第484話 パン選びの基準
俺はこう見えて、パンに関しては驚くべきクレバーさを持っている。だから自分が食べるパンを選ぶ基準と、他人様にプレゼントするパンを選ぶ基準とは全然別物だ。
もしこれを人に話したら驚かれるだろうけど、自分が食べるパンを選ぶ上では本能的な選出を一切しない。『なんとなく今日はメロンパンの気分だからメロンパンを買おう』とか『コロッケパンにしようかと思ってたけどカレーに匂いにつられてカレーパンにしちゃった』みたいな事はまずもって皆無と言っておきたい。誰にともなくだ。
俺は常に沈着冷静にローテーションを考えている。それも週単位じゃないぞ。月単位でもない。年単位だ。一年間で食べるパンの種類を出来るだけ均一にする。そういうモチベーションで選ぶ事が多い。
自分の住む近所のパン屋の全てのパンを種類分けした場合、生前はまあ100種類くらいだっただろう。勿論そこにはスーパーやコンビニで売っているパンも含まれる。ただしこれはあくまで大枠だ。焼きそばパンと塩焼きそばパンは同一の種類としてカウント。ハムチーズパンとチーズクリームパンは別カウント。この違いはパン好きならわかってくれるだろう。
で、その大枠100種をできるだけ均等に食べたい訳だ。
1年間で食すパンの数は、まあ大体1500個くらいだ。だから各種類を1年間で15個食べるイメージ。ただしこれを厳密に管理する訳じゃない。過去に食べたパンとその日付を家計簿やエクセルに記録するとか、そんな野暮な真似はしない。100%確実じゃなくても、ある程度記憶できていればそれで良い。別に蒸しパンを年間16個食べても全然問題ない。そこに緻密な拘りは不要。大体均一であればそれで良いんだ。
で、この世界に転移してきてからというものの俺のパンライフは大分様変わりしていて、城下町だけのパン屋で流石に100種類はない。甘いパンは果実系にかなり偏っているし、調理パンは干し肉と葉物のセットが多め。パンの具材自体が生前の世界ほど豊富じゃないから、種類はどうしても少なめになってしまう。
そういう事情もあって、選考基準についてはちょっと再考中だ。種類で分けるより味の濃度などで区分けした方が良いかもしれない。
以上が俺自身のパン選びの基準だけど、他者にパンをあげる時は全く違う選び方になる。ここは割とフィーリングというかセンスというか、そういうのを大事にする。
勿論、相手がどういうパンを好きか、そもそもパンを好んで食べているか等の嗜好に関しては最大限考慮する。パンを嫌いな人に自分の好みを押しつけても意味がない。
ただ、好きだとわかっているパンを送るのもだ、パン好きとしては余りに味気ない行為だろう? そんなの別に誰だってできるんだ。俺のセンスが反映されない事には俺が贈る意味がない。
そりゃ貰う方は自分の好みのパンを貰えれば普通に嬉しいだろうし喜んで食べるさ。でも自分で買った訳じゃない、タダで貰えるパンだからこそ普段進んで食べないパンであって欲しい、その方がちょっとお得感もあるって気持ちも、心の何処かにあるだろ? あるんだよ。あるの。
自分で金出して買う場合は、そうそうチャレンジはできない。自分にとってクソマズいパンを選んでしまったら最悪だ。単に金の無駄ってだけじゃなく、それを食わなきゃならない。躊躇なく捨てられるような奴もいるかもしれないけど、大抵の人は買った以上は食べるだろう。腹も減るしな。つまり二重の苦しみを味わうリスクがある。
でも他人から買って貰う場合はその限りじゃない。仮に不味くても損はしない。寧ろ『このパンは自分好みじゃない』という情報を無料で入手できる。日頃中々出来ない事だ。
だからこそ俺は、そういう好奇心を満たしてあげたいと考える訳だよ。明らかに食べなさそうな、それでいて好みから大きく外れていなさそうな絶妙な未開拓パンをプレゼントする。それがベストな選択だ。
「……隊長?」
「わかってる。何も心配はいらない。今ちゃんと選んでる」
「なんで戦ってる時よりギラついた目してるの」
だまって………いてくれ。今考えている…
あげるのはアヤメルに対してだ。でもまずそれを受け取るシキさんの好みにもある程度合致していないと、プレゼントとして渡す気にはならないだろう。自分が『うぇっ』って思う物を他人に贈るのは気が進まない。それが人間の正常な心理だ。
