第3話 子どもばかりの家

 ワグステン本土からサースエストに移り住んできた子ども達の暮らす場所がある。

 下は8歳から上は17歳まで、諸々の理由で本土から渡ってきた彼らは、各々部屋を与えられ、場合によっては年長者と相部屋になって寝起きしていた。

 1階は食堂や談話室、浴室などの共用の空間で、2階と3階がそれぞれの居室となり、手洗い場は各階にあった。

 彼らの食事や身の周りの世話をする大人はいたが、監督者はいなかった。 

 それはとてもサースエストらしいことだったが、子ども達のほとんどはそのことに気付かぬまま、この街の暮らしに馴染んでいった。


   *


「ゆうべはいつ帰ってきたんだ?」

 洗面所で顔を洗っていたアリナは、背後からの声に振り返った。顔から両手から、水滴がぼたぼたと落ちた。

 声をかけた方の少年──カインは、あきれた顔でアリナにタオルを押し付けた。

「昨日はディナおばさんのところで晩御飯をご馳走になったから……8時半くらい?」

 そうか、と応えて、カインは隣の洗面台で顔を洗う。

「また迷子にでもなってたのかと思った」

 そう言ってカインはアリナの手からタオルを取り上げた。アリナは口を尖らせる。

「もう迷子なんてならないもん!」

「どうだか」

 見下ろしてくるカインの目線はアリナよりずっと上にあった。もうすぐ16歳になるカインと、まだ11歳のアリナの身長差は大きかった。

「カインだって、私が夜中にトイレに起きたときまだ部屋に明かりがついてたでしょ。夜更かしばっかりして」

「勉強してたんだよ」

 言いながら、カインは階下への階段に向かう。アリナは小走りでそれを追いかけた。

「お前も外ばっかり駆けずり回ってないで、もっと勉強した方がいいぞ」

「してるもん、スーザ先生に教えてもらってるもん」

「自分の名前くらい書けるようになったのか?」

 アリナは頬を膨らませる。ここに来たばかりの頃のアリナは、一切の読み書きができなかった。

「カインはなんでそんなに勉強ばかりするの?」

 食堂はすでに美味しそうな匂いで満ちていた。アリナはカインを横目に見ながら、布巾を取ってテーブルを拭き始める。

「医者になりたいんだって言っただろ」

「お医者さんのカインなんて想像できない」

「合うとか合わないとかじゃないんだ。それぐらいの仕事に就かないと、本土に戻ったときにやっていけない」

 アリナはぽかっと口を開けた。その手から落ちた布巾を、カインが拾い上げる。

「カインは本土に戻りたいの?」

 前のめりになってアリナは訊いた。

「戻りたいわけじゃないけど、戻らなきゃいけないかもしれないだろ」

 アリナは眉を下げて、悲しいような困ったような顔をした。カインはそれを見て、視線を外す。

「そもそも来たくて来たわけじゃないだろ、お前だって」

「カインはここが好きじゃないの?」

「そういう問題じゃない──」

 言いかけたカインの言葉は、スープ鍋に遮られた。

「朝から兄妹ゲンカ?」

 ジョゼが目許で笑いながら、抱えていたスープ鍋をテーブルの上に置いた。

「こんなのが妹なわけないだろ」

「そうだよ、全然似てないよ!」

 反論する二人にジョゼはますます笑う。カインは黒髪に黒い瞳だが、アリナは赤毛で目の色は明るい茶色だった。

「確かに似てはいないけどね。朝食前にケンカするもんじゃないよ。余計お腹が空いて損するってもんさ」

 ジョゼの言葉に二人は口を結んだ。ジョゼはこの家だけでなく、この辺りの子どもやお年寄りや、時には病人の食事の世話をして回る女性だ。人の面倒を見るのがうまく、仲裁に入るのも得意だった。

「ほら、朝から元気なようだから、アリナはみんなにスープを注いでやって。カインも手が空いてるなら、手伝ってくれると早くご飯にありつけるよ」

 カインは無言で立ち上がって、厨房に向かう。それを見送って、ジョゼは首を傾けながらアリナを見た。

「似てはいないけど、仲が良くてうらやましいね」

「えぇ? 仲良くはないよ」

「仲が良くなかったらあんなにしゃべらないよ。カインはいつも挨拶ぐらいしかしてくれない」

「勉強ばっかりしてる変な子だもん」

「アリナもがんばってるでしょ」

 言いながら、ジョゼは皿を並べていく。

「何だっけ、旧城のお姫様の本が読みたいんだっけ」

「うん……でもまだ全然。文字はちょっと読めるようになったけど……」

 ほんとにちょっとだけ、と、アリナはため息をついた。

「そりゃ、いきなりは難しいよ。カインだって生まれたときから本が読めたわけじゃないんだから」

「ジョゼは? ジョゼが私ぐらいの頃にはもう本が読めた?」

「難しくない本ならね。自慢になるようなもんじゃないよ」

 アリナは腑に落ちない顔をして、スープ鍋をかき混ぜた。ジョゼは苦笑する。

「配達人のアリナさんは、地図を覚えて、お客の顔と名前も覚えて、その上読み書きまで覚えようっていうんだから、大したもんだよ。読み書きのところだけ私やカインと比べてどうしようっていうの?」

 アリナは目をぱちぱちと瞬いて、それからどこか決まりが悪そうに微笑んだ。

「うん……ありがとう、ジョゼ」

 どういたしまして、とジョゼは笑って、エプロンを翻しながら厨房へ戻っていった。







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