構築された怨霊

@pungency_lover

第1話 霊界接続説

 「お化けの話してると、本当に寄ってきちゃうわよ。」


 幼い頃の僕に、母がよく言っていた言葉を思い出す。


 昔から僕は、幽霊であるとか、怪物であるとか、そういった未知の存在に心を奪われていた。

 

 何がきっかけだったのかは、もうよく覚えていない。夕食の時間、食卓のテレビで何気なく目にした、投稿系心霊映像の特番だったか。それとも、通っていた小学校の図書室で手に取った、子ども向けの怪奇小説だっただろうか。


 すっかりオカルト好きとなった僕は、学校に伝わる七不思議のこと、公園で聞こえると噂になった赤ん坊の幽霊の声のこと、幽霊が見えると自慢げに話すクラスメイトのこと……  毎日毎日飽きることなく母に報告し、そのたびに呆れたようにこの言葉をかけられていた。


 お化けの話をしていると、本当に寄ってくる。その言葉が、かえって僕の好奇心を刺激し、会えるものなら会ってみたいと、より深みにはまっていくきっかけとなったのは言うまでもない。


 だが結局のところ、その幼い願いが叶うことはなかった。大学三年生となった現在まで、僕の元に幽霊が寄ってくることなど、一度もなかったのだ。


               



 「おい、高部。集中して聞いてくれ。」


 懐かしい思い出に浸っていた心を引き剥がされた僕は、目の前で不服そうな顔をする男、間宮に意識を向ける。


 間宮は、僕の所属するサークル、オカルト研究会の同期だ。

 週に一度の定例報告会終わりで、そのまま部室に二人で残り、僕は間宮が考案した心霊現象の新説について聞かされている。


 定例報告会と言っても、大層な研究とやらをしているわけではない。オカルトマニアの大学生たちが、自分の興味のある分野の文献や映画について駄弁り合う、ごく普通のサークルの集まりだ。


 その中で間宮は、独自の視点から心霊現象を研究し、定例では欠かさず進捗を報告するなど、熱心に活動していた。

 僕も間宮と同じく、怪奇現象に関する自分なりの新説も考えていなくはないが、ただの趣味、自己満足に過ぎない。

 将来的な研究活動も見据え、積極的に学説を発表しているのは、間宮ただ一人だった。


「つまり、幽霊ってのは個の存在として、現世に留まっているわけじゃない。現世とは別次元の霊的世界で、一つの塊みたいに溶け合って存在してる。その世界を俺らの意識が感知して、霊障という形になって現世に現れるってわけだ。」


 普段から、目を輝かせながら嬉々として心霊について語ることの多い間宮だが、今日はいつも以上に熱量が伝わってくる。

 どうやら、この新説にかなりの自信があるようだ。


「じゃあ、地縛霊とか心霊スポットとか、場所に基づいた心霊現象は存在しないと考えているってことか?」


「いや、場所に基づいた霊現象があることは否定しないが、そこに幽霊そのものは存在しない。いや、その場所だけに存在するわけじゃないと言うべきか。」


 良い質問だとばかりに、したり顔で間宮が答える。


「心霊スポットを例に説明しよう。まず、とある場所で、最初の心霊現象が起ったとする。すると、その場所を中心として心霊体験の証言や噂が広まって、人々の意識が集中していく。それが積み重なっていけばいくほど、場所そのものに対しての恐怖も大きくなっていき、霊界と繋がりやすさも増していく、という循環が発生する。荒れ果てた地に人の歩みが繰り返されることで、だんだんと道ができていくようなものだ。そして、その場所を訪れる人が抱く恐怖がアンテナになって、霊界から干渉が起こる。霊媒となるのは場所や物ではなく、人間の意識なんじゃないかって考え方だよ。」


 間宮が提唱する新説は、名付けて〝霊界接続説〟。

 生命体は死後、現世とは別次元に隔てなく存在する霊界に収容され、単一のエネルギーの塊に変化する。そして、現世の人間が霊界に対して強い意識を向けることが引き金となり、心霊現象が発生する、という理論らしい。

〝幽霊版クラウドサービス〟とでも言うようなものだろうか。


「単一のエネルギーになってしまうのだったら、怨霊や悪霊はどうなんだ? 一個人の恨みや悪意によって現れる幽霊譚だって、この世には数多く存在するだろう。」


「誰かに対する恨みを抱きながら死んでいった人間は、その恨んでいる張本人の意識に反応して霊障を発生させるような〝プログラム〟と化して霊界に取り込まれるんじゃないかと考えている。霊界は、死者の呪いを取り込み、共有することで、常に進化を繰り返していく、ある意味生き物のようなものと言えるかもしれないな。」


「ただのエネルギーでしかないなら、幽霊の容姿に関しては? 白装束に髪の長い女という定番の姿で現れることもあれば、死んだ家族や恋人の姿で現れる話だってある。」


「確かに、幽霊の姿は語り部によって様々だ。だがそれは、言ってしまえば脳による錯覚に過ぎない。霊的エネルギーは人間の脳では理解不能なものだが、感知してしまった以上は認識に反映させなければいけない。そこで脳は主人の記憶の中を漁り、〝想像できる幽霊像〟として霊的エネルギーを描写する。仮に脳が〝これは定番の怖いやつだ!〟と判断すれば、主人の目には白装束の女が映るし、〝これは家族の霊だ〟と判断すれば、死んだ家族が映る。古今東西、国や時代ごとに姿が違うのも、感知する人間の持つ霊に対するイメージや文化の違いがもたらすものだろう。」


