13.流し込まれた未来の記憶

 自分の話している言葉が、既に過去形であることに、彼は気付いていた。

 長い間、自分が迷っていることに、彼もずっと、気付いていたのだ。

 迷っていたからこそ、この、今居る時間に近づいた時、あの組織に接触することを決めた時、自分の記憶を封印したのだ。

 その迷いを、気付かれてはいけない、と彼はその時強く思ったのだ。

 長い長い、時間の中を跳んでくるたびに、彼は誰かの目がそこにあることに気付いていた。

 自分の行動は、あのひとに、ずっと見張られている。

 それは当然だ、と彼も思わなくもない。あのひとは、未来の記憶を持っていたのだから。

 盟主が「司令」だった頃。まだ自分が自分の持つ特性も知らなかった頃、その未来の記憶の中に、自分を見付けた。

 居たからこそ、彼はその時、そこに自分の役割を見付けたと思った。その役割のもとに、生きていてもいいのだ、と思ったのだ。

 だが彼は結局、その役割の、本当の意味を知らなかった。知らなかったから、彼はその時、その役割を自分から受け入れた。正しいと思ったのだ。


 だが。


 跳んできた時間の中、彼は、自分が跳び、過ぎて後、そこがことごとく破壊されていることに気付いた。

 最初はあの惑星だった。ハンオク星域の惑星オクラナ。戦旗製作で知られた惑星。今ではそれは遠い昔の手工技術だ。

 それを初めとして、自分の跳んだ場所で、必ず騒乱は起きた。

 その騒乱に乗じて、天使種は覇権を握った。その後の天使種の中でも起きた権力闘争や、粛正の嵐の中でも、同じことが起きていた。

 物事は、確かにあの当時の司令が見ていた未来の記憶通りになっている。正しく、歴史はその通りに動いているのだ。

 そして、自分は、あの盟主が物事を起こす時のきっかけなのだ、と現在の彼は既に知っている。そう使われている、駒なのだ、と。

 どんなに自分で自由に動いているつもりでも、結局は抜け出せない、網の中でもがいているだけなのだ、と彼は知っている。

 自分で選んだことだった。後悔をしないつもりだった。だがその選んだこと自体に、彼は疑問を持ってしまった。

 どうにもならない。蜘蛛の巣の上。袋小路だった。


 どうにもならない?


 自問自答の日々。


 だが。


 ある時彼は、あの流し込まれた未来の記憶をひっくり返してみた。

 それは、ある時点より先が無かった。

 それは、見事なまでに、ある時点より先には、何も無かったのだ。

 彼はその時点を待った。

 無論ただじっと待っていた訳ではない。やはり彼の身には、その都度危機がおとずれ、そのたび、時間を越えて、前へ前へと跳んできたのだ。その時が来るのを、ずっと、彼は待っていたのだ。

