第345話 グノークス

 この場で最も大事なのは、俺が生き残る事じゃない。一人でも多く生還させる事。ティシエラを無事に帰し、シキさんを取り戻す。その為にはサタナキアをどうにかしなきゃいけない。当然、この場を支配しているグノークスもだ。


 最大戦力のティシエラを戦闘不能にする訳にはいかない。ペトロとコレーがやられた今、俺は事実上の戦力外だ。だから、俺の優先順位なんて最下位で良い。


 ティシエラを守る盾になる。それが俺の今すべき事。


 でも、ただの壁じゃ芸がなさ過ぎる。出来る事は全部やるんだ。そうしなきゃ、この強敵との戦いには……勝てない。


「グノークスは貴方の結界を意識して弱めの攻撃してくる筈だから、即死する事はないと思うわ」


 ティシエラも同意見か。痛い目に遭うのは承知の上で、プライマルノヴァに賭けるつもりなんだな。凄まじい覚悟だ。


 なら、俺も乗った。


「俺が防御壁になる。グノークスの死角になるよう、俺の身体に隠れながらプライマルノヴァを使え」


 そうすれば、奴は俺ごとティシエラを攻撃しようとするだろう。


 俺の対応速度じゃ、ティシエラを完璧に庇う事は出来ないかもしれない。それでも攻撃の邪魔にはなる。


 それに、グノークスが接近して来て一瞬でも触れるチャンスがあれば、調整スキルで無力化する事が出来るかもしれない。まあ、それは望み薄だけど……


「大丈夫なの? さっきも一撃貰っていたけど」


「心配ない。殺意を込められない所為でかなり手加減されてたみたいだ」


 とは言え、痛い事は痛い。骨には異常はないだろうけど、結構濃いアザが出来てそうなくらいには。


 勿論、その程度で泣き言を言ってる場合じゃない。


 後は、どうやってプライマルノヴァの射程内に近付くか……


「サタナキア、惑わされては駄目よ!」


 ……っと、珍しく声を張ったなティシエラ。もう作戦は始まってるのか。


 ティシエラはまるで本当にサタナキアを案じているかのように早足で近付いて行く。グノークスの野郎がやけに遠くで成り行きを見守っているお陰で簡易的な作戦会議が出来たけど、詳細を打ち合わせする余裕は流石にない。ここからはアドリブ力が試される。


「あの男は貴方を利用しようとしているだけ。貴方がコレーにどんな感情を抱いていたとしても、殺して良い理由なんてないわ」


「ティシエラ落ち着け! 迂闊に近寄るんじゃない!」


 一つ間違えれば茶番になってしまう。だからこその無茶だ。


 迂闊に近付いては駄目なのは本当。サタナキアを刺激してストレスを増大させるリスクがある。俺の制止も半分以上は本音だ。オール演技だと、どうしたってボロが出るからな。


「貴方の命に対する意識を今すぐ改めろとは言わないわ。でも身内殺しがどれほどの大罪かは、貴方だってわかっているでしょう? だから躊躇しているのよね?」


「かっ……関係ないんで……」

 

 ティシエラの訴えに、サタナキアの対応は変わらない。一度心を閉ざした相手には、そう簡単には開かないだろう。


「憶測で断定は良くないね。サタナキア君の言葉を聞いていなかったのかな? 決め付けは良くない。決め付けられるのは非常に不愉快だ。当方はその気持ち、痛いほど理解できるよ」


 グノークス……このタイミングで介入して来たか。


 気持ちが揺らいでいる時に共感されると、ついそいつの事を信じたくなる。その心理につけ込もうとしてるらしい。やっぱり相当な策士だ。


 それにしても――――


「それに今のティシエラ君の言葉。無責任だと思わないかい? 如何にも育ちの良い、安全圏で生きている者の綺麗事だよね。命の重さは平等とか、復讐は何も生み出さないとか、その手の常套句と同じ臭いがするよ。アナタがどんな思いで生きて来たのか、知りもしないでさ」


