第217話 なあ、アイザック

「本当だぞッ!! 僕は本気だ!! あの酒場の惨状を見ただろ!? 僕はやると言ったらやるッ!! 口先だけの男じゃないんだ!!」


 喉が擦り切れそうなほどの金切り声で叫ぶアイザックを前に、マッチョ部隊は――――止まった。


 今までのアイザックが相手だったら、この醜態じみた姿を安易に『ここで捕まって人生終わるくらいなら、他人を巻き添えにして自分も死ぬつもりだ』と解釈していただろう。前科もあるし。


 でも眼前のアイザックの顔は、どうもそうは見えない。一見すると怯えて狼狽しているその表情には、何処か芯が通っているような気がする。


 まさか……演技?


 幾ら世界屈指の筋肉集団でも、自爆されたら無事では済まない。自爆は魔法じゃないからマギヴィートの効果も受け付けない。状況だけを見れば、自爆をチラ付かせて見事に危機を回避した事になる。


「ふーっ……」


 その溜息は、命が助かったっていう安堵なのか? それとも作戦成功に胸を撫で下ろしているのか……?


 もし昨日、この城で奴と遭遇していなかったら、以前との違いに気付けなかっただろう。それくらい微々たる差。でも確実に奴の中では変化が起きている。



「よう、アイザック。元気か?」



 ――――不意に、マッチョ軍の中からドスの利いた低音でアイザックに呼びかける声が聞こえた。


 あれは……コンプライアンスの酒場のマスター。彼も参加していたのか。


「少し話をしようや。オレ様の前でまた自爆なんて物騒な真似はやめてくれよ? 一度それで痛い目見てるんだ、こっちは」


「……」


 そういえば、コンプライアンスさんはアイザックに格別の恨みを持っている。自分の店を台無しにされたんだもんな。そりゃ討伐したくもなるわな。


 あの事件をきっかけに、アイザックの人生は転落していった。間違いなくトラウマになっている筈だ。アイザックが変わったかどうかを見極める上で、これ以上ない相手だろう。

 

「玉座に座りな。オレは床に座らせて貰うぜ」


 うわー、『玉座に座りな』って言ってみてー……すげぇ厨二心擽ってくんなあ。やりおる。


「腹を割って話せよ。お前さん、オレを恨んでるんだろ? たかが酒場のマスター相手に、女の前でカッコ悪い所を見せちまったもんなァ。どうなんだ?」


「……」


「しかもその後、魔王城目掛けて武器投げるイベントでもオレより下の順位だったな。一度の負けなら言い訳も出来るが、連敗しちまったら何も言えねぇよな。そうだろ?」


 もうやめて! コンプライアンスさん! とっくにアイザックのライフはゼロよ! もう勝負はついたのよ!


 ……と叫びたいところだけど、アイザックの表情には明らかに余裕がある。そこが今までの奴とは違う。


 ようやくレベル相応の精神力を身に付けたのか……?


「おい。何とか言ったらどうなんだよ。オレはなァ……自分の店をブッ壊されちまったんだぞ! 冒険者として頂点極める為に生きて来たオレがよォ~~~ッ! 自分の限界に泣き暮れてッ! 誇りを握り潰してッ! 血ヘド吐く思いで手に入れた自分の城をよォ~~~! テメェみてェな若造に一瞬でメチャクチャにされちまったんだぞッ!!」


 まさに魂の叫び。コンプライアンスさん、元冒険者だったのか。酒場でのケンカを毎回身体一つで鎮圧してたみたいだし、当然と言えば当然だけど。


 さあ、アイザック。彼の怒りに一体どう応える……?


「コンプライアンスさん……その節は、本当に申し訳なかった。心からお詫びする」


 おお、謝った! 王様なのに謝ったぞ! ついに一皮剥けたのかアイザック!


「当時の僕は追放されてしまった身で、ロクに弁償も出来なかった。しかし今は違う。貴方の酒場を再建する為にかかった費用、復興するまでに稼げる筈だった金額、そして迷惑をかけてしまった事への慰謝料。全て僕が負担しよう」


「ザケんな! どうせ俺ら庶民から徴収した税金で出すんだろうが! それになァ……建て直したからって同じモノは戻ってこねェんだよ! 軌道に乗らなくて苦心した日々の汗と涙もなァ、初めて一日の売上が1000G越えた時の歓喜もなァ、全部あの建物に染み付いてた思い出なんだよォ~~~!!」


