第067話 またポエムかよ

 30代になると涙脆くなる反面――――



 恐ろしいくらい、自分の事で泣けなくなる。



 世の中は泣く理由で溢れている。『感動ポルノ』という言葉で忌避される風潮もあるけど、大抵の人間はそれが例えフィクションであるとわかっていても、感情を揺さぶられる事に抵抗はない。病を患った少女の健気な笑顔や、もう戻れない世界に来てしまった少年の悔恨に、何の躊躇いもなく涙を流してしまう。


 それなのに、自分の事となると驚くほど冷めていく自分がいる。


 どんなに情けない境遇になっていても、どれだけ絶望的な状況で人生詰んでると自覚しても、何も思わない。思う事が出来ない。思おうとするのを脳が拒否してしまう。きっとそういうふうにして、俺の虚無は出来上がっていったんだろう。


 そしてそれは、俺自身だけじゃなく俺を中心とした周辺をも含んでしまっている。恐らく30代になった頃の俺は、親が大病を患っても平然としていられただろうし、もし死んでしまっても涙すら流さなかっただろう。


 親に恨みがあった訳じゃない。寧ろ仲は良好だった。ゲームで何時間遊んでも小言を言われた事はなかったし、冷凍食品やカップ麺が夕食時に出る事は一度もなかった。反抗期に何度も怒鳴り合ったけど、優しくて楽しい時間の方が圧倒的に長かった筈だ。


 それなのに……俺は親の事を特に何とも思わなくなっていた。


 一体いつからそんな人間になってしまったのか。特別な理由なんてないし、これというきっかけも存在しない。平凡だけど確かに人間らしく生きていた高校生までと、孤独を享受して波風を立てずに生きてきた大学生以降。その隔たりが、段差が、敢えて言えば理由なのかもしれない。けれどそれも後付けのようなもので、きっかけと呼ぶほど具体的な、決定的な転落の瞬間は訪れなかった。


 周囲に対しては必要以上に丁寧に対応した。遜る事に何の躊躇もなかった。その度に、自分は上手くやれていると自負を持つくらいには、自分の生き方を肯定していた時期は確かにあったんだ。


 でも、それが一体いつまでだったのか、いつの頃からか自分自身を『やるじゃん』と思えなくなったのか、それがわからない。達成感のない14年間を生きてきて、その中でいつ俺は自分を諦めたのか、自分を捨てたのか――――それを知りたいとさえ思わなくなったのはいつなのか、記憶の片隅にも記載されていない。


 要するに俺は、生きていなかったんだ。心臓が動いているのを良い事に、ずっと人間のフリをしていたんだ。



『生きている実感のない者に、人間である資格なんてない』



 ……これは一体、何の言葉だったのか。昔プレイした、タイトルも覚えていないゲームキャラの台詞か何かだろうか。


 わからない。自分の記憶が妙に心許ない。最近、そんな心持ちになる事が多い気がする。


 確かなのは、この言葉が俺の半生そのものを表現している点。一生のほぼ半分、14年もの間、俺は人間を辞めていた。


 だとしたら俺は一体、何者だったんだろう。


 幽霊? カオナシ? 人でなし?



 恐らく、最も似付かわしいものは……





 腫瘍だ。





 本来、こうあるべきでないもの。こうなる筈じゃなかったもの。

 悪性ならば、宿主を殺す絶対悪。良性ならば、いつ悪性になるのかとビクビクさせる積悪。いずれにしても罪深い。

 少なくとも両親にとって、俺はそんな存在だっただろう。


 でも、俺の死によって腫瘍は無事切除された。

 転移したけど、それは身体の外。

 彼らが再び病魔に蝕まれる事は、もうない――――




 

「……」


 あれぇー?

 俺は一体何を書いているんだ?


 おっかしいな……こんな筈じゃなかったのに。

 最初は日記を書く予定だった。気分転換に。その為にちょっとお高い日記帳まで買ったんだ。でもいつの間にか前世の記憶を書いてみるってノリになって、最終的にはなんというか、ポエムになった。


 って、またポエムかよ! ポエム好きだな俺! もう吟遊詩人になった方がいいのかな……


 よし、現実逃避の時間はおしまい。これより絶望に帰還する。


 ザクザクのパーティから自主追放して、もう三日になる。結局彼らと共に行動して得た収入は、小さくてありふれた宝石二つのみ。しかも純度が微妙とかで100Gにもならなかった。あんなに精神磨り減らしたのに。