 やる事成す事、全てが苛立つ。ファッキウよりも、エルリアフやシャルフよりも鬱陶しい。今までで一番不愉快で小賢しい敵だ。


「当方の経験上、今アナタが抱えている苦悩は、その元となる者を消す以外に決して消える事はないよーォ。断言しても良いねーェ。だから……ね?」


 グノークスは近付いては来ない。出入り口の傍に立ったまま、囁くような口調でサタナキアを唆している。


 奴にサタナキアと寄り添う意志はない。それが物理的な距離に表れている。


 それにしても、この距離の置き方は不自然だ。



 爆発に巻き込まれる寸前に逃げられるように……か?



 サタナキアのタントラムで俺の結界を吹き飛ばし、この場にいる全員を始末して、自分は逃げ切る――――それが奴のシナリオなんだろうか。


 でも空間転移はサタナキアの技。サタナキアが逃がさない限り、グノークスがこの亜空間から元の空間に戻る術は……



 いや。あるのかもしれない。



 鉱山で亜空間に強制転移させられた時、カーバンクルが言っていた解除方法は三つ。


 ①術者または契約者の死亡

 ②契約解除

 ③術式の定義破壊


 この場合、術者はサタナキア、契約者はこの場にいる全員だろう。俺の結界が作動したら、先にグノークスだけが死ぬ。よって①は無意味。②も、サタナキアが解除の意志を見せない限り実現はしない。この状況でグノークスが『自分だけ解除してくれ』と言えば、サタナキアも奴の狙いに気付くだろう。


 でも③は……



『この手の妖術は大抵、特定の領域に特定の人物を固定する事で成立させるものよ。なれば、領域そのものを破壊してしまえば定義が失われ、術も解けるという寸法だ』

 


 そうだ。領域そのものの破壊によって術が解ける。


 ここでいう『領域』ってのは何処だ?


 恐らく――――この『部屋』だ。


 つまり、この部屋が破壊された瞬間に俺達は元に戻る事が出来る。でも当然、その前に死んでしまっては意味がない。


 サタナキアがタントラムに発動させる寸前に部屋を出てしまえば、爆発で部屋が吹き飛んだ瞬間にこの空間から脱出できる。


 部屋の外にいれば助かる。そして奴は今、俺達の中で一番出入り口に近い場所にいる。


 それが狙いか……?


「……」


 サタナキアが剣――――ファートゥムレラを手に取った!


 出来れば、あのままの状態で近付きたかったけど……これで調整スキル使用の難易度が上がってしまった。サタナキアの持つ剣に触れなくちゃならない。


 グノークスは笑っている。思惑通りに事が運んでいるって顔だ。


 このままサタナキアがコレーを殺そうとすれば、タントラムが発生する可能性はかなり高い。幾ら恨みがあったとしても、身内に刃を向けるのがストレスにならない筈がないんだ。


「サタナキア! 駄目!」


「かっ関係ないんで……わっ私が決める事なんで……」


 サタナキアはティシエラの声を遮って、顔を見ようともしない。


 でも、大分近付けた。


「ティシエラ!」


 肩を掴み、それ以上の接近を制止する。グノークスの方から見て、俺の身体でティシエラが隠れるような体勢で。



 ――――射程内だ。



「……ごめんなさい」


 詠唱の代わりに謝罪の言葉を告げ、サタナキアに向けて魔法を発動させる。


 幾らグノークスのスピードが常軌を逸していても、この位置関係なら絶対に邪魔は出来ない。


「……」


 グノークスは……よし、動かない。その素振りさえ見せない。ティシエラが魔法を使った事に気付いていない筈がないけど、余裕の表情で成り行きを見守っている。


 諦めたんだろうか?


