第347話 憎しみで精霊が殺せたら

 サタナキアがどんな精霊で、どんな経緯を辿って今に至ったのか、大体の事はわかった。そこに少なからず共感できる感情が含まれている事も。


 きっと、あの黒歴史を具現化した方のサタナキア――――黒サタナキアが抱いている鬱屈とした感情は、俺の心の中にも潜んでいるんだろう。



 あれは……虚無そのものだ。



 でも、だからといって同情なんかするつもりはない。まして眼前のこいつを放置するなんて事も絶対に出来ない。


 こいつを倒さない限りシキさんは帰ってこない。そしてここには俺と奴しかいない。コレーが出現したままだから精霊も喚べない。


 誰に頼る事も出来ない。俺がやるしかないんだ。


「君の結界はね、本来ならどんな状況でも自動的に、そして完璧に保有者を守るんだ。まるで自分で意志を持ち、常に警戒しているかのようにね」


 虚無結界にそんな機能がある事は、なんとなく察していた。俺が死を予感したら発動するみたいだからな。


 幸か不幸か、転生後の俺は死への恐怖が極端に小さくなっている。だからビビらずに結界を出現させる事は出来ると思う。


 とはいえ、こいつみたいに対策してくる奴もいる。今後は状態異常みたいな搦め手で、結界をかいくぐって俺を無力化するような敵も現れるかもしれない。こいつがそれを実践する事も十分に考えられる。


 俺が倒されたら終わりだ。シキさんだけじゃない。ティシエラも、ついでにコレーも二度と元の世界に戻れないかもしれない。


 厳しい相手、厳しい状況なのは覆しようがない。それでも俺が……やるしかないんだ。


「だからあの夜は、敢えて君を試したんだ。ちゃんと結界を使えるのか」


「……それで、俺を夜道で刺したのか」


「あの時は本当にごめんなさいね。まさか結界が発動しないなんて思いもしなかったから」


 道理で気配も足音もなく急に刺された訳だ。空間移動で俺に近付いて来たんだな。


「でも、こっちだってビックリさせられたんだよ? 致命傷だと思ったけど、生還を果たすどころかピンピンしてたんだもん。それ以来、君という人間に俄然興味が湧いぢゃって。でも分裂した私は自分の身体を持たないから、他人の身体で近付くしかなかったんだよね」


「……近付く? グノークスが俺に接触してきた事は一度もなかっただろ? 髭剃王だって……」


「違うよ。私はそれらとは違う身体でずっと、君の傍にいたんだ」



 へ……?



 こいつまさか、俺を見張る為に他人に……俺の身近にいる誰かの身体を操ってたのか?



「でも教えてあげない。私が誰だったのか、絶対に教えてあげない」


 ちょっ……! なんなのこいつ!? 何その意味不明な嫌がらせ! ここまで執拗に自分語りしておいてネタバレなしとかマジかよ!?


「……いやいや。そういう事はちゃんと言おうよ。あ、実は嘘なんだろ? 別に俺の周りの人間に化けてた訳じゃないんだよな?」


「そう思うのなら、思っておけばいいんじゃない?」


 なんだその小悪魔ムーブ! 野郎にそんなのされても嬉しくないって!


 ダメだ、一旦落ち着け。こいつの思うツボだ。俺をからかって楽しんでいるんだ。


 でも……一体誰がサタナキアだったってんだ?


 こいつが城下町に住みついたのは聖噴水が無効化された後だ。その後で知り合った人間の可能性が極めて高い。って事はコレットやルウェリアさんは違う。ティシエラとイリスもだ。


 逆に、城下町ギルドはあの騒動後に設立したギルドだから、ギルド員達は全員当てはまってしまう。


 って事はだよ……?


「フフッ。悩んでるね」


「いやだからマジで教えろって! ここまで話しといてお預けとか絶対あり得ないからな!」


「そのあり得ない事をする為に、こうして君と二人きりになったんだよ」


 なんだその苛つく上に気持ち悪い発言は! いちいち俺をキレさせるの上手いなこのクソ野郎!


 ああ、もう。具合悪くなって来た。動悸が治まらない。喉が渇いて呼吸がし辛い。

 

 ……今、俺をそこまで追い詰めているのは、間違いなくたった一つの懸念だ。他の可能性なんて何一つ怖くない。それだけが怖くて仕方ない。



 もしもだよ。


 もし、このサタナキアに操られていたのが……



 シキさんだったらどうする?



 シキさんとはここ最近、一気に距離が縮まった。なんというか、心を開いてくれている感じが凄く嬉しかったし、年甲斐もなく……ってほど老け込んではいないつもりだけど、シキさんとのやり取りには心が弾んだ自覚がある。


 もしそれが全部、こいつの演技だったとしたら?


