第421話 虚無の世界

 シキさんが……酔ってる?


「は? 酔ったまま温泉に入るバカがいる訳ないじゃん」


「ん~……でも目がトローンってしてね?」


「してますね。顔も赤いようです」


「でも温泉に入ってるんだから顔の血流が良くなるのは普通じゃないかしら。一応呂律も回ってるし」


「ですね。酔ってるならもっとふにゃら~ってしますよね」


 女性陣の間でも見解が分かれている。ヤメとオネットさんは酔っていると判断し、フレンデリアとアヤメルは酔っていないという見解らしい。


 つーか、そんな話になる時点で困惑しかないんだけど。確かに昨夜は泥酔してたけど、さっきのシキさんは二日酔いとはいえ明らかに素面だった。


 じゃあその後……つまり俺がこの状態になった後に飲んだってのか? それもあり得ない話だ。既にこのミーナで異常事態が起こっているのを知っているシキさんが酒を飲むとは考えられない。


 ここに来て夢の可能性が急浮上してきた。夢なら何でもアリだからな。理屈なんて一切通用しない。


 それに、もし夢ならシキさんのさっきの発言も納得できなくもない。


 交易祭の舞台のストーリーを考えるにあたって、生前に見聞きした恋愛モノの記憶をメチャクチャ呼び起こしてたからな俺。少女漫画原作のドラマや映画には『そいつ、いらないなら俺が貰うから』みたいなセリフを主人公に言うイケメンがわんさか出てたし。その記憶が夢の中のシキさんにあの台詞を言わせたと考えれば辻褄は――――


 ……合うのか? 性別的には俺が言う側の筈なんだけどな。俺の心の奥底に少女漫画の主人公になってイケメンにチヤホヤされたいって願望があったとか……?


 まあ、あっても別に不思議じゃないか。


「あとはメンヘル先輩の一票で決まります。どっちですか?」


 いやなんで多数決で決めようとするんだよ。酔ってるかどうかは事前に酒飲んだかどうかが全てだろ。


「んー。私が知ってる酒飲みと比べると凄く冷静に見えます。酔ってる人ってもっと乱れませんか?」


 確かメンヘルが世話になってるチマメ組、夜はキスギルドとか言う訳わからん業態になってんだよな。そこで元娼婦の方々が夜のお仕事をしているらしいから、彼女達の乱れっぷりを参考にしているのかもしれない。


「けどなー、シキちゃんってこんな喋る人じゃないんよ。みんなも知ってるっしょ?」


「そうですね。私がギルドにいた頃は会話した事なかったです」


「言われてみれば、私がどれだけ一生懸命話し掛けても『そ。』とか『ん。』くらいしか返って来なかった気がします」


 だよな。俺もそういうイメージだ。シキさんってメンヘルみたいな変態もアヤメルみたいな元気っ子も極力絡もうとしないし。ヤメくらいグイグイいけば別だろうけど。


 ただ、俺の前でだけはああいう事をよく言うんだよな。だから気を許してくれてるって思ってたんだけど……実は俺と一対一で話す時は毎回少し酒入れてたとかだったらヤだな。


「あれだけ飲んだんですから、寝起きで残っていても不思議ではないです。私はもう綺麗サッパリ抜けましたから、後で飲み直すつもりですが」


 ……へ?


「まだ飲むの? 随分お酒が好きなのね。普段も旦那と毎晩飲んでるとか?」


「いえ。ほぼ一人ですが」


「あ……なんか御免なさい」


 フレンデリアがオネットさんの地雷を思いっきり踏んだけど今はそれどころじゃない。


 寝起き? それは流石におかしいだろ。俺が朝帰りした事に若干キレてたあの直後に寝る訳ない。昨日はお酒入ってグッスリ眠ってたし睡眠不足って事もないだろう。


 まさか、あの湯船のお湯に触れてから丸一日意識を失ってたとか? じゃあ今はもう翌朝……?


 いやいや、それもあり得ない。余りにも緊迫感がなさ過ぎる。


「何にしても、そろそろ上がりましょうか。あまり長風呂すると体力が奪われてしまうし。慰安旅行に来ておいて疲れるのは……割とあるあるだけど」


「ですよね! でも明日も万全で楽しみたいですし、今日はこの辺でお開きにしましょう!」


 ……明日も楽しみたい。


 今、アヤメルが確かにそう言った。つまり明日も旅行中って事だ。


 今回の慰安旅行は二泊三日。今日が俺の感覚通り二日目だとしたら、明日の朝には城下町に帰る予定だ。それなのに『明日も楽しむ』って変じゃないか?


 ここに来て、もう一つの可能性が浮上した。


 今、俺が聞いているこの会話は……昨日の出来事なのか?


