第124話 セロからの忠告

「なに……これ、」


 エレナは言葉を失った。エレナ、ウィン、ノームが傲慢の世界に閉じ込められていた間、現実世界では一週間という時間が流れていた。たったの一週間。しかし世界は大きく変化していた。


 空が、黒く染まっていた。いや、正確には黒い生き物達に覆われていたと説明した方が正しい。羽の生えた“人間”達が空を支配していたのだ。エレナの隣でノームが呟いた。


「あれは、なんだ?」

「あれは人間だ」


 答えたのはエレナの私室についさっき来た魔王だった。その隣には魔王の補佐官であるアムドゥキアスとアスモデウスが並んでおり、魔王の言葉を否定しなかった。信じられないが、真実。エレナはそう理解した。


「人間? そんな馬鹿な」

「正確に言うと七人目の悪魔……によって悪魔に変えさせられた人間達だ」

「アスモデウス?」


 エレナは思わず同じ名の彼を見た。その時の彼の表情はとてつもない怒りを表していた。何を言うべきか迷ったが、何も言えない。アムドゥキアスが静かにエレナの私室のカーテンを閉めた。


「現在、世界は悪魔が支配している。あっという間の出来事だった。ヘリオス国王や枢機卿を初めとする数人は保護したが、その他の人間はほとんど……。そして今もなお悪魔達はこのテネブリス城を狙っている。今はサラマンダーを含む皆で協力してこの城を死守しているが、状況は正直厳しい」


 そこで魔王がふとエレナを見て、瞳を揺らした。何かを迷っているようなそんな瞳。エレナは首を傾げる。なんだか嫌な予感がして、魔王の手を握った。


「パパ? どうしたの? まだ何か悪いことがあるの?」

「…………、」


 魔王は何も言わない。エレナの嫌な予感が確信に変わる。

 部屋をぐるりと見渡しても、この場にいるアムドゥキアス、アスモデウス、リリスの三人の魔族が途端に俯いた。エレナから目を背けるように。鼓動は早くなる。痛いほどの沈黙を破ったのはアスモデウスだった。先程よりも強い怒りを込めた表情を浮かべて。


「──マモンが死んだわ」


 エレナは、頭が真っ白になった。




***




 数日前 テネブリス城中庭にて。


 エレナが傲慢の世界に攫われてから活気のないテネブリス城。その中庭ではアムドゥキアスとアスモデウスの竜人兄弟が肩を並べていた。二人とも顔色が悪く、アムドゥキアスに至ってはおいおいと号泣している。


「う、うぅ、えぐっ」

「ああもう! アム! 情けないったらありゃしないわね! あのじゃじゃ馬がここでくたばるような女じゃないっていうのは分かってるでしょ! しっかりしなさい!」

「だ、だが、ま、万が一の事を考えると……!! 私は、私はぁ……!」

「いい加減にしなさい! 一番不安なのは陛下なのよ。あの方の腕になると誓った私達がこんな時にしっかりしなくてどうするの」

「っ! それは、そうだ」


 アムドゥキアスは鼻を啜り、泣くのをやめた。アスモデウスはそんな彼にやれやれとため息を溢す。大丈夫、あの子なら。正直心配なのは自分も同じだが、アスモデウスはそう自分に言い聞かせることでなんとか自分を保っていた。


 だが。


 そう、それは突然に落ちてきた。ドサリと音がして二人がつられてみた先には──どこか見慣れた、。何も反応できなかった。その落ちてきた者の名前をアスモデウスが呟くまでに数秒かかる。その間に、ゴロリとソレが転がって、こちらを向いた。


「──マモン?」


 二人が同時に立ち上がり、マモンに駆け寄る。マモンの上半身を抱きかかえ、必死に名前を呼んだ。彼の美しい顔は見るも無残に歪んでいる。誰かに何度も何度も殴られたようだ。


「マモン? おい、マモン!! しっかりしろ!! どうしてこんなに、血だらけで……」

「う……」


 マモンは微かに息があった。そしてゆっくり二人の頭上を指差す。その先には、蝙蝠のような漆黒の翼をもつ男。血を殴り塗ったような長い赤髪を揺らして、こちらを嘲笑している。気づけばアスモデウスは竜化していた。


「貴様か!! 貴様がマモンをこうしたのか!!」

「へへっ、まぁそうだな。俺様はサディストでね。そこのエルフさんの美しい顔を汚すのは非常に興奮したぜ」

「貴様ぁああああ!!」


 アスモデウスが飛び出す。赤い男の後ろに並んでいた悪魔達がアスモデウスの前に立ち塞がった。アスモデウスはその悪魔達にどこか違和感を覚える。ベルフェゴールやベルゼブブなどの悪魔とは魔族からしたら全身に魔力が満ち溢れているもの。だがこの悪魔達にはその魔力がとても感じられない。全体的に力が薄いのだ。とても悪魔とは思えない。