 僕の疑問や指摘に対する解答が、間宮によって次々と語られていく。悔しさはない。むしろ、間宮がちゃんと間宮であることが、僕を安心させる。

 この程度の指摘など、彼にとっては最初から織り込み済みなのだろう。


 話を聞く限り、僕はこの〝霊界接続説〟は十分に可能性のある考え方だと感じている。

 現状オカルトの域を出ない心霊研究に整合性を求めるのは野暮なことこの上ないが、だからこそ、可能性のある説にはロマンを掻き立てられる。


 だが僕は、この理論の正当性を認めるわけにはいかない。認めるにはあまりにも不都合で、そして身近な〝反例〟があるからだ。


「悪いけど、その説は間違ってる。」


「どうしてそう思う? 理由を聞かせてくれ。」


「根拠となるのは僕の人生だ。僕は小さい頃から心霊に惹かれていて、何冊も怪談話を読み漁ったし、何本も心霊動画を観てきたし、何度も何度も心霊スポットを訪れて撮影を試みたりもした。だが、僕はこれまで一度も心霊現象を体験していない。明らかに人並み以上の心霊に対する意識を持った僕が、何も感知できていないんだ。自分勝手な反論だとは思うが、普遍的な説ではないと言わざるを得ない。」


「それは…」


 間宮が言い淀んだ。さすがにこれには反論することができないかと、僕は少しだけ残念な気持ちになる。


「それは…高部、お前自身が一番よく分かってるんじゃないのか? 少なくとも側から見て、お前はもはや心霊に対して、ある種の信仰心に近いものを抱いているんじゃないかと思うんだ。」


 思わぬ方向からの指摘に、僕は言葉を失った。


「怪談話の定番に、若者グループで肝試しに行く話があるだろう? 言い出しっぺの一人か二人が乗り気で、そこに嫌々ながらも付いていく怖がりの友達がいる。大抵の場合、真っ先に霊現象を感知するのは、その怖がりの友達だ。後になって、言い出しっぺの奴らも霊現象に巻き込まれるのが定石だが、その頃にはすっかり好奇心は薄れ、自分達にも降りかかるかもしれない霊現象への恐怖で頭がいっぱいだ。そして霊界への接続には、そういった強烈な感情が必要となる。」


 間宮が一息ついて、僕に目を向ける。


「だが、高部、お前はこれまでの人生で一度も心霊現象を体験できていないにも関わらず、それでもなお意欲を持って心霊探求を続けている。オチのない怪談話をひたすら読み続けるようなものだ。それを可能にするのは、いくら手を伸ばしても届かないという神秘性にこそ魅力を感じる、極めて純度の高い探求心。一種の信仰心に近いものだ。お前が抱いているのは、そういうものなんじゃないかと思うんだ。」


 その分析は、あまりにも的を得ていた。もはや自分の持つ心霊に対する思いは、恐怖ではない。それは純粋な知的好奇心か、それとも、自分は心霊に選ばれなかったという悔しさを紛らわすための意地か。

 怖がりもしない相手の前にわざわざ現れてくれるほど、幽霊も暇じゃないのかもしれない。


「高部。俺はお前のことを尊敬してる。俺が心霊研究をするのは、昔俺をバカにした奴らのことを見返すためだ。小学生の頃、俺が近所の公園で幽霊を見たとき、周りの人間は誰も信じてくれなかった。それが悔しくて、絶対幽霊がいるんだってことを証明したくて、この研究を始めた。お前に比べたら、よっぽど不純な動機だ。」


 知らなかった。考えてみれば、間宮とは研究やサークル活動についての話をするだけで、個人的な話はほとんどしたことがなかった。


「だから俺は、新しい説を思いついたら、まず一番にお前に相談するようにしている。純粋な探求心を持つお前の観点は、俺が研究をする上でも重要なものなんだ。」


「なんか、僕に一生このままくすぶっていてほしいような言い草だな。」


 悔しさと照れ隠しが一緒になった口ぶりで、僕は間宮に言う。


「霊界接続説、僕は探求する価値のあるものだと思う。今後の展望を楽しみにしてるよ。もし僕にできることがあったら、遠慮なく言ってほしい。」


 そう言い残すと僕は、足早に部室を後にした。





 帰り道、僕は大学から自宅まで自転車を走らせながら、心の底から溢れるあらゆる感情に思いを馳せていた。


 僕は、心霊が好きだ。自信を持ってそう言うことができるつもりだった。


 だが僕は、間宮のように心霊研究を人生の生業にしていこうと思っているわけでもないし、誰かを見返したいという強い思いを持っているわけでもない。死んでしまった愛する人にもう一度会いたいという願いを抱いているわけでもない。

 

 間宮の言う通り、会ったこともない、いるのかどうかも分からない存在をやみくもに追いかけているだけだ。


 間宮は、僕が持っているそれは信仰心に近いものだと言った。

 神の沈黙という疑念に直面しながら、それでもなお己の信仰心を貫く敬虔なクリスチャンのように。僕もまた、幽霊たちの沈黙という疑念に直面する、敬虔な霊界の信者なのだろうか? 

 

 それとも、そんな立派なものではなく、ただ困難な探求を続ける自分自身の姿に酔いしれているだけの、暇を持て余した愚か者に過ぎないのだろうか?


 自宅のポストには、宅配レンタルで借りた心霊動画シリーズの最新刊が投函されていた。

 あんなに楽しみにしていたのに、今日はなんとなく、観る気になれなかった。

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