 おじいさんの件も全部嘘で、作り話だったら?


 ……想像するだけで寒気がする。頭痛もだ。吐き気もしてきた。とにかく体調がヤバい。自律神経が物凄い勢いで削られているのがわかる。



『俺はシキさんに今のシキさんのままでいて欲しいから』


『全然。シキさんにあげる為に探してたんだし』


『ラルラリラの鏡、見せてあげなよ』


『うん。俺があげた物だもんな』



 ああっ! 今までシキさんに言った恥ずかしい台詞の数々が走馬燈のように! やめて恥ずかしい! あれが全部こいつに言った事になるとかマジ勘弁! 羞恥の余り時が加速して身体が腐敗しそうだ!


 いや……それはいいや。本当はかなりキツいけど。でも自分が道化になる事はこの際、泣いて受け入れりゃ良い。


 だけど、シキさんと過ごした日々が全部嘘だったとしたら……その事実は到底受け入れ難い。


 あのシキさんが――――



『見返りはあげる。それは私の意地』


『可愛いトコ』


『ありがと。これ、おじいちゃんの供養に使わせて貰うね』


『私の事なんてどーでも良いからテキトーに済ませたんでしょ』


『頼りないけど倒れないのが隊長の良い所』



 色んな顔を俺にだけ見せてくれたシキさんが、全部作り物だったら……俺は多分、もう何も信じられなくなる。


 その事が何よりも怖い。

 

 けど、さっきシキさんが消された直後にグノークスが現れたその事実が、重く重くのし掛ってくる。



 状況的には、シキさんの可能性が……高い。



 うわあああああああああああああああああああああああああああああ!! 嫌だ! シキさんとの交流が全部この野郎の仕組んだもので俺の結界を奪う為に油断させようとしてたとか、そんなのぜーったい嫌だ! 嫌だ!! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!!


「はぁ……はぁ……」


「息が荒いね。あれ? もしかして、辛い想像をしてるのかな?」


「はぁ……はぁっ……はぁぁ……」


「ハハハ! 面っ白い顔! 最高だね君!」



 サ



 タ



 ナ



 キ



 アァァ……


 

「うわ凄い殺気。私、殺されちゃうかも」


 こいつ……マジ殺してやろうか……? 


 落ち着け俺……こんなの挑発に決まってる。安っぽい手だ。まだ何も確定しちゃいない。奴の術中にハマってどうする。


 唇を噛め。爪を掌に食い込ませろ。痛みで冷静になるんだ。


「やっぱり人間って面白いね。精霊とは全然違うよ。どいつもこいつも無駄に年重ねたものだから達観して、知った風な事言ってさ。何もかもつまらない。でも人間は違うよね。刹那の時を生きるからこそ子供っぽさが失われない。それでいて感性が瑞々しくて、こんな素敵な武器を作れるし、見てて楽しい。だから、つい――――」


 はいはいわかってますよ。どうせここで狂気を孕んだ顔になって『壊したくなっちゃう♥』みたいな事言うんでしょ。どーせその程度のテンプレ野郎だよテメーは。


「自分の物にしたくなっちゃうんだよね」



 ……あ?



「言ったよね。私、コレーの欲しい物は全部手に入れるって。コレーが君に興味を抱いていたのは知ってたから、いつか私の物にしようと思ってたんだ。やぁっと実現できそうで嬉しいよ。飽きるまでずっと私の傍に置いてあげるね」


 ……。

 

 憎しみで精霊が殺せたら……!!


 でも現実にはそんな事は出来ない。奴の前じゃ、俺のこん棒による渾身の一撃なんて死にかけの蚊よりもトロく見えるだろう。調整スキルも恐らく無効。闇堕ちした精霊で、しかも他人の身体だからな……試す価値はあるけど、正直期待は出来ない。


 俺に出来る事は何だ?


 どうすりゃこのムカつくクズ野郎に一泡吹かせる事が出来る?