 とはいえ、厚意で誘ってくれたザクザクに恨み言を言うつもりはない。監督不行届と罵るつもりもない。『お前が誰か特定の一人と恋仲になるか、誰とも付き合わないと宣言してぬるま湯を捨てておけば、あの三人はあそこまで拗れる事はなかったんだ』とは少し言いたい。でも、もう手遅れだ。彼女達は明らかに、もう引き返せないところまで行き着いてしまっている。


 あれから、俺がいなくなったザクザクのパーティがどうなっているのかは知らない。知りたくもない。知ってどうなるものでもないしな。


 それより俺自身の未来に目を向けないといけない。150日で1490万円の借金を返す必要があったのに、この20日間で得た収入はたった1万円。年収3650万円だったはずの目標額は、年収18万円という結果に終わってしまった。これがもしクラウドファンディングだったら、達成率0%表記のままFUNDEDだ。想像しただけでゾッとする。


 そんな訳で現状、これから期日内――――130日後に1490万円の借金を返すには、年収4180万円に相当する収入が必要になった。


 うん、無理! 開業医でも無理だそんなの。一軍で何年もやってるプロ野球選手や長年一線で活躍してる人気タレントの収入額じゃん。もちろんそんな職業はこの世界にはないし、あってもなれない。130日しか猶予がないからね。


 この世界にある職業で年収4180万円か……そもそも俺、この世界の職業よく知らんのよね。どういう職業が稼げるのかなんて、全然ピンと来ない。


 冒険者になって金目の物を集めるのが一番わかりやすいけど、単独でそれやったら間違いなく再びヒーラーの世話になる。雪だるま式で増えていく借金地獄の出来上がりだ。アハハ! アハハ!


 ……あーもう! 宿の中で煮詰まってたって仕方ない。散歩でもしながら金策を練ろう。


 新たな拠点に選んだこの宿は、終盤の街にあるまじきボロ宿を絵に描いたような宿屋だ。部屋はカプセルホテル並に狭く、しかも壁が所々傷んでいる。天井も低い。カビや埃がないのだけが救いだ。


 当然のように鍵もかかっていない。万が一強盗団が押し寄せたら自分の身は自分で守れと誓約書を作らされた。ある意味潔いとは言えるかもしれない。そうでなくても、自警団すらないような街だしな。


「自警団か……」


 思わず口に出てしまう。


 それが存在しない理由は、先日のモンスター襲来騒動で少し理解出来た。とはいえ、王城が城下町をまるで見捨てているかのように無視を決め込んだのは未だに納得出来ない。そりゃ、滅多な事は起こりようのない街かもしれないけどさ……


「や、やめてください! 私は人を探しているだけで……!」


 宿を出て暫く歩いていると、不意に遠くの方から女の子の悲鳴が聞こえてきた。


「だから教えてやるって言ってんじゃーん。ねえねえ、その代わり一緒にお食事しよーよ。僕ね、良いお店知ってるの。君がお肉食べる咀嚼音じーっと聞いていたいなあ」


 ……まあ、強者の住民が抑止力になって派手な抗争や事件が起こらなくても、こういう小さいトラブルは十分起こり得るよな。ナンパにしては品がなさ過ぎる。咀嚼音フェチとかマジ勘弁。性癖がグロ過ぎる。


「ねえねえ名前なんてーの? 名前教えてくれたら探してる人のいる所連れてってあげるから。僕ね、その人の事よーく知ってるの。友達なんだよ」


「……本当に?」


 いやいや、絶対嘘に決まってるって! こんな手に引っかかるなんて、よっぽど世間知らずか、尋ね人に対して必死なんだな。


 通行人は総じて知らんぷり。他人に関心がない東京の社会情勢を思い出す。やっぱり栄えている街ってみんなそうなるんだな。田舎は田舎で、他人の事を根掘り葉掘り聞きたがるらしいから厄介だけど。


 俺は……果たしてどっちが良いんだろう。どっちが合っていたんだろうな。もし田舎で生まれ育っていたら、違う人格になれていたんだろうか。


 馬鹿馬鹿しい。そんな事考えてる暇があったら、あの女の子を助ける努力でもしよう。


 俺は生前、良い奴じゃなかった。こういう時も我関せずがデフォだった。それを一つ一つ変えていけば、いつか本当の意味で生き直す事が出来る……よな? ちょっと自信ないけどそういう事にしておこう――――


「早く早くぅ。名前名前ぇ」


「……ユマ」


 へ? マジ?


 あ、本当だ。遠巻きで見てる間は気付かなかったけど、大分近付いたこの距離だと確かに見覚えある顔だ。妙にあの子のクライシスに縁があるな俺。っていうか、ストーカーと勘違いされそうで若干助けに行き難いんだが……


「ユマちゅわんって言うの? 何その気品に満ちた高貴な名前! 上品過ぎてとうとーい!」


 イラつく語彙だなおい!