 これは正統な怒りだ。金さえ貰えればOKって人もいれば、そういう問題じゃないって人もいる。コンプライアンスさんが後者である以上、その価値観に寄り添う必要があるだろう。


 普通なら裁判で決着を付けるところだけど、今のアイザックは王様。奴の決定が国家の下した決定と同義だ。つまり、奴の王としての器がこれでわかる。


「コンプライアンスさん」


 どう答えるのか――――


「形ある物はいずれ滅びる。でも、無形のものは滅びない。貴方の尊い思い出は、貴方や常連客の心の中で生きている筈だ。僕の弱さが、どれだけレベルを上げても消えないように」


 なんかアイザックとは思えないくらいオシャレな返しだ! 悪くない、悪くないぞアイザック!


「それでも貴方が思い出に拘るのなら……僕はそんな貴方を癒やしてあげたい」


 ……あっ。


「貴方に回復の素晴らしさを教えて差し上げたい。回復とは、負傷した身体を癒やす事だけではないんだ。夜明けの瞬間に世界を照らす光のように、未来を生み出す力。僕は貴方の酒場も、貴方自身も回復してあげたい」


 あーっダメみたいですね。昨日の時点でほぼ確信してたけど、これもう完全に回復教の狂信者になってますね。心に余裕が生まれたっていうより、信仰対象が見つかって目が据わってるだけか……


「いやお前、それは……」


「安心して欲しい。酒場は半壊しても、貴方の思い出には傷一つ付いていない。貴方の心が不安定になっているから揺らいでいるだけなんだ。僕は必ずその揺らぎを正して、貴方の全てを救済してみせる。それが僕の回復道だから」


 とうとう回復道とか言い出したよオイ。こいつヤベぇな。錯乱してワーキャー叫んでた頃の方がよっぽどマトモに見えるってどうなのよ。コンプライアンスさんもその狂気に気圧されて毒気抜かれちゃってんじゃん。


「その回復の第一歩として、僕は貴方に問いたい。貴方は一体どんな方法でその強さを手に入れたのかを」


「はァ?」


「貴方の事は調べさせて貰った。冒険者の頃、貴方は誰よりストイックに訓練していたそうじゃないか。己の限界まで研鑽を積んだんだろう? なのにどうして現役の頃より、酒場で毎日飲んだくれ相手に愚痴聞いていた今の方がパワーが上なのか?」


「テンメェ……人の店自爆で潰したクレイジー野郎が、オレが何かヤバいクスリでもやってるって疑ってんのかァ?」


「僕の行動が貴方を苦しめた事は認めよう。懺悔もする。でも貴方もおかしいよ。それもまた、紛れもない事実だ」


 確かに、そこは俺も気になっていた。


 ある日突然、別人のようになる。これは俺が異世界に来てから、何度となく聞いてきた怪奇現象だ。


 俺自身が転生によって別人の身体を貰い受けたもんだから、同じような奴が何人もいるんだとばかり思っていた。でも実際にそうだったのはフレンデリア嬢だけ。他はモンスターが人間に化けていたり、性転換していたり、それぞれ異なる理由で別人のようになっていたと判明した。


 でも、よく考えてみたら……このコンプライアンスさんに関しては結論が出ていない。転生や性転換はあり得ないし、本人が不思議がってるくらいだからモンスターって事もないだろう。


 一体、彼に何があったんだ?


「知らねぇ~なァ~~~。気が付いたらこうなってたんだ。だからオレは言ってるだろ? 破壊神に愛されたってよォ~~~」


「そんな抽象論で納得できる訳がない。だから僕は、仮説を立てたんだ」


 まさかアイザック……お前、一人で彼の秘密に迫ろうとしていたのか?


 そう考えた瞬間、俺の頭の中に稲妻のような光が閃いた。


 記録子さんのレポートは、綿密な取材に基づいているとはいえ、あくまで彼女の主観。絶対的に正しいとは限らないし、アイザックの思惑までは推し量れない。


 もしも――――傍目には滑稽に見える行動の数々が、実はコンプライアンスさんに対する危機感に起因したものだとしたら……?


