29.遠い昔に作られた物語に由来する、共生体型の進化をした種族

 ……遠くで、布に何かが落ちる音がした。

 圧迫感が消える。

 喉に空気が、肺に酸素が、大きく入り込んでくるのを感じた。

 彼は喉に手をやり、せき込みながらゆっくりと身体を起こした。

 白い布の雲の上で、男は、黒い蜘蛛の糸に絡まっていた。

 少なくとも、彼にはそのように見えた。


「……オリイ……」

「生きててよかったね。G」


 オリイはにっこりと笑った。初めて見る、表情だった。

 シャンブロウ種だ。彼は記憶の中のその単語を取り出す。

 蜘蛛の糸に見えたのは、オリイの長い髪だった。

 それは普段の六弦弾きの、その髪の長さどころではない。身長を遙か越え、のけぞる男の身体にきつく巻き付き、そして強く締め付けている。下手すると、あの時のような刺激が、そこにはあるのかもしれない。

 そしてその長い黒い髪は、彼の無事を確認すると、するりとひとりでに男の身体から離れていく。重力を無視し、首をぐるりと回すにつれて一度空中に広がったその髪は、まるでそれが一つの生き物のように、彼には見えた。

 シャンブロウ種。

 その名前は、遠い昔に作られた物語に由来するという。天使種同様の、共生体型の進化をした種族だった。

 詳しくは彼も知らない。ただ、その種族はひどく無口で表情も少なく、そして、その髪を生き物のように自在に動かすということだけは知っていた。何らかの特殊能力はあるはずだった。だがそれが何であるかまでは、明らかにされていない。今になって調べようにも、その類の文献はそうそう見つからない。

 だが、その存在は二百年位前に抹殺された筈だった。……少なくとも彼の知識の中では。


「……オリイ、君は……」

「まだ気付かないの? サンドリヨン。俺は君が彼と…… 知ってる。だから、君に会ってみたかった。俺は、君に会えて嬉しかったけど」


 黒い、長い髪。手に巻き付けたら、さぞ。


「君は……」

「もうじき、迎えに来る。だからその前に、俺達は、本物のエビータに会わなくちゃ」


 そう言いながら、オリイは彼の服の前を合わせ、帯を締め直す。大きな瞳が、じっと彼をその間も見つめている。そしてその特徴のある光彩の、視線の向こうには。


「来るのか?」

「来るんだよ。だって、俺は彼の目だもの。彼は俺の命の糧だもの。何処に居るのか何をしてるのか、そんなこと、よく知ってる」


 彼は、一度大きく、手のひらで顔を覆い、ずるずるとそれを下ろした。ああ全く。利用するつもりが、利用されていたという訳か。


「でも」


 オリイはきゅ、と結び目を作りながら付け足す。


「彼は、君のことはとても好きだよ」

「そうだね」

「ただ、彼は、俺のなんだ」


 Gは苦笑した。苦笑するしか、なかった。

 そしてちょっとどいていて、とオリイは彼を横に避けた。

 軽く首を上に向けると、再びオリイの髪は重力を無視する。するする、と四方八方に伸び、部屋中の白い薄い布を掴む。黒い蜘蛛の糸は、白い雲に絡み付いた。

 そしてそれを一気に下にひきずり落とす。

 あ、とGは思わず目の前に手をかざした。まぶしい。

 一つ一つは大したことはない。が、四方八方に、そのライトはあった。小さな、だけど尋常ではない数が、それまで布で隠れていた壁に、取り付けられていた。

 だがその光は、次第にその力を落としていった。彼はまぶしさに細めた目を、ゆっくりと開いていく。

 観客が、そこに居た。



 殺すなよ、と鷹は部下達に命じた。OK、と部下達は指を立てた。それが始まりだった。

 何処に隠していたのだろう、とキムは彼等の背を追いながら思う。

 内調局員達は、手に手に重火器を持っていた。それも何かの形を装って……という類ではない。その金属の鈍い輝きといい、重量感といい、露骨なほどに、それは武器であることを主張していた。小柄なニイなど、果たしてそれを扱いきれるのだろうか、という大きさだった。

 だがどうも、それを撃つ気は彼等にはなさそうだった。

 シェ・スーは銃尻で管理局員を弾き倒していたし、ジョーは銃は腰に差したまま、向かってくる相手の顔面を真っ向から殴り倒していた。ニイときたら、そのすばしっこい動きで、相手を転ばしては前に進んでいるのだからしょうもない。

 キムはそんな彼等の後を追いながら、その頭目を見る。これはこれでまた、実に鮮やかに向かってくる管理局員を後にしていた。一体いつ何をやったのだろう、というくらい、その動きは鮮やかで、キムは自分の目を何度も疑った。

 そしてニイが最初にチューブのコントロールに取りつき、仲間達に親指を立てて合図を送った。オートコントロールにしたのだろう、他の仲間と、キムが入ったことを確認すると、ニイ自身もチューブに乗り込んだ。    


「さあて諸君、弾丸は節約しましたか」


 鷹の問いかけに、はあい、と声がチューブの中に響いた。そういう訳かい、とキムは頭を抱える。そして自分の動作に気付くと、連絡員は苦笑する。これじゃまるで自分の盟友だ。


「ん? 何苦悩しているの? キム君」


 にっこりと鷹はキムに笑いかける。


「……ま、どうやら君の友達の貞操の危機は過ぎ去った様だよ」

「便利なもんだね」

「便利ね」


 ふふん、と鷹は口の端を上げる。悪趣味って言うんだよ、とシェ・スーはつぶやいたが、その場の誰もそれには反応しなかった。沈黙が、しばらくその空間を支配した。


「……ところでキム君、君ちょっと第三層で騒ぎ起こさなかったかい?」


 ……そしてその沈黙を破ったのは、やはりこの男だった。


「何鷹さん。そんな心当たりがあんたにはあるのかい?」

「いんや。心当たりがあるかどうか聞きたいのは俺の方なんだけど?」

「やったとしたら?」

「我々の予想は当たっていたことになる。よくもまあ、あれを見付けたもんだ」


 ふん、とキムはシートに大きくもたれかかった。


「あいにく今回の俺の仕事なんでね。さすがの内調も、あれまではそうそう判らなかったと見えるな」

「あれはね」


 鷹はやや前のめりになると、顎に手をやる。


「あれは他の反帝国組織とは違う。君等とも違う」

「そりゃあそうさ。同じにされては困る」


 だろうね、と鷹はつぶやいた。

 チューブが次第に減速を始める。

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