14:カーニバル①

「戻ってみると、やっぱり懐かしいですね」


 トキオが心なしかはしゃいでいるように見える。


親御おやごさんにでも会ってくればいいんじゃないの?」

「いやあ、生きているかどうかも分かりませんからね」


 落ち込むそぶりも見せずに言って、トキオは屋台で買った綿アメをアリスに手渡した。


 のアリスは案の定、竹串に刺さる大きな綿アメを不思議そうにしげしげと見つめていたが、ハナコがそこから一欠片ひとかけらをつまみ取って口に含むと、それを真似して、恐る恐る自らの口に含んだ。


「どう?」


 ハナコが訊くと、


「……甘いです」


 ようやくアリスは口を開き、ハナコに目を向けた。


 その青空を封じ込めたような瞳にじっと見つめられると、なぜか後ろめたくなる。


 ハナコはアリスから視線を逸らし、三つ先にあるフランクフルトの屋台を指さした。


「あれも食べたことがないだろ?」


 訊くと、アリスは無言のまま小さく頷いた。


「じゃあ、買ってきてやる。これで飲み物でも買っててやりな」


 トキオにお金を渡して、ハナコは一人でフランクフルトの屋台へと向かった。


 いちおう努力はしてみたものの、やっぱり子どもは苦手だ。強く当たるのも腫れ物に触るようにして接するのも、正解ではないような気がする。幸い、トキオはが分かっているらしいから、なるべく相手は任せよう。


「三本ちょうだい」


 汗まみれの屋台のオヤジに言うと、すぐに作り置きの冷えた三つのフランクフルトを手渡された。


 代金を支払い、二人のもとへ戻ろうとすると、


「おい、そこの三つ編みのバカ女」


 と、妙に甲高い男の声に呼び止められた。


「あたしのこと?」


 いきなり罵倒ばとうされたことにムカついて振り向くと、両脇に屈強な黒服を従えた、パープル地に金色の刺繍ししゅうがほどこされたセットアップスーツの男が、不気味な笑みを浮かべてハナコに頷いた。


「三つもソレを買ってしゃぶりたおす気か? どうやらよっぽど男に飢えているみたいだな」


 言って、鎖のリードを持った右手でハナコを指さし、裂けるほど口を開いて男が笑い出した。


 ――ナンパのつもりなのか? 


 よく見ると、そうとう酔っ払っているのか、充血した目がすわっている。こういうやからにからまれるのはゴメンだと思ったが、それでも言われっぱなしはしゃくさわる。


「連れが二人いるの。それにコレをしゃぶる趣味はねえよ。どっちかと言えば噛みちぎる方が趣味かもね。試してみる?」


 言って、ハナコは男を睨みつけた。


「おいおいおいおい、勘違いするなよ。おれはに興味なんてねえ」


 男が笑う。


 「ケツとアタマの軽い淫売いんばいにそんなモン持ってウロつかれると、街の景観が損なわれるから、とっとと消えろって言ってんだよ!」


 男が急に真顔になり、ドスの利いた声音でがなり立てた。


 言いがかりもはなはだしい。


 よく見ると、さっきは気がつかなかったが、男は白い球状のモノが入れられた二十個ちかい小瓶を首からぶら下げていた。そのどれもがうすく濁る液体で満たされている。


「……悪いけど、あたしは淫売なんかじゃないし、あんたみたいな口先だけの男に指図されるのがいちばん嫌いなんだよ」


 ケンカを売るのはマズイと思いながらも、口が止まらない。


 男がふたたび口の端を吊り上げる。コロコロと表情の変わるヤツだ。


「口先だけかどうか、分からせてやるよ」


 言って男がリードを引き、黒服の影から、リードの先を首輪につなげられ、アザだらけの上半身を露わにした、黒革パンツの、右目に白い眼帯をつけた青年が、悄然しょうぜんとした表情で現れた。虚ろな左目がじっとハナコを見つめてくる。


「お前もよく見ておけ。あの女のカワイイメンタマをプレゼントしてやる」


 言って、男はリードを黒服に持たせた。


「泣き声がれるまで遊んでやる」


 男は懐から鋭く光るアイスピックを取り出し、それをハナコに向けた。

 その右手には、薬指がなかった。


「上等だ」


 ハナコは、オロオロと右往左往する屋台のオヤジにフランクフルトをむりやり持たせ、


「涸れるまで聞かせてやるよ、あんたの泣き声をな」


 と言って、警棒をホルダーから抜き取り、一気に振り伸ばした。


「ネエさん!」


 男に対峙してかまえると、背後からトキオに呼び止められた。


「おいおいおいおい……」


 男がトキオを見て、アイスピックを持った手をダラリと下げて目を丸くする。駆けつけてきたトキオは、ハナコをかばうようにしてその前に立ちはだかり、ベルトから引き抜いた拳銃を男に向けた。