シキさんには以前、誕生日にパンを贈ってみた。まあ不評でしたよ。それは勿論、パンそのものじゃなく誕生日に質素な食い物を贈ったミスマッチと事務的な感じが良くなかった訳だけど、同時にそれがシキさんにとって忌まわしき記憶になってしまった可能性が高い。当時贈ったトリニティパン(ジュエルシロップ/ガランジェジャム/濃厚クリームのキーフコ)はやめておくべきだろうな。
その上で、シキさんが納得し、かつアヤメルが食った事なさそうで好みから大きく外れていないパン。フフ……いやぁ中々、中々骨のある挑戦でございますな。
アヤメルは上昇志向が強く、抑圧的な言動をしてくる年上や格上に対しても物怖じせず噛み付ける気概を持ったファイターだ。同時にかなりの自信家でもある。あいつなら凡庸な人気パンよりもチャレンジングなチョイスを好むだろう。
この世界のパンは基本的な部分では生前と大きくは変わらない。パンの魅力を左右するのはあくまで生地で、その生地とスプレッドや具材との相性によってパン全体の味と香りをどう構成するか、その全体像の完成度を第一に考えて作られている。
だからバランスが崩壊しているような変なパンは基本売っていない。
けど中には大胆な組み合わせのパンもある。元いた世界ではまずあり得なかった『液体調味料にヒタヒタになるまで浸したパン』や『魚の煮付けみたいなのを乗っけたパン』なんて物を売っている所もあった。
こういった変わり種やゲテモノはお店の個性が出るし、チャレンジしていく事で新たな定番が生まれると考えると、例えどんなに変なパンであっても存在意義がないとは言えない。この辺は暗黒武器とも共通するところだ。
とはいえ、職人の嗜好や思想ばかりが前に出すぎて未来が見えないパンも残念ながら存在する。勿論、そんなパンに対して異を唱える無粋な真似はしない。そっとその場を去るのみだ。
この雑貨屋はパン屋じゃないのにパンを大事にしている。パンそのものだけじゃなくお客や店全体の雰囲気の事もしっかり考えてある。そんな破綻したパンは置いていない――――
「……おぉう」
なんと!
王道のパンに囲まれて一つスッゴいのがあるじゃないですか。
薄く伸ばしたパンの上に目玉がゴロンゴロン置いてあるぞ……一瞬なんだかわからなかった。
といっても本物の目玉じゃない。そりゃそうだ。例え人間のじゃなくても本物の目玉が乗ったパンなんて置いてたらグロすぎて軽く死ねますよ。グロいの嫌なんだよ俺。仮に俺以外にも別の俺がいて、別の世界線で生きているとしても、きっと同じようにグロいのはダメな筈。それくらい俺に根深く息づいた嗜好だ。
とはいえ、割とリアルなんだよな……
団子みたいな白い球体で、真ん中が黒い。白い部分が濁ってるのがポイントなんだよ。ここがハッキリとした白なら不気味さはないんだけど。これ原料何なんだ?
……。
「シキさん。これ良いんじゃない?」
「どれ?」
「これこれ」
「…………ひっ」
おっ、息呑んだ。シキさんも苦手なんだなこういうの。
「ちょっと何考えてんの? バカじゃないの?」
必死に声を抑えてはいるものの声自体が震えているから感情は丸わかり。露骨に取り繕いながらビシビシふくらはぎを膝で蹴ってくる。良いリアクションだなー。なんか満たされるね色々と。
「いや冗談抜きでアヤメルってこういうの喜びそうじゃない? 『へぇこれ面白いですね。なんか猟奇的ですね。っていうか芸術的ですよね。大人の嗜みって感じで私こういうのに理解あるんですよね』とか言いそうじゃない?」
「言う訳ないでしょ。おかしいんじゃないの隊長」
そうかな……アヤメルってそんな奴だと思うんだけど。俺の解像度が低いのか?
「だったらこっちのメドリージェなんか良いんじゃない。濃厚な味わいだし舌触りも良いから女性人気高いよ」
「さっきのと全然違うじゃん……でもこれ良いね。私も食べてみたいかも」
「じゃ自分達用にも買っておこっか。それと、こっちのリーフィアテンダもサクッとした歯応えで……」
その後、暫くの間シキさん相手にパンについて語り続けた。
シキさんは時折ジト目で呆れていたけど、飽きるような様子はなく俺の話をちゃんと聞いてくれていた。
――――ふと思う。
もしかして俺は、こんな時間をずっと欲していたんじゃないかと。
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