 性癖もグロいが語彙もグロい。なんだあのグロ野郎。メカクレ野郎並にムカつくな!


 あんなのに連れて行かれたら何されるかわかったもんじゃない。誤解を恐れている場合じゃないぞ。


「ユマ!」


「……あ! トモ君!」


 幸い、俺の顔を覚えていたらしい。一目散でこっちに駆けつけてきた。何気に嬉しいよね、こういうの。


「良かった見つかって。ずっと探してたの」


「え? 探してたの俺?」


「うん。前にモンスターに襲われた時、助けてくれたよね?」


 あー……気付いてたのか。


 うわ、なんか急にさっき声かけたの恥ずかしくなって来た。君を助けた俺がまた来ましたよアピールじゃないからね? そこんとこは誤解しないでね?


「お礼何もしてなかったから。ありがとう」


「いや、いいって。大した事はしてないし」


「そんな事ない。モンスター攻撃して、私をターゲットから外すよう誘導してくれたんだよね。私わかったよ」


 わかっちゃったかー……恥ずい、超恥ずい。何が恥ずかしいって、わかられたのをちょっと誇らしく思ってる自分。やっぱダメだ俺、根本的に人助けが向いてない。こういうのをスマートにサラッとやれる人間マジ尊敬する。

 

「だからお礼がしたくて」


「ん? お礼ならさっき言って貰ったけど……」


「ううん、そうじゃなくて――――」


「ああああん! もう僕を一人にしないで! 僕がユマちゅわんと話してる途中なんだから!」


 ……まだいたのかグロ野郎。


 あらためて観察してみると、おかっぱ頭に髭面で各パーツが顔面の中央に寄ってる個性的な容姿だ。でも内面の不備が目立つからグロ野郎継続の方向で。


「もう! 邪魔するんならギタギタにしてやるから! 僕毎日鍛えてるんだからね!」


 言われてみれば、確かに肉ダルマって感じの体型だ。俺より強い可能性大。カッコつけて売られたケンカを安易に買うのは得策じゃない。


 ここは先にユマを逃がして……


「ウザ」


 その唐突に出現した毒々しい女声は、グロダルマの真後ろから聞こえて来た。 


「何? 何なの? また邪魔?」


「ウザ。そしてキモ」


「き、キモ!? な、なんなのもう!? 僕はただユマちゅわんの咀嚼音を――――」


 次の瞬間。


「去ね。女の敵」


 グロダルマは本当にグロダルマになった。具体的には、地獄の断頭台を喰らったバッファローマンみたいになり、その場にズゥウンと倒れた。ただし、顔面にぶつけたのは膝じゃなく――――本。というか、あれって俺が購入した日記帳と同じじゃん!


「ざまぁ。悪霊退散」


 その日記帳にグロダルマを始末した事を書き記した後、救世主のように現れた女性は、不機嫌そうな顔をユマに向けた。


「あんなの相手にしちゃダメ」


「は、はい……ありがとうございます」


 慌てて頭を下げたユマを一瞥し、今度は俺に目をやる。


 色素が薄い髪は基本ショートカットだけど、両サイドを長く伸ばしている。身体は……コレットに勝るとも劣らない、大人の肉付き。主に胸が凄いです。


 胸以外は全体的に細身だけど、さっきのグロダルマへの一撃を見る限り、かなり鍛えているんじゃないだろうか。


 特徴的なのが目付き。くっきり二重だからなのか知らんけど、やたら妖艶に見える。ぶっちゃけ胸より目の方がエロい。


 そんな女性から――――


「取材。いいかな」


 何故か取材を受けた。


 取材……? この俺が? ユマを助けた時の事を記事にするのか? っていうかこの人記者なの? さっきの一撃の破壊力を見る限り戦闘民族としか思えないんだけど……


「あの、失礼ですかどちら様でしょうか……?」


「我氏に名はない。街の皆は記録子と呼んでる」


 変わった一人称が霞むほどの適当過ぎる呼び名。まあ本人がそれでいいなら部外者が口を挟む問題じゃないか。取り敢えず記者のような職種で間違いないみたいだ。


「我氏の仕事はこの城下町の興味を惹く出来事を記事にする事。話聞きたい」


「は、はあ……でも大した事はしてないんですが」


「いや君がキーパーソン。君が離れた途端、奴等は転落した」


 ……何の話だ? ユマを助けた件じゃないのか?


「冒険者アイザックのパーティのその後、聞いてない?」


「え? いや知らないですけど。奴等が何かやらかしたんですか?」 


「奴等全員、冒険者ギルドを出禁になった」


 なるほど。 


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