42:鍵

『少し時間がかかっちまったが、あらかたの解析はすんだぜ』

「修復はできたの?」

『それがなあ、報告するのは心苦しいが、修復したノイズ画面だった箇所は、ほかの映像と変わり映えのしない、アリスを使った実験映像ばかりだった。どうやら、あの秘密研究施設には〈プロジェクト・ピクシー〉に関しての情報はなさそうだな』

「……そう。だけど、あれだけでも充分かもしれないね」

『ああ。だが代わりと言っちゃなんだが、あの映像で気になることがあったんで調べてみたら、とんでもねえことがいくつか判明した。アリスにとっちゃ聞きたくもない事実だろうが、大丈夫か?』


 言われ、視線を送ると、今まで意思をまるで見せなかったアリスが小さくうなずいて、垂れていた頭を上げた。


「……ああ、頼む」

『分かった』


 レーダーマッキーが深く息を吸い込む音が聞こえる。


『〈クニオ歴三十二年十月十三日の映像〉についてなんだが。この八年前の日付に既視感のようなものを感じてな、それで当時になにがあったかと思い出してみて、ひとつに行き当たった』

「事件?」

『ああ。事件と言うよりも、災害だな。覚えがないか?』

「あ!」


 トキオが声を上げる。


「まさか、〈大震災〉ですか?」

『そうだ』


 八年前に五番街とその周辺地域一帯で発生した、未曾有みぞうの大地震である〈大震災〉は、クニオ共和国のある、地震の少ないこの大陸において、まずありえない規模と震度の、まさに青天せいてん霹靂へきれきとしか言いようのないものだった。


 五番街は〈大震災〉によって目を覆いたくなるほどの被害を被り、八年も経つ現在となっては、住民たちの涙ぐましい努力によって目覚ましい復興を遂げてはいるが、災禍さいかの爪痕は、未だ五番街の至る所に残っている。


『それで気になって、あの日の記録を色々と確かめてみたら、このアンバ山が震源地だった』

「それだけなら偶然かもしれないだろ」


 マクブライトが呆れ声で口を挟む。


「アリスと結びつけて考えているのかもしらんが、さすがに、人為的にあの規模の地震を引き起こすことが可能だとは、おれには思えん」

『おれもバカじゃない。それだけなら出来すぎた偶然だと思うさ。だがその後の映像と同じ日に、規模こそ大きくはないがアンバ山を震源地とした地震がいくつも起きているんだよ。その事実を加味した場合、余震のすべてが、記録映像と同じ日に発生したと考えることのほうが、無理のない話だと思うが?』

「……まあな」

『ここからは当て推量になるから、聞き流してもらってもいいが、おれの考えでは映像にあった小型の機械は、ではまだ完成していない』

「なんで分かるの?」


 ハナコが訊く。


『最初の〈大震災〉の日の映像なんだが、あのとき大きな四角柱の機械は、アリスの力に耐えきれずに自壊したように見えた。そのことから、恐らくあの機械自体は、地震を引き起こすための機械ではなかったんじゃないだろうかと考えられる。その証拠に、映像の白衣の男がそうとう慌てふためいていたからな。その後の映像で、男は実験中に慌てる素振りは全く見せていない。多分ではあるが、最初の機械は、アリスのを増幅させるための物だったんだろう。それが思わぬ形で暴走した』

「恐らく、多分、ばかりだな。聞いてられん」


 言って、マクブライトが腰をさすった。ピクシーに投げ飛ばされた時に痛めた箇所が、まだ痛むのだろう。


『だから当て推量だと言ってるだろうが』

「お前の当て推量はむかしから信用できないんだよ。おまえはパズルの断片を収集することにおいては、優秀すぎるくらいに優秀だが、パズルを組み立てる腕に関してはからっきしだからな。それでなんど痛い目にあってきたことか」

『言ってくれるな。それならおれも言わせてもらうが――』

「ちょっと待って。レーダーマッキー、あんたの言っていることは大体わかったけど、あの時点で、その機械が完成していないってのは、なんでそう思ったの?」

『それは最後の映像と関連してくるんだが、あの時に、アリスと、恐らくヒサト・メンゲレだろう白衣の男と、それに小さなほうの機械の三つが〈赤い鷹〉のもとへ渡ったと考えられるよな?』

「ああ」

『それが事実なら、ひとつの疑問が浮かび上がる。即ち、ってことだ』

「使う必要がなかったんじゃないの?」

『反乱軍が、〈鍵となる少女〉と、〈鍵穴になる機械〉と、〈鍵を開くことのできる男〉のすべてを手中に収めたのにか? それは考えられないな。政府を壊滅させることが可能な力を手に入れたのに、それを使わない理由があるとは思えん』