 そしてその時が来た時、彼は自分自身に暗示をかけた。伊達に長い時間を渡ってきた訳ではない。自分自身にその程度のことをすることは覚えてきた。

 絶対に、彼という「駒」が居る筈のない、その元々の種族のたむろす「血族」の社会の中に、彼は自分自身と周囲に暗示をかけて、入り込んだのだ。

 もうその先どうなるのかは、彼自身さっぱり判らなかった。暗示をかけて、忘れている自分自身に期待していた、とも言える。

 結局、忘れていた中で動いていたことで、気付いたことが、幾つかあった。

 それでもあの盟主は、自分に伝えていない何かを持っているということ。

 そして、自分がひどく、未練がましい人間だ、ということ。


「……嫌になる」


 彼は抱きしめる相手の、傷跡の残る肩に頭を乗せると、低い声でつぶやいた。何が、と相手もまた低く訊ねる。

 腕をだらん、と下ろしたまま、彼は目を軽く伏せて、それに答えた。


「堂々巡りだ。繰り返しだ。どれだけ長い時間かけても、俺は何も変わらない」

「それはそうだよ」


 相手の声が、すぐそばで聞こえる。


「変わろうと思わなくては、変わりはしない」

「変わろうと思ったよ」


 襟足を、相手の髪の毛がくすぐる。黙って、首を横に振る気配。


「本当に変わる時には、何もそんなこと、考えやしないんだ」

「矛盾してるよ」

「そうじゃなくて」


 相手はゆっくりと腕の力をゆるめ、彼の顔を下からのぞき込む。


「頭が考えるんじゃない。そういう時は、身体が、よく知ってるんだ」

「何か、よく知っていそうな口振りだね」


 ホウは黙って首を傾けた。


「そんなことが、イェ・ホウ、あんたにはあったの?」

「あった」


 イェ・ホウは短く答えた。どんな、と彼はやはり短く問い返した。


「昔、ほんのガキの頃かな。ちょっとした間違いをしでかして、俺は仲間達と、どうしようもない状態に追い込まれたことがあった。だけどその時、助けてくれたひとがそう言ったんだ」

「助けてくれたひとが」

「綺麗なひとだったよ。とっても。でも厳しいひとだったね。手詰まりで、どうしようもなくて、ただもう自分を責めるばかりで迷っていたら、綺麗な目でじっと見て、まず何をしたいのか、と俺を問いつめたよ」


 ひどく相手の口調が懐かしげに、優しげになる。これが芝居だとしたら、目の前の相手は、かなりの役者だ、と彼は思う。


「俺がどうであるかとか、失敗したらどうだろう、ということはとにかく今だけは、放って置けばいい、って言ったね」


 そして何を考えているのか、それまで背を抱きしめていた指が、そのまま、彼の乱れた髪をかき上げた。


「綺麗な目のひとだったよ」


 言われているのは、他人のことだ。なのに彼はその言葉に、一瞬目を細めた。


「そんなこと考えてる間に、事態は悪くなっていくんだから、今は自分自身のことは放って置け、と言われた。それで後で責められようが、それそ全て済んでから考えればいいんだ、って」


 その論法。彼はあの長い髪の盟友の姿を思い出す。やっぱり、あの盟友は、昔、こんな風に自分に熱心に言ったのだ。


「とにかく目の前にある問題を片づけるにはどうすればいいんだ、ってそのひとは俺を一つ一つ問いつめた。……俺にとってはさ、そのひとはいつも優しくて、穏やかなひとだったから、……そのひとがそんな風に怒ったのは初めて見たから、もう必死。問われるままに、俺は自分の頭を一生懸命使ったね。あんなに考えたのは初めてだったよ」


 何となく、彼にはその図が予想できるような気がした。


「全て答え終わった時、そのひとは、俺の背を抱きしめて、言ったよ。自分の力を少しでも分けてやれればいいけど、それはできないから、って。ごめん、って」


 何か、少しばかり胸が痛むのを彼は感じた。イェ・ホウは口の端をきゅ、と上げた。


「でもそれで充分だったね。そのひとはそれからすぐにいなくなってしまったけど、俺は忘れなかった」

「そのひとを好きだった?」


 さっき自分がされた問いを、彼は今度、相手に投げかける。うん、とホウは大きくうなづいた。


「俺は、好きだったよ。そのひとがどう思っていたかなんて、さっぱり判らないけど、とにかく、俺は好きだった」

「それで、いいの?」

「だって俺は知っていたからね。そのひとはずっとここに居る訳にはいかないんだって。それでも好きになってしまったんだから、仕方ないだろ?」

「でも」

「俺にできるのは、好きになることだけだったし、それで見返りが欲しい訳じゃなかったんだ。ただ、好きでいたかったんだ。そのひとを」


 ふうん、と彼はうなづく。


「そういうふうに、好かれる奴ってのは、幸せだろうね」

「さてどうかな。俺は、絶対にまた会ったら、絶対に見付けられるって思ったけど」

「自信あるんだ?」

「自信はあるよ?そのくらい、そのひとは俺にとっては重要だった。そのひとにとっちゃはた迷惑かもしれないけどね」


 くっ、と彼は肩を微かに上げて笑う。何がおかしいの、と相手はまた彼をシーツの上に転がす。


「何となく、妬けるね」


 だがその彼の感想には、相手はふふん、と笑って答えなかった。

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