23.「髪には、触らない方がいいよ」

 言われたことの意味を把握しかね、彼が絶句していると、オリイはふっと左を向いた。つられるようにして彼も顔を上げる。

 すると、館の中から、数名の男女が、ひどくたっぷりした布の服を引きずりながら、磨かれ、光すら放っているような木の廊下をやってくるのが彼の目に映った。

 立ち止まる。ずらりとその男女が素通しの廊下に並ぶ様は、なかなかGにとって新鮮だった。見慣れないものを見た時の、あのどう反応していいのか戸惑う感覚である。

 そしてその中の一人が、ゆっくりと、段差を降りてくる。その動作はひどく緩慢で、見ている彼自身、苛立ってきそうな程だった。そして段差を降りると、それまで何もつけていなかったのか、履き物を足につけた。

 ざくざくと音をさせ、その者は、彼等の前まで歩み寄った。小柄な、老人に見える。白いたっぷりした衣服を着、頭には帽子というにはやや固そうなものが乗せられている。

 老人は黙って彼等に向かって会釈をすると、こちらへ、と言うように、大きな袖に隠していた紙製の扇を開き、ゆっくりと動かすと、再びゆっくりと玉砂利を踏みしめて行く。

 来い、ということなんだよな、と彼は思う。実際行くしかないのだ。どうも文化の違いが多すぎるものに関しては、それだけで戸惑いが大きい。

 一体あれは何処の文化圏のものだったろう、と彼は歩きながら考える。あの紙製の扇は、以前一度だけ見たことがある。盟主が、ゆったりとそれを揺らせていた。かと言って、それが盟主の…… ひいては彼自身の出身の文化圏とは限らない。

 ただ、戸惑っているのは、「エビータ」という、この建物の持ち主の名前と、この奇妙な文化の違いだろう。おそらくは自分はその落差に戸惑っているのだ、と彼は思う。エビータという固有名詞から感じられる、明るい南の文化とは確実に違う、今この場所。

 段差を昇る際に、二人は目線で、履き物を脱ぐことを指示される。オリイは戸惑うことなく、それに従って靴を脱いだ。Gもそれにならうが、何となく足が心許ない気分になるのは何故だろう。

 靴を脱ぐのは、彼の過ごしてきた世界では、ベッドに入る時だけだ。つまりは無防備な時間だ。

 そう考えて、彼はやや苦笑する。そう考えれば、ここで靴を脱ぐのは妥当なのかもしれない。

 磨き込まれた木の床は、裸足に微妙な振動を伝え、時々きゅっきゅっと音をさせる。

 廊下は長かった。彼等は前後に、付き人達の衣装のさわさわという音を聞く。進む左側に、いつも何かしらの部屋の境がある。

 ただその境は、紙と木でできている、見慣れないものであったので、彼はなかなかそれが扉の役割をもしているとは判らなかった。

 そういえば、イェ・ホウの店の窓とも似ている、とふと彼は考える。あの店の窓にも、やや違うが、系統的に似ていそうな形で木の桟が取り付けられていた。

 右側には、神経を尖らせている状態の彼でも、ちょっとはっとするような、美しい庭園が広がっていた。木や花だけではない。そこに植えられている芝や、池の回り、玉砂利に描かれた模様、そういったものにも、ここの持ち主の一貫した考え方が反映されているようにも彼には思われる。

 やがて、廊下は一つの館に突き当たった。彼等はそこで、やはり無言の別の集団に引き渡された。ものものしいにも程がある、と彼は思う。

 だが今度の集団は、先の集団とはやや違っているようだった。


「お召し替えを」


 その中の一人が声を立てた。同じ様な衣服をつけ、同じ様うな帽子もどきをかぶっていたから一瞬彼は気付かなかったが、今度の集団は女ばかりだった。

 そのうちの一人が、彼等にそう口を開いた。


「何に……」

「それは私どもが用意致します。お二人はどうぞ先に湯浴みを」

「何処で?」

「案内いたします。ですがその前にお召し替えを」


 女は顔を上げる。若くはないが、まだ中年には差し掛かっていないだろうその顔は、奇妙なほどに無表情だった。


「お召し替えって、脱げってこと?」


 オリイはぼそっと言った。女ははい、とうなづいた。

 そう言われるのなら仕方ないだろう。彼は無表情な女達の前で、ボタンを外しだした。オリイもまた、するりと、いつも着ているゆったりした衣服を外しだした。と、女達がその脱いだ衣服を揃えようとする。特に持っていて問題のあるものはなかったはずだ、と彼は思う。そもそも、あの時、殆ど着の身着のままで逃げだしたのだ。上着など、あの管理局員に借りたままだった。


「髪を……」


 女の一人が、緩く編んだオリイの髪に触れようとした。


 ん?


 彼はふと違和感を覚える。女はあっ、と小さな声を立てたと思うと、手を押さえた。オリイはその声に気付いたのか、平然とした顔で振り向く。


「髪には、触らない方がいいよ」


 彼はふと、自分の手の甲に触れてみた。忘れていたが、痛みは確かにまだ残っていた。

 何だろう? 

 まるで毒虫に刺された時のような刺激だった。自分は治癒力が半端ではないから、既にこの状態なのだろうが、そうでない者だったら?

 とは言え、彼がこの周囲の女を心配している訳ではないのは言うまでもない。オリイは髪を編んだまま、衣服をすっかり取り去ってしまうと、躊躇無く彼の前に立った。そしてまたじっとGを見る。この視線。

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