「それは……」

「つまり、使わなかったのじゃなく、使


 トキオが呟く。


『そうだ。あの機械は完成していなかった。使えなかったんだよ』

「なるほど。それが本当に正解だとするなら、ずっと引っかかっていた、アリスがツラブセに幽閉されていた謎も明らかになる」


 言って、マクブライトは煙草に火をつけた。


「完成するまで、を離して隠した。それならば、政府軍にふたつとも奪還される危険性を低められるな」

『ああ。それで、まあ、何から何まで一気に言うのは気が引けるが、五年前に九番で起きた、あの〈血の八月〉は、恐らくそのために引き起こされた悲劇だ』


 レーダーマッキーの言っていることが、よく分からなかった。


「なにを言ってるの? 〈血の八月〉は、あの〈赤い鷹〉が、ツラブセの御隠居たちを殺すために引き起こしたものだろ。政府なんか信じちゃいないけど、そういう発表はされたし、それに……それに、あたしのお母さんは、そのとき奴らに殺されたんだ。面白がってふざけたこと言ってんじゃねえぞ!」


 そんなこと、信じられるはずがない。


『怒るのも分かる。信じられないのも分かる。だがまあ、落ちついて最後まで聞け。その後でまだ信じられないのなら、それはお前の自由だよ、ハナコ』

「……名前で呼ばないで」


 自分でも、何に腹を立てているのかが分からない。


『とにかく聞け。今までの推理と、〈血の八月〉についておれが以前に得ていた中の、いくつかの不可解だった情報をつきあわせて考えてみたら、これはもう間違いなく、あの武力衝突はアリスが原因だ』


 レーダーマッキーの言う不可解な情報とは、



〈はじめに九番に現れた《赤い鷹》は、すぐに市街地で虐殺を開始した〉


〈その際に、金髪の少女を片っ端から拉致している〉


〈虐殺が開始されてから二週間後に到着した政府軍は、真っ先にツラブセへと向かっている〉


〈九番の映像のどれにも、《赤い鷹》と政府軍との間での武力衝突は発見できなかった〉



 という、四つだった。


『他にもいくつか気になる情報はあるが、主にこの四つが要点だ。後の二つは置いておくとして、先に挙げた二つから分かるのは、〈赤い鷹〉はツラブセの〈御隠居〉たちを殺すことが目的ではなく、なにかを捜すのが目的だったんじゃないかということだ。ここまでは分かるか?』

「分からねえよ」


 憮然としてこたえるハナコ。


『一つ目の情報で、〈赤い鷹〉がツラブセの襲撃を目的としていないことが分かる。そして二つ目の情報で、奴らの目的が、恐らく〈金髪の少女〉の捜索だったのだろうということが分かる』

「奴ら〈赤い鷹〉が、まさかアリスを捜していたとでも言いたいわけ? 手元に置いているはずなのに?」

『そこだよ。んだ』

「さっぱりだよ。あんたの言っているとおりなら、〈赤い鷹〉はアリスを捜していたのに、その〈赤い鷹〉には、アリスを捜す理由がなかったってことになるじゃないか。矛盾してる」

『それに対しての解答が、三つ目と四つ目の情報だ。まず、三つ目の情報。これをかんがみて分かるのは、後にやって来た政府軍は〈赤い鷹〉の鎮圧ではなく、ツラブセへ入ることを目的としていたということだ。そして全フロアを確認したあと、おざなりに数名の兵士を残して、なぜかあっさりとツラブセをあとにしているんだ。こんな不可解なことはねえよな? 普通ならそこを守護の要とするはずなのに、だ』

「なるほど。政府軍は、《赤い鷹》がを知っていたってことですか」


 トキオが唸る。


「そして四つ目の情報から、九番の市街地で虐殺を行っていた〈赤い鷹〉と政府軍の間に、敵対関係はなかったということが分かりますね」

『そういうことだ』

「あー、もう、ますますワケが分からないよ!」


 話についていけず、ハナコは叫んだ。


「早く結論を言いな」

『勿体ぶっているわけじゃないんだが、物事には順番がある。最初に言ったが、最後まで聞け。つまり、これらを総括して分かるのは、九番で虐殺を行っていた〈赤い鷹〉と政府軍とのあいだに敵対関係はなく、〈赤い鷹〉は九番街全域で、また政府軍はツラブセの構内で、それぞれ何かを捜していたということが分かるな。ここまでの事実をおれは以前から掴んでいたんだが、重要なファクターが抜けているような気がして、この事実がどういう意味を持っているのか、さっぱり分からなかったんだよ。それが今回、お前らが秘密研究施設で得た情報と突き合わせてみたことで、すべての謎が解けた』