 ……決まってる。


 肉体的な戦闘で手に負えないのなら、精神攻撃以外にない。


 俺には、あの黒サタナキアの心がわかる。


 対抗し得る唯一の武器は、それだ。


「……一つ聞いて良いか?」


「なんだい? 言ってごらんよ。愛しい君の言う事には出来るだけ応えてあげたいからね」


 言い回しがいちいちイラつくぜぇ……瞼がピクピクして来た。


 集中しろ。この野郎を凹ませる為には、引き出さなきゃいけない情報がある。それにまずは神経を集中させるんだ。


「グノークスの身体はいつから操り始めた? アンノウン討伐隊に参加し時には、既にお前だったのか?」


「勘が良いね。お察しの通り。コレット君を遠くに飛ばしたのはアンノウンの仕業じゃない。私の亜空間能力さ」


 だろうな。今更そこに驚きはない。バカでも結びつけられる。


「アンノウンもお前が仕組んだ訳か」


「正解」


 嬉しそうだな。言及して欲しかった事なんだろうな、多分。この承認欲求の塊め。


「これでも一応、魔王様の側近だからね。人間が見た事のないモンスターを呼ぶくらい造作もないんだよ。それを用意すれば、冒険者ギルドはアンノウンと警戒し、最強の布陣を派遣する。コレット君の性格なら自分が行くと言い出すのはわかっていたんだ」


「で、自分もそこに加わって……コレットを飛ばしたのか」


「最強の座を手に入れるには、人類の最高レベルに達してる彼女の存在は少し邪魔だったからね。結果的には失敗に終わっちゃったけど、彼女が不在の内に準備を進められたから問題はなかったよ」


「進化の種の調達か」


 グノークスの肉体が、不気味に口角を上げる。


 ギルマスの権限を持つコレットがギルドにいたんじゃ密輸なんて出来ない。だからコレットを飛ばし、その間に計画を進めていたんだろう。


「グノークスの肉体でも、進化の種を摂取すればお前本体の強さが増すんだな?」


「進化の種はマギに作用するからね。この肉体の中にあるマギは全て私のだから、種を摂取すれば私だけが強くなるのは当然だよ」


 元々魔王の側近レベルだった奴が、それで更にレベルアップした訳か。道理で異常な強さな訳だ。


「最初は、色仕掛けでコレット君を落とすって手段も考えていたんだけどさ、残念だけどグノークスは全然彼女の趣味じゃなかったみたい。大変だったんだけどね。口説くにはそれなりの準備が必要だったのにさ」


「……まさか、その為だけにヨナの恋人になったのか?」


「そう。練習台にね」


 なんとまあ……


「レベル至上主義って言われてたのも、ヨナに合わせる為だったのか?」


「共通の趣味、ってのも変だけどね。てっきりコレット君もそうだと思ってたんだけど……あんな規格外のレベルまで上げるくらいだし。でもアテが外れちゃってさ。彼女に対しては諸々上手くいかなかったな」


 俺の及び知らないところで、コレットが相当苦労していたのは想像に難くない。ただでさえギルド運営でヒーヒー言ってたのに、こんな奴に口説かれてたとはな……


「それが無理だってわかったから、反コレット派として蹴落とそうとしたのかよ」


「それも余り成功とは言えなかったけどね。彼女、意外とギルド内では慕われててさ。選挙でフレンデルに入れた連中の中にも彼女を支持する冒険者が結構増えてたんだよね」


 こいつの私怨……それも身内への逆恨みの所為で、コレットまで要らない苦労を強いられていた訳か。


 ムカつく話だ。


 でも、どうやらこれで攻撃態勢は整った。


 やっぱり予想通りだった。サタナキアにはきっと……いや間違いなく――――


 

「お前さ。コレー以上にコレットを憎んでただろ。ってかビビってただろ」



 これが利く。


 その俺の確信を裏付けるように、たった一言でサタナキアから余裕の笑みが消えた。


「ビビる? 私が?」


「ああ。俺の事をあれだけ念入りに調べる奴なんだから、コレットに関しても当然、深く踏み込んで調べた筈だ」


「……」


「その結果、コレットには絶対に勝てないとわかった。だから退場させようとしたんだろ?」


「いやいや……私の話をちゃんと聞いて欲しいね。何処からそんな理屈が出てくるのさ?」


 呆れたと言わんばかりにサタナキアが大袈裟な溜息をつく。


 お前の演技には散々騙されてきた。でも今のは――――大袈裟過ぎる。嘘だと見抜くのは難しくない。


「そうだね。確かに私はコレット君の悪評を街に流したり、ギルド内での評判を操作したり、裏工作には余念がなかった。その事を根拠に言っているのなら、誤解するのもわからなくはないよ。でも進化の種でレベルアップした私は、彼女を正面から下せる実力を手に入れたんだ。ビビってなんかいないし、それは以前からもそうさ。自分を信じていたからね」


「俺がいつ、コレットの『実力』にビビってるって言った?」   


 勿論、サタナキアがそう解釈するのは当然だ。でも敢えて挑発的にそう告げる。


「お前がビビってたのは、戦闘力じゃない。コレットの聖なる力――――聖騎士コレットの清廉さに怯えていたんだ」



 その俺の指摘に対し、サタナキアは露骨に顔を強張らせた。





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