タイニー・ドッグはまだ本物じゃない

@sumochi

第1話

 本物なんて、一つもなかった。

 真のタイニー・ドッグを見つけ出すというぼくたちの試みが生んだのは、得体の知れない怪物だけ。

 爪先を伸ばしたまま大腿二頭筋が痙攣する後ろ足。何かに縋ってるみたいに指をくねらせる前足。肺をどこかに落としたのに膨張と収縮を繰り返す毛むくじゃらの腹。あれも違う。これは何だ。ぼくは肉片が散乱する部屋の中央で立ち尽くす。

 辺りに転がる犬の部品が、生き永らえているのか、死に損なっているのか、ぼくには判断がつかない。

 止めを刺すべきなのか、手を差し伸べるべきなのか、ぼくは決めかねている。

 このどれかに、このどこかに、タイニー・ドッグは居るはずなのだと確信めいたものがあったはずなのに。

 切り抜き、繋ぎ合わせる手法も無駄だった。縫い目から目を背ければ外見は本物の彼と寸分違わないというのに、ぼくの作ったそれからは、側にいるだけで満ち足りた気分になるような、愛着が湧いてこないのだ。

 堪え性がないのが、ぼくの恥ずかしいところだ。ぶよぶよの腹を握り潰すと、腸が飛び散った。

 安心してくれていい。

 ぼくは血みどろになって笑う。

 ここに本物は何一つない。

 ぼくは眼鏡型のグラスモニターを外す。部屋中に散乱していた犬の四肢や胴体が視界から瞬時に消え失せる。外したグラスモニターを投げ捨て、ぼくは慌てて口元を手で塞ぐ。吐き気が消えない。死んだ直後だと、取り出した内臓はまだ温かい。流れ出た血は振り払ったり拭ったりしても肌の皺や指紋の隙間に残る。ぼくは自分の掌を確かめた。ぼくの手は、血で汚れたりなんかしていない。

 歳を重ねるごとに、多くのことが区別できなくなっていくのは、ぼくだけのことなんだろうか。

 犬の四肢は消え、部屋は整然としている。ぼくは自分に言い聞かす。最初から整然としていた。

 一匹の子犬が視界の隅から現れて、ぼくの正面に立った。嬉しそうにぼくを見上げながら、子犬は尾を振る。茶色の斑が混じった白い犬。ぼくは子犬の顔に手を伸ばす。子犬は首を傾げた。ぼくの心拍。犬の呼吸。犬の瞳の中に、ぼくの顔が見えた。無表情で、しみったれた顔。ぼくは、犬の瞳の奥のぼくを見つめる。犬の呼吸と、ぼくの心拍が同調していく。

 ぼくの掌が犬の頬を撫でた。しかし、ぼくの指が彼の毛並みを感じることはない。

 ああ、君に触れられたら。ぼくは嘆く。部屋でただ独りでいることを。愛を忘れてしまっていたことを。

 ああ、君が触れてくれたら。

 願いは届かず、ぼくが腕を伸ばしたそこから、犬の姿は消えていた。

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