第100話 消えたサラマンダー

「サテイ、久しぶりだね。ふふ、そんな幽霊を見るような目を向けないでくれるかな」

「トゥエル、兄さん……!」

「サテイぃ! てめぇしばらく見ねぇうちに随分でっかくなってんじゃねぇか!」

「レブン、兄さんも……っ!」

「サラマンダー、どういうこと? ノームの他に兄弟がいるの?」

「っ、」


 サラマンダーからの返事はなかった。彼はただ顔を真っ青にして震えている。エレナは冷静に瓜二つの青年達を観察した。サラマンダーの反応を見るに、目つきと口調が悪い方がレブン、そうでない方がトゥエルという名のようだ。また彼らはどういうわけかサラマンダーを“サテイ”と呼んでいるらしい。


「サテイ、君を迎えに来たんだ。まさか君、僕ら兄弟を自分だけのうのうと生きるつもりじゃあないよね?」

「っ……!!」

「兄弟だけじゃねぇ。俺らだってベルフェゴールがいなかったら死んでたんだ。その落とし前、つけてくれるよな? サテイ?」

「…………、」


 サラマンダーが青い顔のまま、一歩また一歩と彼らに近づいていく。すぐにエレナがそれを止めた。突然現れた謎の青年達は恐らくサラマンダーの過去に深く絡みついているのだろう。それがなんなのかはわからないが、止めなければいけない気がした。


「サラマンダー、ダメ! 行かないで!」

「おいおいサテイ、その女誰だよ。まさか、お前の恋人かぁ!?」

「っ、違う!! こいつは、関係ない……! こいつにだけは手を出させない!」


 青年達の視線がエレナに向けられた途端、サラマンダーは彼女を己の背に追いやって目の色を変える。そんな彼にレブンとトゥエルは顔を見合わせ──ニヤリと口角を上げた。瞬間、エレナの視界からサラマンダーが消える。気づけば目つきの悪いレブンがエレナの目の前にいた。まさかと思い彼の足元を見れば、サラマンダーの頭部が彼にぐりぐりと踏みつけられているではないか。


「サテイ、兄貴に対しての口がなってねぇんじゃねぇか? お前はそうやって地面に頭擦り付けて俺らに謝り続けるのが筋だろうよ!」

「が……っ、くっ、」

「サラマンダー!? ちょっとサラマンダーから離れてください!」


 するとレブンの目玉がエレナにぐるんと向けられる。彼は強引にエレナの手首を掴み、口角を上げた。値踏みするように彼女をまじまじと見つめる。


「よぉ、女。お前、名前は? へぇ、サテイはこんなのが好みなのか」

「っ、いたっ……! やめて、離して!」

「っ!! おい! エレナに、触るな──!」


 サラマンダーがレブンの足下から叫んだその時だ。レブンの腕を何かが掴んだ。ぎりっとレブンの腕に痛みが走る。……と、彼とエレナの間に巨大な影が現れ、二人の間を切り裂いた。


「我が娘に、触るな」

「パパ!」


 エレナが安堵して微笑む。すると同時に現れたノームがエレナの腕を引き、己の方へ引き寄せた。「大丈夫か?」と顔を覗き込んでくる彼にエレナは頷く。異変に気付いた魔族達がゾロゾロと大広間から顔を覗かせた。バルコニーの柵の上に器用に立っていたベルフェゴールが静かにベルコニーへ降りる。そしてその魔族達に潜んでいる──ベルゼブブに視線を向けていた。


「おやおやベルゼブブ。可愛らしいご兄弟ができたようで何よりですねぇ。今度は、欲望のままに齧り付いてはいけませんよ?」


 ベルゼブブの腕にしがみついているリリィが不安そうにベルゼブブを見上げる。ベルゼブブはそんなリリィの頭を優しく一撫でし、ベルフェゴールを睨みつけた。


「ベルフェゴール。てめぇが何を企んでいるのかは知らねぇし知ったこっちゃねぇ。だがな、一応俺っちはこのテネブリスに色々と世話になってるじゃん。遠慮なくてめぇに牙を向くじゃんよ」

「ふふ、やはり前世の記憶なんて思い出すべきものじゃないですよねぇ。貴方も私も、ね……。それはそれとして、私達も時間がないのでね。レブンさん、トゥエルさん、さっさとサラマンダーを回収してください。早くしないとせっかく見つけたも無駄になってしまう」

「あぁ、分かってる。……サテイ、お前がもし俺達兄弟に本当に償いたいと思っているのなら俺達と来い。俺とトゥエルの為にその命を燃やしやがれ」

「!!」


 サラマンダーが息を飲む。レブンの言葉の意図が分からないエレナとノームはサラマンダーの後ろ姿を見た。サラマンダーの足が再び彼らの元へと動いていく。その後ろ姿を逃したらなんだかエレナはもう二度と彼に会えないような気がした。エレナと同じ気持ちだったのかノームがすかさずサラマンダーの腕を掴む。


「サラマンダー! 事情は後で聞くからひとまず待つんだ! あんな得体のしれない奴らの所へ行くことは余が許さない!」

「そ、そうだよサラマンダー! 行かないで、お願い……!!」


 二人の言葉にサラマンダーの動きがピタリと止まった。そして微ゆっくり振り向く。月の光に照らされた彼の顔はらしくもなく今にも泣きそうに歪められていた。


「悪い兄上、エレナ。俺は行かなくちゃならない。何があってもな。……二人には話せなかったが、俺は彼らの言う通り大罪を犯してしまっている。罪は、償わなければいけない。俺の命を懸けてでも……」

「サラマンダーに何かあったのかはわからないけど、それは本当に貴方一人で背負わないといけないの? 私達も一緒にっ、」

「エレナ。俺はお前に色々と救われた。有難う。兄上。……酒、美味かった」

「っ!! おい、サラマンダー!!」


 サラマンダーは今度は振り向かなかった。ノームの手を強引に振り切って、レブンとトゥエルの下へ行く。トゥエルは嬉しそうにサラマンダーを抱きしめた。


「そうだよサテイ。君は罪を償わないとね。じゃあ行こうか」

「……あぁ、トゥエル、兄さん……」

「サラマンダー待て!! サラマンダー!!!」


 不自然な黒い霧がサラマンダー、トゥエル、レブンを覆い隠す。そして彼らは闇の中へ消えていった。残ったベルフェゴールがクスリと口角を上げる。


「安心してください。もう二度と彼に会えないわけではない。サラマンダーは明日きちんとお返ししますよ。……まぁ、その時の彼が姿、」

「っ、貴様ぁ!! 余の弟を返せ!!」


 ノームがベルフェゴールに剣を振るが、あっさりと躱され彼はベルコニーを飛び去ってしまった。魔王がすぐに影お化けを使って彼を追うように指示する。一方でエレナは最後に見たサラマンダーの表情が忘れられなかった。先ほどまでは本当に嬉しそうに笑っていたのに、一瞬であんな悲しい顔をしてしまうほどの何かを彼は背負っているらしい。何もできなかった自分に唇を噛み締める。


 楽しかったはずの夜が、最悪な形として幕を下ろしてしまった──。

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