「……替え玉スケープゴートか、えげつないな」


 マクブライトが言う。


「あの時、ってわけか」

『そうだ。ってわけさ。それならば、すべての説明がつく。回りくどく言っちまったが、これが結論だ。よく聞けよ』

「ああ」

『〈赤い鷹〉に奪われたアリスが、九番街に匿われていると推測した政府が、偽物の〈赤い鷹〉による虐殺を演じながら九番街を捜索し、一方で政府軍がそれを阻止することを名目にしてツラブセの構内を捜索することを計画。そしてそれを実行した。偽者の〈赤い鷹〉による虐殺は、真の目的を隠すための目眩ましだろう。恐らく、いや間違いなく、これが〈血の八月〉の真相だ』

「信じられるかよ、そんなこと……」


 未だ混乱するハナコの脳裡に、〈血の八月〉の時に母を殺した藪睨みと、そのあとに対峙した包帯に言われた、「」という言葉が甦っていた。


 あの時はその言葉の意味がまるで分からなかったが、「ハズレ」という言葉は、もしかすると「金髪の少女ではない」という意味だったのじゃないか? 


「そういえば」


 トキオが言う。


「オヤジは、アリスがツラブセへ匿われたのは、だと言っていましたよね」

『ほう、そうなのか。ということは、の《血の八月》は、政府にとってはまったくの無駄足だったわけだな』

「無駄足……?」


 ――無駄足で、お母さんは殺されたの?


 どこに、何に、怒りをぶつければいいのか分からない。


 唇を噛みしめたハナコは、いつのまにか拳を強く握りしめていることにふと気がついた。


 だが、この拳をどこに向ければいいのか分からない。脳裡の坩堝るつぼの中で渦巻きながら煮えたぎる、理性や感情をどう抑えつけていいのかも分からず、ハナコは拳を地べたへ振り落とした。


「おい」


 マクブライトに言われ、我に返ったハナコは、思わず視線をアリスに走らせていた。


 そのアリスは、未だ不安になるほどの無表情だった。


 アリスは悪くない。


 それは分かっている。


 だけど。


「ハナコ、仇を見誤るなよ」


 マクブライトが言う。


「……ああ、大丈夫」

『落ちついたか? まだ話の続きがあるんだが』

「まだ、なにかあるっての? もう勘弁してよ」

『むしろこっちが本題だ』

「お前が言わんとしていることは、分かるぜ」


 マクブライトが言う。


「おれもずっと気になっていたことなんだが、今までのお前の話を本当だとするのなら、最悪の結末だな」

『いや、最悪中の最悪だ』

「一体、なにが最悪なんだよ?」

「川を渡る前、お前に言ったよな。今回の件でおれがいちばん気がかりなことをよ。覚えているか?」

「勿体ぶるのは、もうやめて! イライラしてるんだ!」

「……そうだな。あの時、おれはお前に『なぜ今頃になって〈赤い鷹〉はアリスを手元に置きたがっているのか?』って言ったろ」

「ああ」

「レーダーマッキーの推理にしたがって考えるなら、アリスを呼び戻す理由はひとつだけだ。即ち、

「……そういうことか」


 その時、ガサリと落ち葉を踏みしめる音がし、見ると、いつの間にか立ち上がっていたアリスが、涙を浮かべてハナコをじっと見つめていた。


 その小さな手から滑り落ちた笑い袋が、機械仕掛けの哄笑こうしょうをあげる。


「アリ――」


 アリスが、踵を返して闇夜の中へと、消えた。


「くそっ!」


 すぐにアリスを追いかけだしたハナコは、


『おい――』


 レーダーマッキーの言葉を背中に聞き流した。


 何を置いても、今はアリスを追わなければ。


 木々を掻き分けようやくのことで追いつくと、


「来ないで!」


 アリスが叫び、木々が揺れた。


 川を眼下に見下ろす、切り立った崖を背にしたアリスは、その足を一歩一歩、うしろに這わせてゆく。


「おい、バカなこと考えてんじゃないぞ」


 その言葉も、アリスの心に届かない。


 アリスの腹積もりは容易に想像できるが、まさに最悪中の最悪な、その決意をとうてい受け入れることなんてできない。


 当たり前だ。


 だがしかし、一体どうすればいいのかが分からない。


「全部、わたしのせいで……」


 そしてまた、アリスが一歩あとずさった。


「やめろ」

「わたしさえいなけれ――」

「やめろ!」


 ハナコの怒声に、アリスが身を震わせた。


 そしてまた、もう一歩……

 もう一歩で、アリスは……


 先のことはよく分からないが、それでも止めなければ。


 ハナコは、ゆっくりとアリスへにじり寄った。


 だが、辿り着く前にアリスが――


 ――忽然と視界から消えた。


「アリス!」


 考えるよりも先に、ハナコは崖から飛び降りていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る