2020年6月7日(日) 快晴 サッカーを始めたキッカケはファミコンのキャプテン翼Ⅱであった
毎日少しずつYouTubeで観ていたテレビ版のキャプテン翼中学生編を漸く見終えた。ラストはドライブシュートをタイガーショットで打ち返してボールが頭上高くへ打ち上げらたところで延長にも及んだ激戦のタイムアップを迎える。
このシーンは映画版や新・キャプテン翼のオープニングでも取り入れられた名場面でもあるのだが、実際は日向くんがスライディングでブロックしたことをタイガーショットで打ち返したと表されており、言い方だなと思う。
次に手を出したのはゲーム版のキャプテン翼のBGMで、これもまたYouTubeで聴き続けるというマニアックな展開へと発展させてしまった。
想えば僕がサッカーを始めたきっかけはファミコン版のキャプテン翼Ⅱを親戚のお兄ちゃんがプレイする横で眺めていたことがキッカケであった。
サンパウロの翼がリオカップを制し、南葛高校の岬くんが国内の強豪を相手に全国を勝ち抜くのを準決勝のふらの戦まで横で見た後に、痺れを切らせて親に自分用のファミコンソフトを買ってもらった。
僕がプレイし始めた頃にはその親戚のお兄ちゃんは既にゲームをコンプリートしており、裏技のようなパスワードを教えてもらうと有り得ないようなレベル設定の全日本代表がジャイロカップのアジア予選を戦っている途中だった。
ひたすら必殺シュートを打ち込んではゴールネットを突き破って喜んでいたのだが、今考えると立花兄弟と巨漢の次藤くんのスカイラブツインシュートはそこで初めて知ったのだった。
今でこそ当たり前に見ていられるが、初めて立花兄弟がスカイラブで飛ぶのを見た時に「彼らはサッカーの試合中に何をやっているんだ」と幼いながらに驚愕したものだ。他にもカミソリシュートやカミソリタックルと聞いて「カミソリって何だよw」といった第一印象だったように思う。
調度習い始めたばかりの空手を辞めてサッカーを初めたいと親に言うと、当然のことながら空手は直ぐに辞めさせてもらえなかったのだが、今の実家が建ちそれまで暮らした街を離れるのと同時に空手を辞めた。
新しい街ではサッカーの少年団に入団出来ると意気揚々としていたところ、何故だか親に猛反対を食らい、数カ月の押し問答のすえ何とか念願の入団を叶えたのだが、監督は全身刺青の男で手の指の10本の内の3本が根元辺りから無かった。
ゲーム版のキャプテン翼は原作とは異なるオリジナルストーリーで、ネット上でもそのストーリー展開の評価は非常に高かったようだ。
たまたま社会人一年目でアサインされたプロジェクトのサイトが九段下の靖国神社裏のオフィスビルで、昼休みに散歩をしているとそれらのゲーム製作会社であったテクモ本社を偶然見かけ、さすがに懐かしく感傷に浸ったものだ。
BGMの話に戻すと、キャプテン翼Ⅲのアジア予選でのBGMが攻守版共にお気に入りである。
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