 奴はコンプライアンスさんと腕相撲で勝負して、その異常性に気付いた。理由はわからないが、何かとてつもなく恐ろしいものが彼の中で芽生えたと感じ、アラートを鳴らした。


 これはバイオハザード(生物学的危害)かもしれない……と。


 もしこのままコンプライアンスさんを放置したら、手が付けられない化物になる。でも周りは誰も気付いていない。彼がどれだけヤバい状態なのかを。


 だから、まだ化けきっていない段階で、差し違えるつもりで――――自爆した。


 でも上手くいかず、ギルドおよび城下町から追放されてしまった


 それでもアイザックは諦めない。仲間に調査を続けさせ、時には娼館にまでその範囲を広げた。そして自分はヒーラーと手を組み、万が一コンプライアンスさんが化物になって街に甚大な被害を及ぼした時に備え、回復手段を確保した。


 更に、死の精霊ラントヴァイティルの力を借りて、自分を再びこの街へ戻って来られるように仕向けた。


 全ては、彼を倒し街を救う為に。


 だとしたら。


 もしそうだとしたら、アイザック! お前こそが本物の英雄……!



「貴方は――――力を増幅させる特殊能力を持った精霊と契約したんだ」


「違ェよ」



 英……雄……



「精霊との新規契約は現在、禁じられている。にも拘わらず貴方は誘惑に負けたんだ。冒険者時代に見た夢を忘れられず、究極のパワーを手に入れる為に」


「だから違ェって。オレの話聞いてっか?」



 えい……



「或いは妖怪やアイテムって線もある。寧ろアイテムの可能性が一番高いと僕は見ている。まるで悪魔のように、命と引き替えに力を与える呪われしアイテムがあるって話を以前」


「違うっつってんだろバカ野郎! アドリブ利かねェ役者かお前は!」


「……」



 英雄など何処にもいなかった。


 アカンすよ! 余りにもエビデンスがない発言に心底ガッカリだ! 自分が精霊と契約したからって安易に相手もそうだと考えただけじゃねーか!


 コンプライアンスさんがすっ惚けてる可能性もないとは言えないけど、あの反論速度じゃな……動揺の欠片もありゃしない。


「実際、なんでオレにこんな力が湧いてきたのかはわからねェ。ある日急に……だったからなァ。忘れもしねェ春期遠月14日。オレの酒場で占星術士と吟遊詩人が殴り合ってるのを止めようとしたんだがよ、加減を誤って殺しちまったんだ。幸い蘇生魔法で生き返ったが、あんなミス普段は絶対にしねェ。あの時点で力の暴走が始まってたんだよ」


 それって、俺がこの異世界に転生した初日の出来事じゃん。まだこの世界について何もわかってない状態で、あのイカれた現場に立ち合ったんだよな。だからハッキリ覚えてる。


 確か占星術士と吟遊詩人のボコり合いを暫く放置してたんだっけ。普通ならマスターが全精力を注いで止めるべき状況なのに。実際そう伝えたら、コンプライアンスさんが暫く遊ばせるのもマスターの醍醐味とか言って――――


 ……ん?


 記憶違いじゃなかったら、あの時……コンプライアンスさんは俺の肩に手を乗せてたよな。


 その状態で俺は『全精力を注いで』と言った。って事は……



 これ、調整スキルが発動してね?



 もし『全精力を注いで』って表現が、『攻撃力に全振り』って解釈をされてしまったのだとしたら、コンプライアンスさんがパワーアップを果たした原因は……まさか、俺?


 いやいや待て待て。そんな馬鹿な……普通、精力っつったら活動力だろ? どっちかって言うと生命力に近いよね? こんなこじつけあり得ないって。


 でも……絶対にない、とも言い切れない。『全精力を注ぐ』って表現でスキルを使った事がないからな……


「ヤメ。ちょいと握手」


「は? 急にどったの」


「良いから。えーっと……『全精力を注いで』」


「え? 思いっきり握ればいーの? そりゃ」


 ぎゃああああああああああ!! もげる! 手がもげる!! 間違いねぇ!!


「戻れ戻れ戻れ戻れ昨日の状態に戻れっ!」


 幸い、手首から先がもげる前にヤメの不条理なパワーが一気に消えて、右手が解放された。でもこれで決定的だ。


「で、今の何だったん? ソーサラーギルドの面目丸潰れザマァの握手?」


「……ま、そんなトコ」


 マズいぞマズい。冷や汗が止まらない。右手よりも心が痛む。


 だって、コンプライアンスさんの超パワーが俺の所為だとしたら、アイザックが落ちぶれた原因……とまでは言わないけど、遠因に関わってると言えなくもない。当時は調整スキルの存在自体知らなかったから不可抗力ではあるんだけど……止めどなく罪悪感が溢れてくる。


