「夏の泣き声」 - 星海くじら

 大学生の夏休みは長い。私の通っている大学は七月で授業が終わり、八月も数日テストがあるのみだ。後期の授業が始まるのは九月も下旬になろうかという頃なので、休みが一か月以上あることになる。

 その長い夏休みを利用して、私は実家に帰っていた。大学入学を機に上京して以来、初めての里帰りだ。

 久しぶりの実家で気が抜けたのか、数日間だらだらと過ごし、今日もすっかり日が昇ってから起きた私に母が声をかけてきた。

「あんた今日は何するの?」

「別に何もないよ。明日の夜は同窓会という名の飲み会だけど」

「じゃあ今日は一日中家にいるつもりなの」

「この辺をちょっと散歩でもしてこようと思ってるけど」

 半年程度ではたいした変化はないだろうが、久しぶりにこの町を歩きたいと思っていた。


「暑いから気をつけなさい」

 散歩に行くだけだというのに玄関まで見送りにきた母は、そう言って水と塩分タブレットを手渡してきた。

「すぐ帰ってくるからいいよ」

 断っても母は引かない。仕方がないので受け取って鞄の中にしまった。

「いってきます」

 誰かにこう言って家を出るのはずいぶん久しぶりだ。私を見送る母もこころなしか嬉しそうで少し照れ臭い気分になった。


 久しぶりに歩く町は、コンビニが一軒できていたことを除けばさして変化はない。半年程度離れていただけで随分と懐かしい気分になるものだと感心しながら歩いていた。

 町をぐるりと回り、家の近くまで戻ってきたその時、突然子どもの泣き声が聞こえてきた。声のする方に顔を向けると、小学校低学年くらいの男の子が道端にうずくまっている。

 私も泣いている子供を無視するほど冷たい人間ではないので、声をかけた。

「君どうしたの?」

「おうちがわからなくなっちゃった。かえりたいよお」

 どうもこの男の子は迷子のようだ。たぶんこの辺の子だろうし家まで送ってあげたほうがいいだろう。

「お姉さんがお家まで連れて行ってあげるから泣かないで。お家の場所は言える? わからなかったら、お家の近くに何があるか言える?」

 背中をさすって宥めていると、男の子も泣き止んで答えてくれた。

「えーとね、池の近くだよ」

 この辺りで池といえば町はずれにある一つしかない。ここからは徒歩で十五分ほど離れている少々寂れた池だ。あそこの周りに家などあっただろうかと思ったが、もしかしたら最近できたのかもしれない。

「わかった。お姉さんと一緒に行こうか!」

 男の子の手を握って明るく言ってみる。子供への対応がこれで正しいのかはわからないが、男の子も手を握り返してくれたので間違いではないと信じたい。

 

 人見知りしない性格なのか、歩きながら男の子が話しかけてきた。何を話せばいいのかわからなかったので助かる。

「お姉さんはここにずっと住んでるの?」

「ずっと住んでたんだけど、今はちょっと離れててこの前戻ってきたの。君は?」

「まえはここにいたけど、いまはちがうの」

 以前はこの辺りに住んでいたが、池の近くに引っ越したということだろうか、まだ小さな子供だし、以前住んでいた頃のことなどほとんど覚えていないだろう。迷ってしまったのも頷ける。

「ここには遊びに来たの?」

「うん! なつかしくなって来たの。でもお家がわかんなくなっちゃった」

「そっか。もう少しでお家に帰れるから安心してね」

 その後も他愛のない話を続けているうちに、気がつけば目的地にかなり近づいていた。町はずれなこともあって緑が増え、対照的に家は減っている。

 少し先に見える、鬱蒼とした林の中に男の子が言っていた池がある。あのあたりは昼でも薄暗くて怖いので、本音を言えばあまり近づきたくない。

「もう少しで池につくけど、お家はどのあたり?」

「もうちょっと先! 池のすぐそばだよ」

「そっかあ……」

 あまり行きたくないが、林の中に入らないといけないようだ。歩く足もこころなしか重くなったように感じる。

「おねーさん早くいこうよ」

 男の子は家が近づいて嬉しいのか、こちらの腕を引っ張り急かしてくる。

「ちょっと待ってね……」

 どうも体がおかしいようで足が一歩も前に動かない。体全体が重い気がするし寒気もする。早く送り届けてあげなければならないのにこれではいけない。

 なぜ突然体が動かなくなったのかを考えると、一つ思い当たる節があった。

「そういえば水分補給してなかった」

「えっ?」

 鞄の中から水を取り出して一気に半分ほど飲み干した。喉を滑り落ちていく冷たい水が心地いい。続いて塩分タブレットを食べると、体の重さと寒気も消えた。暑いなか歩いていたので軽い脱水症状を起こしていたのだろう。

「君も食べたほうがいいよ」

 男の子も食べたほうがいいだろうと思い塩分タブレットを渡す。

「あっ、いやぼくはいいよ」

 男の子は妙に慌てて塩分タブレットをこちらに返してきた。

「ここからなら一人で帰れるからもういいよ。じゃあね!」

 そう言うと男の子は全力で走り、一瞬でいなくなってしまった。

 あまりに突然のことで、私はしばらく呆然と突っ立っていたが、男の子が無事に帰れたか気になったので池の近くまで行ってみた。

 しかし、池の近くには家など無く。雑草に埋もれるように小さな石碑のようなものがあるだけだった。


            *


 翌日、同窓会の席でその話をしたところ親友にめちゃくちゃ笑われた。

「あーおもしろ。塩分タブレットでも幽霊追い払えるとかうける。確かに塩はいってるけどさあ」

「あの子、幽霊だったのかな?」

「どう聞いても男の子が幽霊で、そのままついて行ったら池に引きずり込まれてたって話でしょ」

「確かに変だなとは思ったけど」

 狐につままれたとかそういった類のもので、幽霊だとは思っていなかったのでいまいち実感がわかない。

「ていうか。昔あの池に落ちて死んだ男の子がいたって話有名でしょ」

「何それ」

「あんたホントにここに十八年間住んでたの? だからあの池に近づいちゃいけないってお母さんに言われなかった?」

 過去にそんな話があったと知ると、今更ながら怖くなってきて青ざめる。そんなこちらの様子などお構いなしに、隣で笑う親友。

「やばいツボった。塩分タブレットで追い払われる幽霊は面白すぎる」

「何がそんなに面白いの?」

「それがさー」

 あまりにも笑っているからか、隣のテーブルにいた同級生がこちらに聞いてくる。

 そこからあれよあれよという間に私の話は全員に知れ渡り、なぜか私はゴーストバスターと呼ばれるようになったのだった。

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