第061話 地獄

 つい数分前までお祭り気分だったアインシュレイル城下町は、瞬く間に地獄絵図と化してしまった。


 飛び交う咆哮。天高く響き渡る断末魔の声。皮を切り裂き骨を砕く音。無残にも飛び散る血と肉片。


 思わず耳を塞ぎたくなるような、目を覆いたくなるような惨劇が目の前で繰り広げられている。


 息を呑む暇もない。次から次に無慈悲な殺戮劇が起こり、その度に俺は嗚咽を漏らしたくなる衝動に駆られてしまう。



 どうしてこんな事に……?



 一体どうして、こんな――――





「ヒャッホゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!! 久々のモンスター狩りだ! アガるアガる! たまんねェなオイ!!」


「なんだなんだ? 数ばっか多くて全然大した事ねぇじゃねーか! もっと楽しませてくれよ! なあ! なあ!!!」


「イーッヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ! 今日は焼き鳥パーティーよォ! みィんな程よく火を通してあげるからねェ!」





 ――――こんな化物揃いなんだよこの城下町は!



 マズい、頭が混乱してきた。落ち着け、落ち着くんだ……こういう時は頭を振って空っぽにして……落ち着くんだぞ☆ いやホントに落ち着け俺。エア頭突きなんてしてる場合じゃない。まずは冷静に状況を整理するんだ。


 本来、街中に入ってくる事はない筈のモンスターから襲来を受けた。プテラノドンのような外見の有翼種のモンスターが何十体も次々と降りてきて、街の中を蹂躙しようとしていた。


 実際、最初に急降下してきたモンスターは甚大な被害をもたらした。何の建物かは不明だけど、その巨大な翼が直撃した事で半壊してしまい、大通りの景観も大きく損なわれた。



 その瞬間、住民達がキレた。



 今、俺の眼前で繰り広げられているのは、戦闘ではなく一方的な虐殺と言うしかないほど惨たらしい蹂躙。ただし悲鳴をあげているのも、ぶった切られ白目向いてるのも、身体を引き千切られ物言わぬ肉塊になっているのも、全部モンスター。身震いするほどの見事な返り討ちだ。


 何が恐ろしいって、今も続々と降下してくる有翼種のモンスター達を喜々としてボコってる連中は、明らかに現役の冒険者じゃない地域住民ってとこ。恐らくは、既に引退して余生をのんびり過ごしていた元戦士達だ。かつての職業が冒険者だったのか傭兵だったのかは知らんけど、もう大分年齢行ってるオッサン&オバサンが自分の身体の十倍以上はあるモンスターをギッタギタにしているというね……これを地獄絵図と言わず何と言う。


 一方で、流石に住民の全員が全員強い訳じゃなく、多くの人々は予想もしていなかったモンスターの襲来に怯え、慌てふためき、パニック状態になっている。それでも、パッと見た限りじゃ人間の死者は出ていないっぽい。モンスターが本格的に街中で暴れる前に、中年遊撃隊が見事に迎撃しているみたいだ。なんか口から光線出してるオッサンもいるんだけど……あれ固有スキルなんだろうか。人類辞めてんな。


 客観的に見るとシャレにならない大惨事。でも我が軍が圧倒的過ぎてそこまで切羽詰まった感じはない。警備兵が配置されていない理由の一つは、きっとあの元戦士達の存在が大きいんだろう。自警団自体は存在しなくても、有事の際にはこうして彼等が住民を守ってくれる――――


「うひゃひゃひゃひゃひゃ!! 本当の地獄を教えてやる!! うひゃひゃひゃ!! お前ら20年前に来なくてよかったな!! うひゃひゃうひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」


 ……まあ、どう見ても守っているようには見えないんだけど、この戦闘狂どもが己の欲望を満たす事で、結果的に防衛になってる訳だ。

 

 とはいえ統率は全くとれていないから、効率はかなり悪い。明らかに余剰戦力になっているエリアと、逆に手薄になっているエリアがある……ように見える。あと住民の退避を適切に誘導する人がいないから、所々で混雑が起きている。まだ一般市民に大きな被害が出ていないのが不思議なくらいだ。