「そうだよ。そいつらは元人間だよ。俺が悪魔に変えてやったんだ」

「あぁ?」

「俺の能力は人間にを植え付けることさ。植え付けられた人間は途端に悪魔に作り替えられる。まぁ、翼が生えて俺の言いなりになるだけで、大した戦力にはならねぇが……数が多いのはいいことだろ?」


 アスモデウスの思考を読み取っているかのようにスラスラ話し出す赤髪。アスモデウスの苛立ちが昂っているのを感じたのか、彼はさらに楽しそうに話しかけてくる。


「おっと、失礼。俺はセロ様に仕える七人目の悪魔。色欲の──だ。今日はセロ様の伝言をテネブリスに伝えるために参上した」


 その言葉を聞いた瞬間、アスモデウスは目を見開いた。同じ名前。ゾワリと寒気が走る。


「ああ、でもややこしいよなぁ。お前もアスモデウスなんだろ? じゃあ俺の前世の名前で呼んでいいよ。カイニスってんだ。よろしくな、アスモデウス!」

「へ、」


 ──陛下からいただいた尊いその名前を、貴様が軽々しく呼ぶな!!


 殺意に満ち溢れたアスモデウスはそう噛み締めるように呟いた。カイニスは「怖い怖い」とわざとらしく己の身体を抱く。


「まぁいいさ。そもそも仲良くなれるとも思っていないしな。それでそのセロ様からの伝言なんだけどさ。『空に何が現れようとも邪魔するな』。何がって質問には答えない。まぁ、その時になったら分かると思うぜ。忠告を無視したら……俺の何千何万の子供達が全員でテネブリスを襲い掛かるし、お前らの姫もそのエルフみたいになるってことで。んじゃ、確かに伝えたからな」


 すると彼は役目を終えたとばかりにほくそ笑みながら空気に溶け込んでいった。引き連れていた悪魔達と一緒に。アスモデウスは殺意のままに追いかけようとしたがアムドゥキアスの声に我に返る。


「マモン! しっかりしろ! おい!」


 アムドゥキアスがマモンの身体を揺らすと、マモンの唇が微かに動く。目は……白く濁っており、もう見えないようだった。


「その声は、アムドゥキアス、ですか……」

「マモン!! お前、マモンなのか?」


 アムドゥキアスが言っているのは悪魔マモンではなく、テネブリスの参謀であるマモンかどうかと尋ねていた。その問いにマモンは小さく頷く。


「ひっそりと、悪魔マモンの影に隠れて……なんとか生き永らえていたんですけどねぇ……。どうやらセロに見抜かれてしまったらしい……。みてくださいよ、コレ。ぼくの美しい顔が、台無しでしょう……」

「もう喋るな! 今すぐに医者を呼ぶから!」

「もう無理ですよ。もう、疲れました……。僕は悪魔に憑依されていたとは言え、仲間を裏切った。もう、皆に合わせる顔がない……」

「そんな馬鹿なこと言ってんじゃないわよ! なんのためにアンタの部屋を残していると思ってるの!!」


 アスモデウスも思わずマモンに唾を飛ばした。マモンは弱弱しく微笑みながら、右手でアムドゥキアスの頬を、左手でアスモデウスの頬を触れる。


「アム、アス。本当にごめんなさい。僕が生きていると、悪魔マモンも消滅しないのです。悪魔マモンは本当に残酷なやつでね。魔族や魔物を見ると、すぐに金に換えようとする。なんせ強欲の悪魔だ。今だって、親友であるはずの君達が、純金の塊にしか見えない。今の僕はテネブリスにとって害にしかならない存在なんです。いつ悪魔の衝動に駆られて君達を裏切ることになるのか怯えて暮らすのはこりごりだ」

「だが、しかし!!」

「僕は死を望んでいる。僕の中に住み着いているこいつを連れて行く。そうエレナ様にも伝えてください。あの子は、きっと僕の死を自分のせいだと泣く子だから……」


 マモンの頬にアムドゥキアスとアスモデウスの涙の雨が落ちてくる。びっしょりと濡れながら、マモンは照れ臭そうに微笑んだ。


「二人ともありがとう。それと陛下にもありがとうと伝えてください。この城の全ての魔族達と、僕の大切な友人であるエレナ様にも……ね」


 ──テネブリスに、幸あれ。


 その言葉を最期に、マモンの手は力なく地面に落ちていった。

 城の中庭に竜人兄弟の悲鳴が響く。マモンはそんな悲鳴の中、それはそれは幸せそうに──息を引き取ったのである──。

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