書かれている紙切れを見せた。
「祖父がこの電話の存在に気が付かなったわけがない。でもこのことは論文には書いてない。それに僕は論文の解読に難航したため、恐らく読み間違えたりしている。つまり、これは論文通りに進めたら造れない。何らかの手順を間違えないと完成には至らないんだ。それは多分このことを祖父は隠したかったんじゃないかな。これは世紀の大発明になるし、発表すれば一躍、有名になれる。でも有名になればそれだけ危険も迫るものだ。でもこれは偶然じゃない、祖父は知っている。だから必ず電話には出るし、信じてくれるはずだ。任せたよ姉ちゃん」
未来の伍は最後にそう言い残し、電話を切った。
「分かった?」
伍は笑顔を私に向ける。
「まぁ何となくね。半信半疑だけど、一応信じてあげるわ」
私がしかめっ面をしながら答えると、伍はガッツポーズをして喜んだ。
「よし早速かけてみるか」
「よくそんな楽しそうにしてられるわね、これがもしも他の人にでも見つかったら……あっちょっと」
私が話しているのにも関わらず、伍は既に電話を持っている。ダイヤルを打ち込み、先程のように受話器を握るが、ベルが鳴る気配がしない。
「あれ、おかしいな」
「どうしたの? ベルが鳴らないじゃない」
伍は肩を落とした。
「繋がらない……」
電話番号も方法も正しいはずなのにその電話のベルは何度試しても鳴らなかった。
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