 って、こんな所で澄ましてる場合じゃないよな。俺もここの住民なんだ。何かしないと。


 とはいえ、レベル18の俺では彼ら中年遊撃隊の戦力にはなれそうにない。誰もやらないのなら、俺が退避の誘導をやるべきか? でも、まだそこまでロードマップに詳しい訳じゃないからな……逆に混乱を招く事になりかねない。俺みたいな新参者の言う事をワニワニパニック中の住民が聞いてくれるとも思えないし。


 今俺に出来る事は何だ?


 普通に考えれば、ベリアルザ武器商会に戻って警備員としての職務を全うする事だ。でもここから武器屋までは遠過ぎる。そんなに足が速い訳でもないし、途中でモンスターに襲われるリスクがかなり大きい。


 それに、御主人もルウェリアさんもとっくに避難してるだろうし、無駄足になりかねない。非常時だけに無駄行動は避けたいところだ。


 この混沌の最中、誰もが見落としている事……


 そうだ、聖噴水だ!


 モンスターが街に入れるようになったのなら、聖噴水が枯れたか、何らかの問題が生じた可能性が極めて高い。一刻も早くそれを確認して、正常化する方法を模索しないと。


 そうと決まれば、やる事は一つ。聖噴水のある街の中心部まで移動だ。あそこまでならそう遠くはない。数分で行ける筈だ。


 にしても妙だな……襲撃してくるモンスターの数はかなり多いけど、種類はプテラノドン擬き一種のみ。何らかの理由で空からしか攻め込めないと仮定しても、街の周辺に飛行系のモンスターは他にもいる筈なんだけどな。俺がこの世界に来た初日に遭遇した蜘蛛みたいな顔した鳥とか。


 案外、モンスターの方が命令系統をキッチリさせていて、聖噴水を無効化させたものの特定の部下しか動かせないから仕方なく……みたいな?


 まあ、深く考えたところで答えは出ないだろうし、気にしても仕方ないか。


 それより俺自身がモンスターに襲われないよう注意しないと。あんなバカでかい連中を相手に丸腰じゃどーにもならん。


「チッ、槍が折れちまった! すっかり錆び付いてやがる!」


「ウチの武器を持っていって下さい! 緊急事態なのでお金は要りませんから!」


 あれは……最大手の武器屋【ライオット武器商会】か。やっぱこういう非常時に躊躇なく大盤振る舞い出来る店が信頼を得るんだろうな。


 まあ、ベリアルザ武器商会が同じ事やったところで、あの暗黒系武器を使おうって人がどれだけいるかは疑問だけど……


 それはともかく、折角武器を拝借出来るのなら俺も一つ借りておこう。使わなかったら返せば良いし。


「あの、俺も……」


「君、同業者だよね。君にはあげない」


 ……ん?


「いや、俺は武器屋じゃなくて警備員……」


「おめーの武器ねぇから!!」


 えぇぇ!? ガチ切れ!?


 この緊急時にそんな差別みたいな事、普通するか……? そりゃ一応商売敵の店に勤めてはいるけどさあ……っていうか売上最下位の店の従業員までチェックしてる事にビックリだ。大手凄いな。寧ろ感心しちゃったよ。


 あーもう仕方ない、武器は諦めよう。


 確かこのライオット武器商会は街の中央部付近にあった。なら、この近くに聖噴水もある筈だ。


 上空を舞うモンスターの数は全然減る気配がない。幾らこの街に猛者が大勢いるとはいえ、このまま消耗戦を続けていたらいずれ被害者は出るだろう。その前になんとか聖噴水を……


 ん……? あの遠くに見えるのがそうか?


 間違いない。前に一度待ち合わせした場所だから、周辺の風景は覚えてる。


 遠巻きに見る限りでは、以前と変わった様子はなく、噴水の水は普通に湧き出ているようにしか見えない。だからこそ、戦闘力のない周辺住民は避難を、戦える住民はモンスター狩りを優先しているんだろう。


 ここは終盤の街。戦える奴は圧倒的に強い連中しかいないし、戦えない奴はそんな連中の庇護下にいるから余計に保守的になる。その二極化が、聖噴水の調査を関心外にしてしまっているのかもしれない。


 それなら俺が――――


「はぁっ……はぁっ……!」


 何だ?

