1.新しい仕事―――人工惑星ペロンに到着
「本日の着便は全て終了しました。明日の発便は、標準時午前6時30分です。時刻の30分前から改札を行います。遅れずに……」
甲高いアナウンスの声が、高い天井を通り抜ける。
改札を通り抜けた彼は、クリーム色の壁や、つり下げられた照明のあちこちに取り付けられている、旧式な形を持った拡声器を見上げた。
すすけた色。四方向に向けられたラッパの形のようなその器体。時々それはぱぁぁ、と神経を逆撫でするような音を立てる。やや不愉快。彼は形の良い眉をひそめた。
だがその一方で、美しいものも視界には入る。
高い天井は、曲線の優雅なガラス張りだった。外から見ると、それは鳥かごのように見えなくはないのではなかろうか。見上げると、そのラインの広がり方に、一瞬眩暈がした。
「……おっと」
と。腕に強い衝撃が走る。彼はふとよろめいて、その場に腰をついた。何ごとか、とやや無様な程にきょろきょろと辺りを見回すと、目の前に大きな手が差し出された。
「ごめんよ、急いでいたんだ」
「ああ……」
彼は目を丸くして活舌の良い相手の顔をのぞき込んだ。
濃い色のバンダナと、それより更に濃い色の、短い髪の毛。だけど明るい、あまり大きくはないが元気そうな緑の瞳。
ぴったりとしたTシャツにサスペンダをつけたワークパンツ。その上に軽そうな上着を羽織って。歳の頃は…… 自分の外見と近いだろう。
一瞬のうちに、彼は相手の特徴をとらえる。
「立てる?」
「立てるさ」
それでも、ややふらつく真似をしてみせる。自分は今回、見かけのような行動を取らなくてはならないのだ。この惑星に入った以上。
「本当にごめん。でも、マジ、急いでたんだよ。だからごめん、ちょっとここで失礼するよ」
「はあ」
「また今度出会うことができたらお茶でも呑もうねっ」
はあ。
今度は内心でそうつぶやく。
何を言ってるんだか。彼はそのつむじ風のような相手の背を見送りながら、やや呆れる。だが去っていく、その後ろ姿を何となく見送ってしまう。苦笑する。
だがそんな苦笑は一瞬のものだった。彼は表面上の顔はともかく、内側の表情は引き締める。約束の時間は近づいていた。
宇宙港。ターミナル。
そう言ったものにつきものの喧噪が、次第におさまっていく、最終の時間。彼はコートのポケットに手を突っ込むと、さして大きくもないカバンをベンチに置いた。あちこちに置かれた、放射状のベンチは、曖昧な色使いのクッションで彩られている。その上には、やはり曲線が美しい照明。そろそろこの時間には、色がつくらしい。
時間だ。
一人の男が、自分に近づいてくるのを彼は感じる。時々手元をちら、と見ては、自分の顔と交互に見比べている。
カード型の3Dフォトアルバムだ。焦げ茶色のスーツの男は、彼に何気なく近づき、隣に腰を下ろす。
「失礼、今日の中央放送にリクエストをしたかね?」
「ええ、ロゼ・ファン・メイの『早すぎる』を」
合い言葉だった。彼はそう言うべき言葉を正しく答える。それが、これから、この惑星での彼の仕事の始まりなのだ。
焦げ茶色のスーツの男は、表情を変えることもなく、彼に煙草を差し出した。彼は一本それを取ると、火を点けた。
「人工惑星ペロンにようこそ、サンド・リヨン君。今時はいいピアノ弾きが少なくて困っていたのだよ」
そうですか、と彼は口に出される自分のいつもの偽名にうなづく。
サンドリヨン。少し前まで、何故自分がその名を使うのかすら、忘れていた。それは「似合うから」使っているのだと、考えていた。でも違う。それは、忘れないためだった。
自分自身にも隠した記憶の中で、一つのことを忘れないためのものだったのだ。
相手から受け取った煙草の、口の中に溜まる煙の中に、軽い催眠系の葉の味が感じられる。摂取したところで自分が大したことある訳ではないのは知っているが、彼はそれを吸い込むことは避けた。
焦げ茶色のスーツの男は、そんな彼の姿に、何やら目を奪われているかのようだった。彼は自分が他人からどう見られるのか、知っていた。
知っていたから、今回は、ことさらに、相手の望むような、態度をとる。ふっと吐き出す煙。微かな、曖昧な笑顔を浮かべ、気だるげな、柔らかな調子で顔を相手に向ける。
「それで、僕はいつから仕事につけばいいのです?」
相手はくす、と笑みを浮かべる。その頬には似合わないような赤みがさす。
「君が望むのなら、今日からでも明日からでも。だが、できるだけ早い方が望ましいのは、言うまでもないのだが」
「ふうん」
彼は膝の上に肘を立て、その上にあごを乗せ、やや考える素振りをする。
「……それでは、御言葉に甘えます。今日は休ませて下さい。僕は何処に休めばいいのでしょうか?」
「用意はできている」
焦げ茶色のスーツの男は、そう言うと立ち上がった。それに引き続いて、彼もまた立ち上がった。
「このペロンの中でも、我々が君に与える部屋は、第二層に当たる。これはひどく名誉なことなのだよ」
「判っています。光栄です。ありがとうございます。まさかと思いました。仕事を無くしてどうすればいいかと思っていましたから……」
せいぜい粛々とした言葉を吐いてやるさ。
彼は吸い尽くした煙草を丁寧に灰皿になすりつけると、頭を下げる。どう考えていようが、無論それは決して素振りには見せない。そういうのは、自分は得意なのだ。
「では行こう。車が待っている」
「はい」
彼は返事をすると立ち上がった。髪がその拍子に揺れる。
「……ああところで君」
男は、ふと気がついたように言葉を付け足した。何ですか、と彼は問い返す。
「確か、紹介書のフォートにあった君の髪は、長かったはずだが」
「切りました。少し邪魔になったので」
「そうか。少し残念だな」
彼はそれには答えずに、くす、と笑ってみせた。
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