 仮に夢ならそれでも不思議じゃない。夢なら何でもアリだ。


 だけど、もしも夢じゃないとしたら――――俺は過去の出来事を覗いている事になる。いわゆる過去視だ。


 勿論俺にそんな能力はないし、突然開花するような才能とも思えない。だとしたら要因はやっぱり……あのお湯に触れたからだと判断する以外にない。


「だから私は酔ってないってば」


「はいはい。シキちゃんはぜーんぜん酔ってない。だからヤメちゃんにしっかり掴まっててねー。ほら上がりますよー?」


「ドサクサに紛れてセクハラはダメです! それはサブマスターに相応しい行動ではありません!」


「ちぇーっ。オネっち先生かよ~」


「実質そのようなものね。このギルドもオネットがいてくれて助かったんじゃない? 出来ればもう少し監督責任を負える実力者を加入させたい所だけど。アヤメル、心当たりない?」


「はーい私です! 私なら1年あればこの締まりのないギルドをバキバキにしてみせます!」


「貴女は要らない」


「がーん」


 そんなフレンデリアとオネットのユルい会話を最後に、音声は途絶えた。


 もう何も音は聞こえて来ない。ただ温泉が見えるだけ。一応湯煙が動いているから静止画でない事はわかる。


 ……結局最後まで誰一人映りゃしねぇ!!


 余りにも生殺しが過ぎる。こっちは必死に煩悩抑えて情報収集と現状理解に努めたってのに、その見返りもなしかよ。酷ぇ現実だな。


 しかも女性陣が全員出て行った後も目覚めやしねぇ。やっぱ夢じゃねーわこれ。夢なら何かが起こった途中や一区切りついた所で目覚める筈だ。こんな何もない状態がずっと続く夢なんてない。


 って事は過去視でほぼ確定か。しかも自分がいなかった場所や時間、脳内には存在しない過去を見るタイプ。もしこれを能力として身に付けたら便利かもしれない。任意で見られればって条件付きだけど。でも神のお告げや白昼夢みたいに突然過去が見える体質ってのも、それはそれで厨二心を擽りやがるよな。


 恐らく能力として身に付くんじゃなくお湯に触れた事で生じた一時的な現象に過ぎないんだろうけど……ちょっと目覚めるのが楽しみになって来た。


 取り敢えず元に戻ったら、ヤメにさっきの会話について聞いてみよう。もし本当に昨日あんなやり取りがあったのなら過去視で確定。後はそれがパッシブスキルなのか任意で使用できるスキルなのか、それとも一時の現象なのかを確認しないとな。まあパッシブスキルなら二度目の発動を待つしかないんだけど。



 ……中々戻らないな。



 まあ良い。だったらこの時間を利用して考えを纏めよう。整理したい事は山ほどある。聖噴水の事件、ギルドの方向性、俺自身の今後……そんな事をあれこれ考えていれば気付かない内に戻ってるだろうさ。


 じゃ、何から始めようか――――













 ……一向に戻らない。


 どうしてだ? 全然戻る気配さえない。ずっと同じ視界。深夜に海外の風景をひたすら映し続ける環境番組だってもう少し動くよ?


 一体あれから何時間経過したんだ。いや何日か? 体感ではもう三日くらい経ってそうな気がする。考え事もとっくに尽きちゃったよ。


 ……いやマジでどうなってんの? 人が入ってくる気配すらなく、ずっと同じ光景のままって。それに食欲も湧かないし眠気も一切生じない。便意も催さない。人間の生理現象の全てが喪失している。


 定点カメラなんて半ばお遊びで表現していたけど……マジじゃん。もう無機物じゃん。


 まさか俺、ずっとこのまま? 石の中にいるパターン? うっかり無機物に入り込んじゃって永久に元に戻れなくなってる?


 嘘だろ。俺の第二の人生はここで終わり……? つーか終わらない? 永遠にこのまま? ずーっとここで定点カメラとして生きていかなきゃいけないの?





 ――トモは――


 二度と城下町へは戻れなかった…。


 定点カメラと生物の中間の生命体となり


 永遠に女湯を映し続けるのだ。


 そして 死にたいと思っても死ねないので


 ――そのうちトモは 考えるのをやめた。





 いやいやいや。ないない。そんな訳ない。


 これはアレだ。ある期間を強制的に過去視するってスキルに目覚めちゃったんだよ。特定のイベントシーンを見るタイプじゃなくて時間で区切るタイプ。だからこんなに尺が余ってんだ。そうに違いない。


 待ってれば必ず目が覚める。いつまでもこのままなんて訳がない。


 そりゃ世の中理不尽な出来事なんて幾らでもあって、一生の内何度かそういうのに遭遇して痛い目に遭うのは誰だって経験する事だ。俺だって既に幾度となく騒動に巻き込まれてる。


 でもその度に乗り越えてきた。今回だって同じだ。きっとそうだ。


 そうであってくれ……
































 ……なんでだよ。


 いつまでこのままなんだよ! おかしいだろ!


 まさかずっとこのままなのか? 何も変わらないのか? 永遠にこの状況が続くのか?


 嫌だ……そんなの嫌だ!