 俺とは反対側の方角から、女の子が一人で聖噴水に向かって走っている。


 あれは――――ユマ?

 間違いない、潰れた武器屋の娘さんだ。

 彼女も聖噴水が気になって駆けつけたんだろうか?


 いや……違う!


 まだ地上まで降りてきてはいないけど、明らかに彼女を追跡しているモンスターがいる!

 ターゲットにされてしまったのか……!


「ユマ! 建物の中に逃げろ! 早く!」


 ダメだ、俺の声が聞こえていないのか、全然方向を変えようとしない。


 それとも……敢えて拒否しているのか?

 自分が建物の中に入ったら、そこがモンスターに襲われて破壊されるから……



 ――――こうなったらダメだよ。私たちみたくならないで



 ……きっとそうだ。そういう子だった。

 参るよな、全く。俺が子供の頃なんて、周りに気を使うような真似は一切出来なかった。ただただ、自分の事だけを考えてた。


 自分が生前どうして失敗したのか、なんであんな無様な人生を歩むハメになったのか、思い知らされた気分だ。

 自分の為に生きて、それで上手くいくだけの力があるのならそれで良い。でもそうじゃないのなら、自分以外の為に頑張る事で、どうしようもない自分を奮い立たせる方法だってあった筈なんだ。それを綺麗事だの打算だのと毛嫌いした結果がこのなれの果てだよ。


 そうだ。方法は幾らだってある。ユマに声が届かないのなら……モンスターに届かせれば良い。


 さっき確か……あった、これだ。ライオット武器商会から新しい武器を貰っていた奴が捨てた、折れた槍。ちょうど中央部で折れてしまって、槍としてはもう使えないけど――――


「射程極振り」


 投擲になら使える。

 射程に振り切ってるから威力は最小限。でも自分が攻撃されたと認識すれば、ターゲットをそっちに変更するだろう。それで十分だ。


 大会には参加してないけど、コレットと試行錯誤する中で槍の投擲も試したから、投げ方はある程度心得てる。


 後はハートだけ。


 気持ちを強く持て。俺はダメ人間だったけど、死んだ経験がある。死より怖いものなんてない。失敗なんて恐るるに足らず。あの絶望の先に――――虚無の向こうに今があるんだ!



「テメーの敵はこっちだあああああああああああああああああああ!!」



 頼むぜ槍!


 モンスターに――――届け!!!



「グルァ」


 あ、翼でペシッて弾かれた。


 いや……別に良いんだけどさ。かつてないテンションで投げたけど、目的は串刺しとかじゃないし……


 幸い、今の俺の投擲を自分への攻撃と認識はしたらしく、ユマへの追跡を止めて俺の方に向かって急降下してきた。狙い通りだ。これできっとユマは逃げ切れる。


 でも俺は、どうやら逃げ切れそうにない。


 想定外だ。モンスターの降下する速度が――――速過ぎて――――



 何をどうする間もなく、気付けば爆発音と共に吹き飛んでいた。



 うわあ……景色がスローモーションに見える。空を飛んでるみたいだ。

 一応意識があるって事は、どうやら直撃は免れたらしい。でも、着地と同時に地面に大穴が空くくらいモンスターの降下がもたらす破壊力は凄まじいもので、その衝撃波をモロに受けた俺の身体は……痛みすら感じられなくなるほどの致命傷を負ってしまったらしい。


 地面に叩き付けられた瞬間、息が詰まった。吸いも吐きも出来ない。何処も動かせない。瞬きも出来ない。


 この夢の中みたいな感覚には覚えがある。


 そう……一度死んだあの時だ。



 どうやら、また俺は死ぬらしい。



 依然として死への恐怖はない。やっぱり一回死んで、俺の生死に関する本能はぶっ壊れてしまったみたいだ。だからこんな無謀な真似が出来たんだろうな。


 悔いはない。寧ろ達成感さえある。ビビリの俺にしちゃ上出来だ。


 ずっと、こんな死に方に憧れていたんだ。誰かを庇って、守って死ぬ。俺のどうしようもない人生と引き替えに、将来有望な子供を助けられるなんて、こんな幸せな終わり方があるだろうか?


