12.パズルのピースはあるべきところにはまるもの

「……ごめん」


 ふとそんな言葉が滑り出した。身体が重い、と彼は思った。夜が過ぎて、時計は朝時間に程近い。相手は腕を立てて、彼の顔をのぞき込んだ。


「何? 謝るようなこと、君したの?」

「あんたを誘っていた」

「そんなの」


 くしゃ、と短くなった髪の毛に、相手は指を差し込む。

 髪を切ったのは、無論、煩くなったからではない。

 まるで女みたいだ、と彼は思う。あの髪が長いうちは、あの旧友に対する感情が思い切れない。そんな気がしたから、短くした。もう手に巻き付けることはできない。

 ふっと、あの六弦弾きの姿が目の裏に浮かぶ。あのくらい長ければ、あの長い指は、さぞ楽しそうにそれを絡みつけるだろう。

 今横に居る相手は、どちらかというと、不器用に自分の髪を引っかき回す。きっとこのまま目覚めたら、ひどい寝癖がつくだろうな、と彼は思う。


「俺は誘われたかったんだから、そういう奴は誘っておけばいいの。役得さ。結構、そういうとこを狙ってたのかもしれないぜ?」


 ふふ、と彼はそんな軽口に笑みを向ける。すると相手はやや目を伏せて、声を低めた。


「それとも、何か他に意味あり?」

「別に…… でも、落ち込んでは、いたから」

「それで、落ち込みは治った?」

「あんまり」


 やれやれ、と相手は笑って、柔らかい枕に半ば埋まったような彼の顔を動かした。


「何があったんだか、知らないけどさ。綺麗な顔は綺麗なままで居てほしいと俺は思うね」

「綺麗だと思う訳?」

「そりゃあそうさ。そう思ったことはない?」

「言われることはあるよ。それは知ってる。だから客観的に見て、そうなのかもしれないとは思うさ。でも俺は別に自分については、そう思ったことはない」

「そういうもんかね」

「そういうもんだよ。たまたまこの姿は、もって生まれてしまっただけなのに、そればかりを取り沙汰されるってのは……時々疲れる」

「でもそれが君だぜ?」


 イェ・ホウは変わらない軽さでそう言った。


「どんな姿を持っていようが、どんな才能を持っていようが、それが君であって、他の誰でもないんだぜ?」

「それは判ってるさ」


 ふふん、と相手は彼の言葉に対して、そんな笑いを返した。


「判ってないね」  

「判ってない?」


 彼は腕をゆっくりと立てる。

 少しばかり反り返った背中の上を、ブランケットがずり落ちる。顔がようやく見える程度の灯りが、その背中をむき出しにした。


「その綺麗な顔と姿と…… どんな才能を持ってるかは知らないけどさ、持って生まれて、それで起こってきたことが、君の今までを作ってきたんだろ?」


 彼は眉を軽く寄せる。それはそうだ。


「パズルのピースってのはさ、一見ばらばらなように見えても、実はちゃんとあるべきところにはまるようになってるんだぜ?」

「でもそれは理屈だよ」

「理屈かなあ。でもものは考えようって言うだろ?」

「……」


 前向きだ、と彼は苦笑しながら思う。


「ホウは前向きだよね。いいよね。羨ましい。俺なんて埒もないことを堂々巡りばかりしてる」


 くしゃ、とまた相手の手が髪をかき回す。こういうのは嫌いじゃない。

 たぶんその前の熱を持った行為よりも。


「判ってはいるんだけどさ。あんたの言ってることはたぶん正しい。いや正しいと思う。正しいんだよ。だけど、何かが、俺の中で納得しなくて、いつも同じとこで立ち止まって、同じ問いを繰り返してるんだ」


 うん、と曖昧にホウはうなづく。


「俺もそれは判ってる。だけど、何に対して納得していないのか、それがいつも曖昧で、それをどうすることもできない。それが何か、俺をいつも立ち止まらせてるような気がするんだ」

「それは、何か、納得していないものがあるのかい? 具体的に」

「……あると言えば、ある。居ると言えば、居る」

「居る。人? 誰か、かい?」

「誰か…… そう、誰か、かもしれない」


 その人物の姿が、彼の脳裏に浮かぶ。


「俺はその相手に対して、いつも一つの問いを用意しているんだ。だけど、それを言う機会が無い。……いや機会はあるのかもしれない。きっとあるんだよ。だけど俺はそれがどうしてもできないんだ。機会はある。作ればあるんだよ。だけど、その機会を俺は作ろうとしていないんだ…… 何故だろう?」


 彼は再び立てていた肘を寝かせてしまう。自問自答の闇が、また自分を襲いつつあるのだ。

 だがここには、自分一人では無かったことを、すぐに彼は思い出させられるのだ。


「怖い? その誰かに、問いただすのが」


 彼は微かにうなづく。


「そうかもしれない。俺は怖いのかもしれない」

「何で?」

「何故だろう……」

「そのひとが、好き?」


 彼は思わず目を大きく開いていた。投げ出していた手が、ぐ、と枕の布地を強く掴む。


「……判らない……」

「好きじゃない?」

「……判らない……」

「大切?」

「大切…… だとは思う。だって、俺はそのひとのために、全部捨てたんだ。今まで生きてきた場所も、友人も、俺を好きだったひとも全部…… その時、それでいいと、思ったんだ」

「うん」


 相手の手が伸びる。彼は身体が起こされるのを感じる。


「大切だと、思っていた。それでいいと、思ってたんだ……」

「うん」

「だけど」


 相手の手が、そのまま背中に回り、自分を抱きしめるのが判る。別にそれ以上何をするという訳ではない。ただ、その大きな手は、所々が飛んだ油で火傷のあとのあるような、その手は、自分の背を強く、抱きしめている。それが彼には判った。


「俺は……」


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