第29話 エレナの初めてのテネバ―サリー【後編】

 エレナは突然現れた魔王に思わず抱き付いた。


「パパ! どうしてここに!? わざわざ来なくても私からケーキを配りに行ったのに!」

「うむ。ちょっとでな。お前が、ノームとやけに仲がいいと……いや、なんでもない」


 魔王はわざとらしく咳をすると、エレナにある物を渡す。大きな葉の包み。エレナは魔王を見上げた。魔王は少しだけ顔を逸らし、「ハッピーテネバ―サリー」と小さく呟く。


「大切な者にプレゼントをする日なのだろう、今日は。ならば、父であるわたしがお前にプレゼントをするのは当然だ」

「ぱ、パパぁ……! わ、私もプレゼントあるの! 皆に配ったのはアドっさんと一緒に作ったケーキなんだけど、パパにあげるやつは私一人で作ったケーキだから!!」

「!?」


 エレナがにっと笑って祝いの合言葉と共に魔王にケーキを渡した。魔王はピタリと固まったまま、次第にブルブル震えてエレナのケーキを受け取る。


「……有難うエレナ。何かをもらうという行為はこれほどまでに嬉しいものなのだな。このケーキは部屋に大切に飾るとしよう」

「いや食べていいんだよ!?」


 ケーキを大切そうに両手で持つ魔王にエレナはツッコんだ。するとマモンが魔王を肘でつつき、ノームにウインクする。ノームはそんなマモンにハッとした。


「さて、陛下。そろそろ帰りましょう。エレナ様は今、といらっしゃるのですから」

「!? え、エレナも一緒に転移魔法で……」

「駄目です! ほら、帰りますよ陛下!」

「ぬぅ。……ふっ」

「!!!」


 ノームは魔王の視線を感じ、唾を飲み込む。魔王がエレナのケーキをノームに見せつけるように掲げ、鼻で笑ったのだ。その時、ノームには分かった。その行為には『我はエレナ手作りのケーキをもらいましたけど?』的なメッセージが込められていることに! そうして、魔王は勝ち誇った態度でその場を去る。しん、と辺りが静かになった。そんなやりとりに一切気付かないエレナは近くの岩場に座ると、魔王からもらったプレゼントを開封する。


「わっ。これ、頭を守る防具ヘルメットね! レイに乗る時、いつも頭に何か被れって怒られるからなぁ。見て見てノーム、似合うかな?」

「……あぁ、とっても」


 何かの骨で出来た固い材質で構成されているヘルメットはエレナの頭部をしっかり覆っていた。おそらく並大抵の衝撃では砕けたりしないだろう。魔王のことなので固さを強化する魔法も付与しているかもしれない。

 ……と、ここでノームは己の腰の小さな重みに知らないフリをすることにした。ノームが今からしようとする行為は、大好きな父のプレゼントではしゃいでいるエレナの水を差すものだと考えたからだ。


 ──しかし。


「──はい、ノーム」

「! こ、これは……」


 少し遠くで人魚達がわいわい騒いでいる声が小さく聞こえる。それよりも鼓動が大きくなった。エレナから手渡されたのは、少しだけ不格好なカップケーキ。己の手にちょこんと乗るそれにノームは釘づけだ。


「今日一日、ノームには付き合ってもらったからね。そのお礼。ノームのおかげでとても楽しい一日を送れたよ、ありがとう」

「そ、それはこちらの台詞だ! いや、それより……え、エレナ! これはもしや、お、お前の……その……お前一人の……て、手作り、なのだろう、か……」


 どんどん声が小さくなるノームにエレナは不思議そうな顔をする。


「うん、そうだけど。嫌だったかな」

「いいや、そんなことはない! むしろ嬉しい! 有難う! 一口一口大切に味わうぞ!!」

「え、う、うん」


 やけに興奮しているノームにエレナは首を傾げた。ノームはにんまりして夜空にカップケーキを掲げ、己の勝利を表現する。そんな彼にエレナは「疲れているのかな」と少し心配した。

 するとその時、はしゃぐノームの腰から何かが落ちる。


「あれ、ノーム。何か落ちたよ」

「!? あ、そ、それは、」

「これって……髪飾り?」


 巾着袋から地面に投げ出された髪飾りをエレナは拾う。白い薔薇をモチーフにしたそれは月の灯りに照らされて、とても綺麗だった。ノームは口をパクパクさせて、俯く。エレナはそんなノームに髪飾りを返した。


「ほらノーム。ちゃんと持っていないと」

「いや、これは……、その、……に……」

「ん? 聞こえないよ」

「だから!! お、お前に!! あげるつもりで用意していたんだ。今日は、大切な人にプレゼントを贈る日だと聞いたからな……。カップケーキももらったし、余も何かを渡さなければ気が済まない」


 ノームの前髪が海風で揺れる。ノームはエレナの手に髪飾りを押し付けた。エレナはノームと髪飾りを交互に見る。


「お、お前はもう、魔王殿からプレゼントをもらっているというのに水を差してすまない。だが、よかったら……余のプレゼントも、その……」

「本当にもらっていいの?」

「あ、あぁ!」


 ノームはぎゅっと目を瞑った。「いらない」と投げ捨てられたらどうしようと冷や汗が垂れる。彼は過去、父に己が贈ったプレゼントを投げ捨てられたことがある。それ以来、誰かに物を贈るということが苦手になっていたのだ。


「──プレゼントなんていくらもらっても嬉しいに決まってるよ。有難う、大切にするね」

「っ!」


 エレナが照れくさそうに微笑み、髪飾りを胸に抱きしめる。ノームは顔を中心とする頭部に熱が集まるのを感じた。そうすると、不意に髪飾りの色が白から淡い桃色へ変色するではないか。エレナが目を丸くする。


「え、えぇ?! これってもしかして魔花!? ピンク色になったよ!? どういうこと!?」

「!? いや、これは……その、だな……」


 途端にノームの頬もさらに桃色に色づいた。我慢できないとばかりに髪飾りから目を逸らす。ノームは頭を抱えた。


 ──言えない。言えるわけがない。

 ──その髪飾りが、


「ちょっとノーム! なんで顔を逸らすの! ちゃんと見て! 目を逸らさない!」


 ぐいぐいとエレナに髪飾りを見せつけられるノーム。そんな彼女の言動は別の意味でノームの心に響いていた。髪飾りの桃色が、己の初恋の芽吹きを知らせるものだという事実から目を逸らすなと言われているようで、さらに身体が熱くなる。


「ノーム!? ちょ、なんで逃げるの!?」

「し、しばらく、独りにしてくれ……!」


 顔を真っ赤にして、距離を取ろうとするノームにエレナは訳が分からないと眉を顰めるだけだ。その肩ではいつの間にか宝石から出てきたルーがやれやれとため息を溢す。仕方ないのでノームが落ち着くまで、ひとまずその場に佇むことにしたエレナは夜空を見上げた。


「綺麗な星空だね、ルー。今日もいい一日だった」

「きゅーう!」




 ──しかしこの時、エレナとノームは知らなかった。

 ──数日後、ノームの心が粉々に砕かれるような大きな悲劇がやってくることを……。

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