 ああ、そうか。そうだったのか。

 第二の人生なんて張り切ってみたけど……きっとこれは、長い長い夢だったんだ。何一つ残せないまま猪に殺された無念が、『こんな終わり方をしたい』って俺の願望を夢として見せていたんだ。


 死への恐怖を和らげる為に、脳がくれた贈り物。人生のエンディングを美しく飾る為の優しい世界。これで俺も納得してあの世に行ける。


 ほんの一時とはいえ、ゲームみたいな世界に浸れた。小金持ちにもなれた。可愛くて話の合う女の子と友達になれた。


 働きたいと思える場所に就職出来た。食べた事のないパンを沢山食べられた。奇妙な連中に絡まれて辟易しながらも、毎日心から笑えて、朝起きるのが楽しみだった。


 良い死に方が出来た。


 これが全部、俺の脳に分泌されたエンドルフィンが生み出した幻だったとしても構わない。良い人生じゃなかったし、心残りは山ほどあるけど、きっと俺にこれ以上の終わり方は望めない。





 満足だ――――





「やりまシた! ツイに重傷者発見デス! っていうかこれ、放ってオイたら死ぬんジャないデスかね! 蘇生魔法を使えるかもデス!」


 ……なんだ? もう殆ど耳も聞こえないけど、誰かの声が聞こえる気がする。

 あのさあ……邪魔するの止めてくれる? こっちは今、人生のエンドロール満喫中なんですよ。映画館で余韻に浸ってる時に聞こえてくる雑音ってマジ殺意覚えるよね。自治厨とか○○警察って大抵ウザいけど、映画館警察だけは常駐願うわ。


「あー、でも万が一死ぬまで放置シてるのを第三者に見られたらメデオ様に怒られますね。それはダメって言われてますもんね。ここは妥協シて【ヒーリングプレミアム】で手を打ちます! あ、請求書ここにオイてイキますねー」


 一瞬、身体全体が奇妙な浮遊感を抱いた気がした。


 なんだったんだ全く。

 折角人が気持ち良く死のうとしてる時に。


 あ、そっか。浮遊感って事はこれから天国に――――


 ……あれ、瞼が動く。呼吸も出来るぞ。うわ普通に空が見える!


 思わず反射的に上体を起こしてしまった。っていうか、起こせた。


 あれ……? 首が動くし手も指も動く。普通に立ち上がれる。身体の何処にも損傷がない。


 これ……もしかして無傷?


 いやいや、そんな筈……だって今さっき俺、あのデカいプテラノドンの急降下攻撃に吹っ飛ばされて……うわプテラノドン死んでる! 超死んでる! ズッタズタじゃん!


 もしかして俺、誰かに助けられた?


 状況的にそれ以外考えられない。回復して貰ったか、若しくは蘇生して貰ったのか……

 何にしても、今俺が生きているこの世界と第二の人生は、どうやら夢の産物じゃなかったらしい。

 とんだポエムを囁いてしまった。心の中だから実害はないけど。



 ん? なんか落ちてる。これは……









                  請求書


                         請求日   春期遠月47日

                         お支払期限 冬期近月30日


 ベリアルザ武器商会 御中


 トモ 様



 下記の通りご請求申し上げます


 

    

 ご請求金額  149,000G



 品目


 回復料(ヒーリングプレミアム)  49,000G

 緊急加算             100,000G



 支払先 ヒーラーギルド【ラヴィヴィオ】



 ※請求書明細をご確認の上、期日までにお支払い下さい

 ※期日までにお支払い頂けない場合は、残念ですが地獄に落とします









「……地獄だ」


 知らない間に1490万円の借金が出来ました。


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