 それとも、まさか……



「……何故」



 俺の困惑に呼応するように、ティシエラが戸惑いの声をあげた。


 プライマルノヴァは確かに、サタナキアへ向けて打ち込まれた。有効範囲内なのも間違いない。ティシエラが射程距離を誤る筈がない。



 なのに――――サタナキアの様子は変わらない。



 馬鹿な! 確かに魔法を受けた筈だ! それなのに、猫背で澱んだ目をしたままファートゥムレラを片手にコレーの方へ近付いている。


 精霊に魔法は無効、なんて事もない。一体どうして……?


「言わなかったかい? ファートゥムレラは運命を固定する剣だって」


 まるでこうなるのを予測していたかのように、グノークスは悠然と言葉を発してきた。


「彼はその剣を手にした瞬間、『妹殺し』の運命を固定させたんだ。それを阻害する魔法は全て無効化されるのさ」

 

「そんな……幾ら十三穢でも魔法を無効化するなんて事が……」


「魔法は君が思うほど万能じゃない、って事だよ。さあ、これでわかっただろうサタナキア君。彼女は魔法を使って強引に君の意志をねじ曲げようとした。君の人権などないに等しいと、そう言ったも同然の行いでね」


「違う! 私は……!」


「違わないねーェ。君は『彼如きが自分に従わないのは不条理だ』と思っていたんだよーォ。だから魔法で強引に感情を消し飛ばそうとしたのさーァ」


「……!」


 ティシエラが絶句してしまうのも無理はない。プライマルノヴァに少なからず、そういう側面がある。相手の思惑を無視して感情をリセットする魔法だからな。


 全て奴の、グノークスの掌の上で踊らされた。


 サタナキアは既にコレーのすぐ傍まで歩みを進めている。魔法が通じない上、今更あそこまで駆け寄ってファートゥムレラに触れるのは不可能だ。



 作戦は……失敗だ。



「兄さん……」


「……」


 そこまで近付いても、やはり目を合わせようともしない。俯いたまま、剣を持った右手を振り上げもせずダラリと下ろしている。


 床に這いつくばったまま、コレーは何とも言えない顔でサタナキアを見上げていた。


「そんなに……ボクが憎いのかい? ボクには……わからないよ。アンタに何か嫌な事を言ったとか、意地悪したとか、そんな記憶は一切ないもの。正直、性格が違い過ぎて深く関わろうとも思わなかったから。アンタだってそうじゃないの……?」


「……」


 コレーの言葉は本心なんだろう。それが、サタナキアを傷付けている。


 俺は一人っ子だから、兄弟姉妹との距離感とか、関係性とかはわからない。まして精霊と人間じゃ寿命も違うし文化も考え方も違う。サタナキアの事を理解しようってのが無謀だ。


