第30話 バンシーが泣いたとき


「──冥界の入り口は大陸の最北の山ネクロポリスにあると言われています。死者の国とも呼ばれているネクロポリスは歩く死者アンデッド生きた骸骨スケルトンの生息地であり、数多の頭蓋骨が丘に埋められている光景はそれはもう恐ろしいのだとか」

「ふーん、冥界なのに地上からの入り口があるなんて変なの。あ、でも冥界の主のハーデス様にはちょっと会ってみたいかも。この本の挿絵みたいに美形なのかな」

「そうですね。エレナ様のお転婆ぶりには、かの冥界の主も呆れ果てるかと」

「むっ。マモン、ちょっとそれどういう意味!?」


 マモンの冗談にエレナは頬を膨らませた。マモンはそんなエレナにクスクス笑うと、機嫌をとるように頭を撫でる。


「はい、今日の授業はここまでですね。明日は竜医学と魔花学の勉強でもしましょうか。使う資料はここに置いていきますから、軽く読んでいてくださいね」

「はーい」


 マモンが部屋を去った後、エレナは何気なくベッドで寝転ぶ。ベッドの脇にはエレナが半月前にノームからもらった不思議な薔薇の髪飾りが置かれていた。この髪飾りはどういう原理かは分からないが、不規則に様々な色に変わる。今は暗い紺色に染まっていた。それを見てエレナはため息を溢す。エレナの胸でルーもこてんと寝転んだ。


(……最近、ノームに会っていないなぁ)


 テネバ―サリーから半月、あれほど毎日のようにテネブリスを訪れていたノームがぱったりと来なくなった。王太子にも色々あるのだろう。そもそも、今まであれほど頻繁に会えたことがおかしいのだ。エレナはそう思い込むことにした。……が、どこか心に穴が空いたような、そんな感じだ。


「なんだか、寂しいなぁ。ノーム、何かあったのかな……」

「きゅーう? きゅ! きゅきゅ!」

「あはは、『私がいるから寂しくないよ』って? ありがとう、ルー」


 ルーの励ましにエレナは笑った。そうして気を紛らわせるようにマモンが置いていった本を手に取る。小さな文字がズラリと並ぶその本のページに、普段よりやる気の出ないエレナが眠気を感じ始めるまでそう時間はかからなかった……。


 ──。

 ───。

 ────。


「……っ、う、ううっ、お、起きてください、起きてくださいエレナ様ぁ……っ、」

「……。……っ、?」


 ──それから、一時間程経った頃だろうか。

 エレナの耳に突然女性の嗚咽が聞こえてきた。ゆさゆさと身体を揺らされ、エレナは目覚める。そうすると目の前には漆黒の長髪で顔を覆い隠す女性。その髪の隙間から覗く瞳はどこか不気味である。エレナは思わずベッドの上で驚き、飛び跳ねたが、すぐにその女性が知り合いであることに気づいた。


「バンシーさん? どうしたの?!」


 そう、死の妖精バンシー。バンシーは人間の死を知らせる妖精で、とにかく人間の死を目にすると号泣する特徴がある。そんなバンシーがどういうわけかエレナの部屋にいるのだ。バンシーの背中を撫でながら、嗚咽を止めない彼女を慰める。


「だ、大丈夫……? どうしてそんなに……」

「わた、私……、エレナ様に、お伝えしなくては、ひくっ、ならないことが、あって、うぅっ、っぅ……」


 嗚咽まじりの彼女にエレナは嫌な予感がした。彼女が泣いているということはおそらくなのだろう。すると、バンシーがエレナを見上げる。


「え、エレナ様は、シュトラール王国の王太子、ノーム・ブルー・バレンティア様と交友関係があるのですよね……?」

「! どうしてここでノームの名前が……!? まさか!!」


 エレナはバンシーの両肩をひっつかむ。ぞわっと全身が冷えた心地だった。そんなエレナの予感を確信させるように、バンシーがさらに泣きじゃくる。


「ば、バンシーさん、教えて。ノームに、何があったの……?」

「うぅっ。えぇ、教えますとも。つい昨晩、シュトラール王国正妃──ペルセネ王妃が、お亡くなりになったのです……!!」

「ペルセネ王妃って……ノームのお母様!?」


 エレナは唖然とする。同時にノームの心中を想像し、胸が酷く痛んだ。


「ここ二週間、ペルセネ王妃の容態が明らかに酷くなっており、昨晩力尽きてしまわれたのです。王妃の御遺体に鳴き縋るノーム様を見ておりますとそれはそれは胸が張り裂けそうで……。ノーム様はエレナ様のご友人だとお聞きしておりましたので、こうして急いでエレナ様のお部屋に参ったわけでございます」

「そう。ノームが……っ、」


 ノームが頻繁にテネブリスを訪れていた時、ペルセネの体調は比較的良好だと彼は語っていた。だというのにあまりにも突然過ぎる出来事だとエレナは思った。今、唯一の心の支えであった母親に取り残されたノームは、一体どんな気持ちなのだろう。

 ……と、ここで、バンシーがふと気になる事を口にする。


「嗚呼、寿、ノーム様も今より苦しまずに済んだかもしれませんのに……」

「!」


(ペルセネ王妃の死因は病気ではない? そういえばノームも、やけにそこ辺りを濁していたような……)


「どういうこと、バンシーさん。ペルセネ王妃は病気ではないの?」

「! ご存じなかったのですか、エレナ様。ペルセネ王妃はハーデス様の呪いに掛かっておられたのですよ。幼い頃、冥界の主ハーデス様に見初められた彼女は日に日にその生気を吸われ続けていたらしいのです。その証拠にペルセネ王妃の身体にはハーデス様の象徴である髑髏の痣があり、王妃は毎晩ハーデス様の名前を呼んで魘されていたようです。また、ペルセネ王妃の夫であるヘリオス王の前に恨めしげなハーデス様の幻影が現れたこともあるようで、ヘリオス王がペルセネ王妃を避ける一因になっていたとか」

「ちょ、ちょっと待ってよ。それってつまり、ペルセネ王妃の死因は冥界の主に執着されていた故の運命ってこと!?」


 冥界の主、ハーデス。エレナはつい先程マモンから習ったばかりの名前に両眉を吊り上げた。思わず今日の授業で取り扱った本のページを捲る。そこに描かれていたハーデスの挿絵を恨めし気に睨みつけ、くしゃりと潰した。


(病気とか寿命だったら自然なことだろう。でも、呪いそれはおかしいでしょう! 冥界の主に見初められたから死ぬだなんて……! そんな自分勝手でアホらしい呪いでペルセネ王妃とノームを振り回すなんて……っ! 人間の死をなんだと思っているの……っ!!!)


 エレナはぎりっと音がなるほど歯を食いしばる。そうして、バンシーの手を取った。


「バンシーさん、お願い。シュトラール王国まで案内して!」

「っ!? えっ!? え、エレナ様!? 何をなさるおつもりですか?」

「決まってる! 今、ノームは苦しんでる。友達が苦しんでいるのだから、傍にいてあげないと! それに──」


 エレナはそこでを口にする。それを聞いたバンシーは思わず泡を吹いて卒倒しそうになった──。

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