「トキオじゃねえか!」


 拳銃が目に入っていないのか、男が嬉しそうに目を輝かせる。


「まさか生きていたとはな。スキッピオの野郎、おれをだましてたってのか。まったく、つくづく他人は信用するもんじゃねえな」

「あの人は関係ない。だから手を出すんじゃない! そして、だ、アルビン・ゲイ!」

「……なるほど、お前の新しいオンナってわけか。エレナとか言ったか、あの女にずいぶと似ているが、代わりのつもりか?」


 男――アルビン・ゲイは深く深くため息をついて、射殺せるほどの憎しみをこめた視線をハナコに向けた。


「銃を下げさせろ、ゲイ。お前がなにもしなければ、おれたちは黙ってここから立ち去る」


 言って、トキオはゲイの両脇の黒服を顎で指した。


 黒服が拳銃をトキオに向けていることに気がついて、ゲイは「おいおいおいおい、何をやっているんだ?」と言い、黒服たちの頬を平手で張って、それを下げさせた。


「も、もう嫌だ!」


 黒服の隙をついて、首輪の青年が逃げ出す。


「ふーむ」


 やれやれと頭を振ったゲイが、黒服の手から拳銃を奪い取り、青年に向けた。


 つぎの瞬間――

 ――ゲイは、さきほどからのゴタゴタを遠巻きに見ていた野次馬へ向けて、一切のためらいもなく発砲した。


 一帯に鼓膜が破れてしまいそうなほどの金切り声が上がり、何人かの野次馬が血しぶきを上げながら地べたに倒れ込んだ。


 終いに、逃げ出した青年が背中を撃たれてもんどり打って突っ伏し、うつぶせのまま体を痙攣けいれんさせた。


 通りの至るところに血だまりができてゆく光景を眺めながら、「銃は難しくて嫌いだ」と、ゲイが小さく独りごちる。


 とつぜんの惨状に唖然あぜんとしていると、ゲイは振り返ってふたたびトキオに視線をもどし、「よかったな、ちょうどいま首輪が空いた」と言って拳銃を放り投げ、両腕をいっぱいに広げた。


「さあ戻ってこいトキオ、元々はお前のためのものだ」

「ふざけるな!」

「ふざける? おれがか? お前には随分と目をかけてやったってのに、そんな態度をとってるお前の方がふざけてるじゃねえか……まあいい、おれは今でもお前を――」

「黙れ!」


 怒鳴り、ゲイのおぞましい言葉を遮るトキオ。


「……やっぱりそのオンナか。恋の鞘当さやあては、趣味じゃあねえなあ」


 興を削がれたと言わんばかりに下唇を突き出しておどけたゲイは、投げ捨てた拳銃を拾い上げて、ハナコに銃口を向けた。


「お前の大切なモノは、すべて壊してやる」


 言って、ゲイが引き金をゆっくりと引き絞る。


 「待て!」


 トキオが叫ぶ。


「おれは今、ドン・イェンロンのもとで運び屋をやっている。この人はその相棒だ。おれたちに手を出すと、さすがのお前でもただじゃすまされないぞ」


 必死に諭すトキオのこめかみを、一筋の汗が流れ落ちた。


「知るか」


 ドンの名にも怯まないゲイの手を、慌てて黒服がおさえた。


「邪魔だ」


 イラつき、ふたたびゲイが黒服の頬を平手で張る。二度も平手をくらい片頬をすっかり赤くした黒服は、それでも手を離さず、ゲイに耳打ちをした。


「……」


 渋々と拳銃を下げるゲイ。


「つくづく幸運の女神フォルトゥナに愛されているな、トキオ。おれの気が変わらんうちに、とっとと失せろ」


 すっかり落ち込んだ表情になったゲイが、追い払うように拳銃を前後に振った。


 それを見て、トキオが拳銃を下げる。


「行きましょう」


 トキオに従い、ハナコは警棒をホルダーにしまった。


「いずれな…… いずれお前をかならず迎えに行く」


 自身に言い聞かせるようにボソリと呟き、ゲイはトキオを見つめながら首から下げた小瓶のひとつを掴み上げ、それに熱いキスをした。小瓶と唇とを、唾液の糸が結ぶ。


 小瓶の中身は――眼球だった。


「……行きましょう」


 もういちど言って、トキオはハナコの手を引いて脇道へと入っていった。

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