 無謀だけど……なんとなく、わかる。


 恨みたくなくても恨んでしまう、そんな心情が。


「さあ、決断を。これでアナタは救われるよーォ。心が晴れる訳じゃないかもしれないが、ずっと抱えていた心の淀みをなくす事は出来るからねーェ」


「……わっ私は……私は……」


「アナタは正しいんだよーォ。アナタには幸せに生きる権利があるんだからーァ。今まで苦しんだ分、何も気に留めず自由に生きるべきだよーォ」


 グノークスの言葉がサタナキアを後押しする。


 でもそれは悪魔の囁き。その先に待っているのは……間違いない。地獄だ。


 コレーとサタナキアの関係性は、二人の僅かなやり取りとグノークスの発言で何となく想像がついた。


 親の期待や精霊社会に順応できなかったサタナキア。順応できたコレー。恐らくそういう事なんだろう。


 サタナキアにとって、自分より後に生まれて自分より全て上手くこなしていくコレーの存在は、彼女の性格や行いに関係なく目の上のたんこぶだったに違いない。


 俺にはそういう存在はいなかったけど……気持ちはわかる。多分、あの世界……あの時代を生きていた同世代の人間の多くは共感するだろうな。


 例え身内じゃなくても、ネットを開けば上手くやってる同世代の人間がすぐそこにいる。


 登録者数が戦闘力になる世界で、世の中の出来事に対して逆張りのような意見を言うだけで存在感を示せて、既に人生あがったような連中がいる。


 そういう人達の生活が、SNSや記事を通して情報として入ってくる。


 まるで煽られているような気持ちになる。


 年収。学歴。社会的ステータス。貯金。生活レベル。将来の年金の額。


 普段はそんな事気にも留めていない。自分の尺度で楽しい事や楽しめる時間があればそれで良い。


 でも一年に一回か二回、ふとした瞬間に頭を掠める時があった。


 俺は……底辺警備員なんだって。


 社会的に何の価値もなくて、明るい未来もなくて、同世代の中でも下から数えた方が遥かに早い……そんな人生なんだって。


 どうしてだろう。サタナキアを見ていると、あの頃の自分が蘇ってくる。


 思考が似ているから? それとも……俺の中の深層心理を投影した姿が彼だから?


 わからない。答えは出そうにない。


 ただ、放っておけない。グノークスの思惑通りに利用されるサタナキアを見るのは……辛い。


「やめとけ。グノークスの言う事を聞くのは」


 最後のカードを切る時が来た。


「今度は君が邪魔するのかい? 生憎だけど、君の言葉が彼に届くとは……」


「そいつ、嘘つく時に語尾が間延びする癖があるんだよ」


「……」


 サタナキアの顔が上がる。そして、ゆっくりと俺の方に目を向けて来た。


「そいつがその喋り方をする時は本心じゃない。つまり、奴はお前が幸せに生きる権利なんてないと思ってる。自由に生きるべきじゃないと」


「これはまた、下らない言いがかりを思い付いたねーェ。そんな訳ないだろーォ?」


 本人は気が付いていない。誰からも指摘された事がないんだろうか。


 初対面時から気になっていた。語尾を妙に伸ばす時と、そうでない時があるのは。


 一体何の意味があるのかはわからなかったけど、今日で確信が持てた。本心じゃない事を言う時に語尾がルーズになる。


「俺の命を奪おうとするのに何も躊躇しなかったお前が、コレーに対してはそんなに迷ってるんだ。その自分を大切にした方が良い」


「……あ」


 説教は割と好きだけど、助言は好きじゃなかった。


 人生経験の浅い俺は、大抵の事において実感のこもった事を言えなかった。聞きかじりの知識をそのまま口走るくらいしか出来なかった。そんな言葉が他人の為になるとはどうしても思えなかった。


 でも今は少しだけ違う。


 中身が伴わなくても良い。薄っぺらい奴だと思われても構わない。


 何かの足しになるかもしれない。何の足しにならなくても、それならそれで仕方ない。そう思うようになった。


 だから今は、好きでも嫌いでもない。 


「妬みの対象を消したらこれから何もかも上手く行くなんて、そんな単純じゃないだろ? お前も」


「……あっはい。そっそんな簡単に気持ちが晴れたら……くっ苦労しないですから」


 自虐とはいえ、ようやくまともな言葉が返ってきた。それがサタナキアの答えだ。


 とはいえ、これで事態が良化した訳じゃない。こっちが圧倒的不利な状況には何ら変わりはないんだ。


「当方の言う事よりも、彼の言う事を信じるのかい?」


 グノークスの声は、特別感情が波立ったような感じじゃない。寧ろ穏やかに問いかけている。


 俺に狙いを邪魔された筈なのに、それを全く感じさせない。


 ……違うのか?


 そうじゃないのか?


 だったら、一体奴は―――― 


「やっぱり、そうなんだね」


 サタナキアから視線を外したグノークスが、俺の方に顔を向ける。


 一瞬で鳥肌が立った。


 なんだ……? その顔は。どういう感情なんだ?


「――――やっぱり君だな。うん。想定していた通りだ。ずっと前からね」


 一体何を……



「"私"の気持ちがわかるのは、君だと思っていたんだよ」





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