「フフ、随分と具体的に覚えているね。まるで自分で創作したかのようだ」


 人間不信に陥って久しいアイザックは、もう誰の言う事も素直に信じられないんだろう。さっきからずっと、自分だけが正しいって結論ありきで話している。疑心暗鬼のなれの果てだ。


「テメェ……オレが嘘ついてるって言いてェのか? だったらもう、何言っても無駄だなァ~~~。テメェをブッ殺してもオレの城は戻っちゃ来ねェが、代わりにこの城を返して貰うぜェ~~~」


 コンプライアンスさんの殺気に同調して、他のマッチョ達もいきり立っている。このままだと激突は必至。アイザックに勝ち目はないけど、自爆されたらこっちも甚大な被害を受けかねない。


 ヒーラー達を退けられたのは、大勢のマッチョが健在だからこそ。幾らアイザックを倒しても、帰り道でやられちまったら何の意味もない。今はマッチョアタックで大半が気絶しているだろうけど、意識が戻ったら回復魔法で全快するだろうしな……


 どうする……?


 アイザックとは色々あったけど、このまま奴が人類の敵として滅ぼされるのは流石にな……俺にも責任の一端がないとも言い切れないし。


 ……仕方ない。


「ちょっと待って下さい。俺に話をさせてくれませんか」


 前のめりなマッチョ達を鎮めるべく、出来るだけ穏やかに話す。アイザックもようやく俺を視認したらしく、一瞬驚いた顔をして、その後寂しそうに目を狭めた。


「この襲撃、やはり君が一枚噛んでいたのか。残念だ。君とは色々あったけど、このまま決別するのは寂しいって思っていたのに」


「俺も同じ事を思ってたよ」


 玉座に座るアイザックと、仁王立ちで対峙する。


 以前の奴なら、これだけ敗色濃厚な状況だったらとっくに取り乱していただろう。的外れな指摘をしてはいたけど、精神的に成長しているのは間違いない。


「お前の心の支えになっているのは、王様って身分か? 回復か? それとも精霊から運命を反転して貰った事か?」


「な……君が何故それを知ってる?」


「そんな事はどうでも良い。で、気は晴れたのか? お前をバカにした奴を見返してせいせいしたか?」


「……」


 答えはなし、か。だろうな。全然スッキリした顔してないもんな。あの所信演説の時ですら。


「隊長、そいつを……」


「いい」


 シキさんを手で制して、アイザックと睨み合う。


 なあ、アイザック。お前やっぱり俺と似てるトコあるよ。自分をポンコツだと思う一方で、誰よりも自分が本当は優れた奴だって信じてもいる。だから周りの評価が気になって仕方ないんだろ? 確信が何もないからな。


 でも生き方は決定的に違う。俺は何もしないまま惰性で生きていたけど、お前は努力し続けて強くなった。お前の方が俺よりずっと、正しい道を歩いているんだよ。


 なのに何だ、このザマは。なんで俺なんかに同情されなきゃいけないんだ?


 上等な人生を送ってこなかった俺は、他人を憐れんだり同情したりする立場にない。それは今も変わらない。レベル60という世界的な冒険者になった男に対して憐憫の眼差しを向けるなんて、身の程知らずにも程がある。


 それでも尚――――こいつを見ていると、胸が締め付けられてしまう。


 情けない過去を払拭する為に懸命に努力して、結果も残した。なのにたった一度踏み外しただけで、こんな事になってしまった。それを『バカな奴だ』と切り捨てたら……俺が今取り組んでいる事をも全否定してしまうみたいじゃないか。どれだけ積み上げようとも、一瞬で瓦解する程度のものなんだって。


「なんでお前、コンプライアンスさんにリベンジを挑まなかったんだ?」


「それは……彼は本来競い合うべき職種じゃない……から……」


 手に取るようにわかる。その理由が。今の表情でわかってしまう。


 "同じ勝負"で二度負けたら、もう言い訳は出来ない。でも挑まなかったら自分自身に幾らでも言い訳できる。リスクを承知で挑むより、欲しい言葉だけをくれる仲間達に甘えて平穏な日常を選んだ。それがお前の弱さだ。俺の14年にわたる虚無ほどじゃないけど。


 だから――――


「俺達みたいなのはきっと、一生向き合えないんだろうな。弱い自分と」


「……」


 努力して、見返そうと頑張って身に付けた強さが、こいつを縛りつけてしまっている。


 アイザック。お前はきっと……強くない方が良いんだ。


「俺と勝負しろ、新国王。この城を賭けて」


 だから俺が引導を渡してやるよ。


 弱い俺が、弱いお前に。



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