5:依頼
「街の空気が重いな」
オヤジが、しかめ面で窓外を眺めながら言った。
「そう? あたしには分からないけど」
「お前は鋭いが、すこし鈍感なところがあるぞ」
外の景色から目をはなし、引きずる左足をかばうようにして杖をつきながら、ドン・イェンロンが振り向いた。
ドン・イェンロンはハナコたちの飼い主で、以前は九番に五つあるギャングのひとつ、《イェンロンファミリー》の頭目だった男である。
五年前の《血の八月》で負傷したために左足を不自由にしたドンは、長男にではなく、
ドンいわく、「おれはここで生まれた。だからここで死ぬのは当然」なのだそうで、そのあとには、決まって「高いところは空気が薄い。あそこにいると奴らのように頭が悪くなる」とほくそ笑む。
「ここに来て何年になる? 運び屋稼業をはじめたのは?」
「五年。運び屋になったのは四年前」
ドンは、ハナコが名前を呼ばれるのを許している数少ない人間の一人であり、そして唯一、頭の上がらない男でもある。
左足を大儀そうにさすりながら、ドンはため息をついた。
「それがなんなの?」
「体は成長しているようだが、中身はまだまだ子どもだな。もうすこし慎重にならなければいずれ死ぬぞ。ここでは特にだ」
「トキオとおなじ説教しないでよ」
「……十日も前の話だから、今さら蒸し返したくもないが、ガンズへ依頼のブツを届ける際に、コブシ一家の縄張りを通ったろう。安全な迂回路なんていくらでもあるだろうに、わざわざあそこをとおる理由が、おれには分からん」
「あそこが、いちばんの近道だったんだからしょうがないだろ。それに、ブツはちゃんとガンズに届けたし」
「馬鹿者。結果ではなく、過程の話だ」
「……」
ドンの鋭い目に
「お前はトラマツをナメすぎだ。今はすこし
「……はい、いま胸に刻み込みました」
「ハッハッハ、怒られてやんの」
後方の茶色い革張りのソファに座る、顔中にピアスをつけた、上下とも黒ジャージのモヒカン男が笑う。
「うるさいな、黙れ」
「おれにやらせてくれりゃよかったんですよ。おれならあんな道は通らない。なあ、チャコちゃん」
「そうね、あんた腰抜けだから」
爪を爪ヤスリでととのえながらモヒカン頭に素っ気なく返し、風船ガムをふくらますチャコ。
「ひでえなあ」
言って、モヒカン頭は、チャコへ媚びるように卑屈な笑みを浮かべた。
男の名はケンジ・オクザキ。
ハナコたちとおなじく、ドンに飼われている四組の《運び屋》チームの一つ、《ケンジ・チャコペア》の片割れで、普段は《探偵》をやっているが、そっちではほとんど稼ぎを上げていないらしい。一度そのことをからかってからというもの、ハナコのことを親の仇かのように憎んでいる、粘着質の男だ。
「チャコちゃん、頼むからさあ、たまには優しくしてくれよ」
「……」
チャコのあからさまなシカトに肩を落としたケンジは、八つ当たりでハナコを睨みつけた。
「お前のせいだからな」
「あんたが腰抜けだからだろ」
「テメエ――」
「二人ともやめろ」
ドンの静かな一喝に、室内がしんと静まりかえった。
「喧嘩は許さんぞ」
言い返そうと口を開くと、ドンにまたね睨めつけられた。
加勢をたのむべく、となりで直立不動になっているトキオを横目で見やると、額には玉のような汗をかき、口を閉じたままドンの背後の窓をじっと見つめていた。
心の底からドンを
どうやらトキオには加勢を頼めそうにもない。
「……すいませんでした。色々と反省しています」
「座れ」
表面上、殊勝な態度であやまったハナコは、ケンジを睨みつけながら、そのとなりのソファへトキオとともに座った。
「そんなことより、早く仕事の話をしてくれます? ここは蒸し暑いから、はやく帰ってシャワーを浴びたいんです」
蜜の香る声で言って、ひとり冷静なチャコは、爪ヤスリについた削りカスを息で吹き飛ばした。
五日前の《ショットガン・コヨーテ》での狂宴でよっぽど疲れたのか、目の下にはうっすらとクマが浮き出ている。
この、すべての毛穴から色香が沸き立つ女にご執心な男は、石を投げればぶつかるほど九番にあふれかえっている。マクブライトもその一人で、ハナコはことあるごとに「お前にはチャコちゃんのような色気がまったくない」とバカにされている。
「今回の依頼は、『ある地点まである人物を護送する』というものだ」
「いつもどおり、今回も詳しくは教えてもらえないんだね」
「詳細は知らなくていい。メインの護送は双子に任せる。ある人物の引き渡し場所は《ツラブセ》なんだが、双子は今、べつの任務中でな。それでお前らのどちらかに、その人物をここまで連れてきてもらいたい」
「んじゃ、おれたちが」
ケンジが、さも当然のように言う。
「待ちな。こっちはもう五日も仕事をしてないんだ。あたしらがやるよ」
「チャコちゃーん、このバカになんか言ってやってよ」
「わたしはどっちでもいい。運び屋は、小遣い稼ぎだから」
「お、おれは小遣い稼ぎじゃねえよ」
「夢に溺れて、儲かりもしない探偵なんかやってるのが悪いんじゃない? 何度も言ってるけど、憧れで飯が食えるほど、九番は甘くないのよ、名探偵さん」
チャコに身も蓋もないことを言われ、涙目のケンジ。
「……そうだな、ハナコ、お前らが行ってくれ」
ドンにうなずいてケンジを見やると、その決定に抗弁する気力すら残っていないようにうなだれていた。心なしか、そのモヒカンまでもが
ケンジに少しだけ同情したが、それでも仕事はべつだ。
「今夜の八時には、受け取りが可能なよう手配しておく。頼んだぞ」
言って、ドンは煙草に火をつけた。
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