 最初は暇を持てあましつつ女性がカメラの範囲に入ってくるのを心待ちにしてたけど、そんな期待もとっくになくなってしまった。その内、感情の起伏もなくなって人間性も失われていく事になるだろう。


 そうなったら俺は……もう……


 ダメだダメだダメだ! 悪い方に考えるな。心が病んでしまう。この状況で思考すら濁ったらおしまいだ。 


 でも何も出来ない。身動き一つ取れず声もあげられないんじゃ助けすら呼べない。


 ……待てよ。精霊なら喚べるんじゃないか? いつもは声をあげて喚んでいるけど、肉声が絶対条件とも限らないし。


 試してみよう。



 出でよフワワ!



 ……ダメだ。何も変わらない。フワワの姿も声も何も出現しない。


 望み薄とはいえ他の精霊も試してみるしかないな。


 出でよペトロ! 出でよモーショボー! 出でよカーバンクル! 出でよコレー!


 来い! ポイポイ!


 ……ポイポイもダメか。この状態じゃ精霊折衝は出来ないって断定するしかない。


 このまま誰にも感知されず永久にこのままの人生。それが少しずつ真実味を帯びてきた。


 そんなバカな……だとしたら余りにも無情過ぎる。自分に何か落ち度や失点があってこうなったのならまだしも、立入禁止にもなってない浴場のお湯に触れただけだぞ?


 無限ループですらない、ずっと同じ光景が映し出されるのみ。目を瞑る事さえ許されない。自ら命を絶つなんて以ての外。


 これから先、永遠にこの状態が続く。助けもやって来ない。


 詰んだ。





 ……。





 う……



 うわああああああああああああああああああああああああああああ!!!!


 こんなのってないよ!!!! こんなの絶対おかしいよ!!!!


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だヤだヤだヤだヤだヤだヤだヤだヤだヤだヤだヤだヤだ!!!!!!


 なんで俺がこんな目に遭うんだ!! 一回死んでんだぞ!? 死んで生き返って辿り着いたのがエンドレス地獄かよ!! 信じらんねぇ!! 無慈悲にも程があるだろ!?


 誰か助けてくれ!!! 誰でも良い!!! シキさん!!! ヤメ!!! オネットさん!!! フレンデリア!!! アヤメル!!! メンヘル!!! いないのかよ!!! いただろさっきまで!!!


 だったら他のギルド員だ! 宿の従業員でも良い! 街にはコレットもいたんだ! 関わりの薄い街の住民でも良い! 誰でも! 誰でも良いんだ!


 俺をここから出してくれ!! ズタズタになっても良い!! 引き摺り出してくれ!! 頼む!!


 なあ……頼むよ。


 自分じゃどうにもならないんだ。声も出せないんだ。考えるしか出来ないんだ。この思念は誰にも届かないのかよ。


 そうだ。始祖。始祖がいるじゃん。始祖ならマギを感知してくれる。


 始祖!! ミロ!! 俺の思念を感じ取ってくれ!!


 俺はここにいる!! 前みたいに強引に俺を城まで引っ張ってくれ!!


 ミロ!! なあミロ!!


 頼むよミロ!!


 頼むってば……



 ……神サマはどうだ。神みたいな存在っつってただろ? だったら俺の状況も把握してるんじゃないか?


 アンタだって俺をこんな所で終わらせる為に転生させたんじゃないだろ? なあ……頼むよ。


 俺はまだやりたい事が山ほどあるんだ。ギルドだってまだ借金がなくなったばかりで、大きくなるのはこれからなんだ。城下町を守るギルドに成長する為には、これからが大事なんだ。


 五大ギルドに入るかどうかも検討しなくちゃ。いや検討はもうしてる。後はギルド員達の意見を聞いて決定するだけなんだ。


 まだ……何も成し遂げてないんだ。やれる事は沢山ある。何も出来なかった生前とは違う。今の俺には出来る事が……街やみんなの為に出来る事があるんだ。


 嘘だよ。こんな……訳わからないタイミングで訳わからない状況で終わりなんて……嘘だって。こんなの信じられるかよ。


 ……そうだよ。そんな訳ないじゃん。やっぱ夢なんだよ。たまに見るじゃん怖い夢。理論的でも何でもない、漠然とした恐怖を感じる夢。きっとそれだ。恐怖がピークに達したら目が覚めるんだ。


 こんなのいつまでも続く訳ない。いつか必ず元に戻る。あの温泉宿……名前なんて言ったっけ。覚えてないや。あの宿にきっと戻れるさ。


 そうだ。そうに決まってる。必ず変わる。このままな筈ないんだ。俺は生まれ変わったんだ。虚無の14年から抜け出したんだ。もうあんな何もない人生じゃないんだ。


 なあ? 誰か答えてくれよ。


 いないの? 誰もいないの? また……誰もいなくなっちゃったのか?



 俺は虚無の世界に逆戻りしちまったのか?



 嘘だ……こんなの……こんな……………現実…………――――――――

 

 

















































 変わらない。今日も何も変わらない。


 そもそも今日ってなんだ?


 今日だの昨日だの、そんな区切りはここにはない。寝てもいないし太陽も月もないんだ。朝も昼も夜もない。


 ずっと変わらない。ずっとこのままだ。


 もうこのままなんだ。


 永久にこのままだ。


 そうか。


 だったらもう……無意味だ。


 何を考えても意味がない。





 終わりだ。







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